第351話 近衛前久と白鯨

 西暦1596年6月(天正23年5月)。ユカタン半島のジャングル地帯を抜けた近衛前久率いる勧修寺晴豊かじゅうじはるとよ(藤原北家勧修寺流支流、名家、家業は儒道。勧修寺晴子の実兄で後陽成天皇の叔父)、飛鳥井雅庸あすかいまさつね(藤原北家花山院流難波家庶流、羽林家、家業は蹴鞠)、五辻元仲いつつじもとなか(宇多源氏、半家、家業は神楽)、烏丸光宣からすまるみつのぶ(藤原北家真夏流日野氏流、名家、家業は歌道)などの公家衆たちはアカプルコから大坂行きの幕府御用船へ乗り込んでいた。


 北東貿易風と北赤道海流(北東貿易風によって生じる)に乗り、安定した航海で日本へ向かっている。船のカピタン・デ・ナビオ(平の船長)である石丸新三郎は因島村上水軍の出身だ。


 東南アジア方面へ何度か船員として往来。その後、新亜大陸を往来する船に配属された。さらにカピタン・デ・ナビオへ出世した叩き上げである。


 今回、ヌエバ・エスパーニャから元ガレオン貿易船のマエストレ(一等航海士)を務めていたクラウディオという人物が乗船しており、過去に日本と縁のある人物だ。


 かつてクラウディオはスカウトされ、幕府御用船の訓練を引き受けていた事がある。石丸新三郎はその時の教え子だ。教官を辞めたクラウディオは貯めた金でヌエバ・エスパーニャへ渡り、酒浸りの毎日という堕落した暮らしぶりだった。


 幕府も腕のいい船乗りは喉から手が出る程、欲しい。そこで、再度白羽の矢が立った。特に愛国心もなく、熱心なカトリックではないクラウディオは誘いを受け入れ、日本へ向かうため、乗船した次第だ。


 実の所、クラウディオはユダヤ人であった。4代前の先祖がユダヤ教徒追放令(アルハンブラ勅令)により、キリスト教徒へ改宗している。それらをコンベルソ=新キリスト教徒というが、マラーノ(豚や汚いという意味)呼ばわりされ、徹底的に差別された。


 末端のコンベルソはまともな職に就けず、キツイ・汚い・危険といった、いわゆる3K仕事へ従事する他なかったのである。そして祖父の代から船乗りとなっていた。


 ちなみに有名なクリストファー・コロンブスが改宗ユダヤ人だという説や最初の航海時、ユダヤ人が乗船していたという説も存在する。或いは資金提供者もユダヤ人であるという説もあるが可能性の羅列でしかない。


 これも一種の陰謀論の類であろう。つまりユダヤ人によってアメリカ大陸が発見され、その後の悲劇へ繋がる原因などと、責任転嫁されかねない。


 それは置いておき、クラウディオの本音としてはフェリペ2世も捕まり、信仰の自由が認められつつあるという話は喝采したいような出来事だ。


「近衛さん、あの御仁はイスパニアの絵描きでゴッホ殿と申す方。たいそう上手だとか」


「烏丸さん、麿も描いてもらいたいでおじゃる」


「公方様、少しお話がございまして」


 カピタン・デ・ナビオの石丸新三郎が近衛前久の前へ平伏してきた。


「石丸殿、畏まらくても良いでおじゃる。如何されたか」


 石丸新三郎はクラウディオから聞いた白鯨の話を語った。それは、これまで日本のそばで巨大な白鯨が度々出没し、イスパニアのガレオン船が襲われたというものだ。


「それは摩訶不思議。これまで、幕府の御用船が白き鯨に襲われたという話なぞ無いでおじゃろう」


「然様でございますが、この船に白き鯨を見たというイスパニア人も乗ってまして、気配がするとか……」


「何と、誠であれば厄介でおじゃる。大砲をいつでも撃てるよう抜かりなく備えねばなりませぬな」


 そして、3日後の事であった鯨の潮吹きが確認された。


「さあ、出ておじゃれ。姿は隠しても鯨は潮でわかろうというもの……」


 ほどなくして、いよいよ白鯨が巨体を現した。


「公方様、お下がりくだいませ」


「何、これしきの事。ここで引き下がれば末代までの恥」


 前久は銃を手に取り構えている。さらに水兵たちも銃を構えつつ、カロネード砲が用意された。石丸新三郎は必死で指示を出す。他の幕府御用船も戦闘態勢を取りつつ白鯨の進路へ船割り込ませ砲撃開始。


 そして、数時間の激闘を経て白鯨は血まみれとなり、海中へ消えていった。絵描きのゴッホはその様子をデッサンしている。


 こうして白鯨と死闘を繰り広げた幕府御用船団は一路日本へ向かうのであった。


 


◆村上水軍

平安時代(所説あり)から戦国時代に掛けて瀬戸内海で活動した水軍(海賊)だ。能島村上家、因島村上家、来島村上家の三家からなる。時に倭寇としても恐れられた。また、よくある誤解だが、決して瀬戸内全体の制海権を掌握していたわけではない。日生諸島の日生衆、真鍋島の真鍋衆、塩飽諸島の塩飽衆など水軍は多数存在する。また、来島村上家などを含む河野家の水軍も存在した。因島村上氏と能島村上家は毛利家の傘下として活動。厳島の戦いや第一次木津川口の戦いなどが有名である。西暦1588年の海賊行為は禁じられ、普通の武士になったり、一部は漁師になったともいう。


◆イスパニア船の役職

カピタン・ヘネラル  船団統括最高指揮官

アルミランテ     カピタン・ヘネラルの補佐

カピタン・デ・ナビオ 各船の船長

マエストレ      航海士

ピロト        操縦士

コントラマエストレ  甲板長

アルティジェロ    砲術長

マリネロ       水夫

ソルダード      水兵

カルピンテロ     整備士(船大工)

コシネロ       料理人

スーペルカルゴ    積荷監督者

コメルシアンテ 積荷の売買担当(商人)

※幕府御用船ではかつてイスパニア人やポルトガル人を雇い入れてたため、用語の一部はイスパニア語やポルトガル語となっている。


◆白鯨(原題 Moby-Dick; or, The Whale)

西暦1851年に発表されたハーマン・メルヴィルの長編小説。アメリカ文学を代表する作品。ジャンルとしては海洋を舞台にした冒険小説。何度も映画化されていいる。内容は簡単に言うと語り手のイシュメイルは、アメリカ東部の港町で出会った銛打ちクイークェグと捕鯨船ピークォド号に乗り込む。船長のエイハブは、かつて白いマッコウクジラに襲われ、義足を付けている。こうして乗組員たちはエイハブ船長の復讐劇に巻き込まれ、日本沖で白鯨を発見。追跡して白鯨と死闘を繰り広げるがエイハブ船長は白鯨に磔となって海中へ消えて行く。イシュメイルのみ生き残って、他の捕鯨船に救助されるという話である。


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