第53話 幸田審問
天正16年9月(西暦1588)。
織田信孝が天下を平定して約3年が経過。信孝は天丸に続き待望の男児となる時丸を得た。さらに昨年2人の側室を奥御殿に迎えている。
その1人は女児(静姫)を産んだ。また近いうちに徳川家康の娘督姫(天正3年生まれ説を採用)が側室となることも決定している。
幸田広之も五徳が嫡男仙丸を産み、茶々は羽前米沢の伊達政宗へ嫁いだ。しかし米沢には1度も行かず、大坂の伊達屋敷へ居住(大名の正室は大坂在住が義務)。無論、幸田屋敷へ頻繁に出入りをし、別邸と化す。
鉱山については丹波屋仁兵衛の尽力もあり南蛮吹が導入。膨大な量の銅が産出され大坂に運ばれた。佐渡金山の採掘も始まり、天正大判、天正小判、天正銀などが製造。各地で勝手に作られていた貨幣の使用は認めるものの新たな製造は禁止。貨幣密造は厳しい罪に問われる。
また幕府は西洋の採掘法・製錬技術、橋を始めとする建築技術、最新の武器、各種道具、必要な人材、航海士の育成、種子、動物などの目処が立った段階で幕府御用船以外の南蛮貿易を無期限の停止。ただし日本以外の船であろうと国内指定の湊へ出入りするのは自由だった。
これは金銀銅の一方的な海外流出を防ぐための方策である。このため日本との貿易による旨味が消えた結果、南蛮船の入港はほぼ無くなり、イエズス会の布教も勢いを無くしつつあった。当初、ポルトガル船は船員の私的な荷物や贈答品だという手口で抜け荷を試みたが直ちに規制。
堺も以前の勢いが喪失。一方で角倉了以、茶屋四郎次郎、丹波屋仁兵衛などの京阪商人、さらには近江や伊勢の商人は両替、鉱山開発、輸送、金融、酒、茶、綿、絹、米、麦、醤油、味噌、海産物、紙、硝石(人為的に製造)、油などの商いで隆盛を極めている。
幕府と商人の取引は金銀交換できる手形により決済され、それをテコに振手形(債権者と債務者)、逆手形(第三者による債務取り立て)、預かり手形(持参人払い)などへ発展。これにより諸大名や商人、さらには旅人さえも重い貨幣持たずに移動が可能になった。
東京府には全国の大名家家臣や関東各地からの流入で開発が進んでおり、玉川上水も完成している。ただ利根川の東遷は地道な事業であって、完成するまでは何十年も掛かりそうだ。
蝦夷では鰊、鮭、鱈、昆布、海鼠、帆立、鮑、鰯油、鰯の絞り粕などが西日本へ大規模に流れ始めていた。京阪の商人が漁場を開発し始めた結果である。
蝦夷の民しか立ち入ることの出来ない漁場も設定されたり、彼らの領域で漁業する場合、相応の対価が支払われ、共存関係は保たれた。
幕府は対外貿易の決済用に明で高い価値を持つ昆布、海鼠(煎海鼠)、フカヒレ、干帆立を重要な商品と位置づけ奨励し、幕府御用船はこれらの品をマニラで明の商人へ売り、スペインが持ち込む大量の銀で決済するという方式だ。先頃、第1回目の取引が行われ莫大な売上を出している。
さらに広之は個人的に薬種問屋を興し、正露丸、龍角散、葛根湯によく似たものを販売。これらも明商人へ高く売られた。
イスパニアについては本国との直接的な国交等については見送りとなっている。史実通りなら、すでにイスパニアの無敵艦隊が敗北したはず。それを確認してからイスパニアやポルトガルの対策を講じなければならない。
朝鮮については朝鮮人参くらいしか欲する産物がない上、貨幣はあるにせよ流通量は少なく、物物交換が中心であった。そのため対馬の宗氏に任せ、放置している。
朝鮮からの磁器や陶器については禁制品とした。明の福建にある民窯で働いていた職人の引き抜きを行っている。明商人へ多額の報酬で依頼した結果だ。幕府の御用窯の里を作り厳しい監視のもと製造された。
琉球もまだ砂糖きび栽培をしておらず航海の中継地点以外にはあまりメリットが無く湊の利用について相応の対価を支払い、兵を数百人ほど常駐させていた。
甜菜を生み出すためのビートや煙草も入手し、品種改良や栽培を重ねている。インドから乳牛も入手した。
さらに羽後の北部では秋田犬を使った犬ぞりの実験も行っている。間宮海峡を越えたり、カムチャッカ半島に達すれば必要となるだろう。極東では羊のセーターが欲しい。羊も何とか入手したいところ。皮は何とかなる。
法令についても『天正諸法度』が制定され、武家、公家、宗教、商業、金融、民事、刑事など、法が整備。宗教においては『何人たりとも何を信仰するかは勝手次第。如何なる神や仏であろうと同等であり、害すことを禁ず』という信孝の考えが投影された。
デウスを絶対とするキリスト教においては新たに信者を獲得する際、神・主・父=デウスで布教するのは法に触れる可能性があり、「私たちの信じる神」と付け加えざるを得なくなったのである。
寺社がキリスト教を排撃出来ない代償として、キリスト教も同様となった。仮にキリスト教の司祭・宣教師が幕府、在地領主、寺社の否定や攻撃を示唆すれば吟味の対象となってしまう。
さらに広之はイイズス会へ、日本での居住と布教を許可している以上、相互主義の概念を説き、マカオ、マラッカ、ゴア(ポルトガル領インド全域)における日本人の自由な居住、貿易や寺社の活動が許可されるべきだと迫った。
それ以外にも十字軍遠征、サラゴサ条約、アフリカ人奴隷、ゴアなどのインドやマラッカの武力制圧、ポルトガルの異端審問、ポルトガル領インドにおける異端審問所の存在、モロッコ侵攻、スペインによるアステカやインカの滅亡、フィリピンの支配など認めさせサインさせている。
最初は誤魔化そうとしたがデウスに宣誓させられたうえ、広之の知識は正確かつ異常なレベルだったため、イエズス会の宣教師たちは激しく狼狽。
とりわけルイス・フロイスはポルトガル国王エンリケ1世、イエズス会第4代総長エヴェラール・メルキュリアン、インド管区巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノ、ガスパール・コエリョなどの名前を出され、日本について色々書いていることを指摘されるや驚愕のあまり震えだした。
日本人の知識としてあり得ない以上、ポルトガル人以外の宣教師、ポルトガル商船員、スペイン側の策略など様々な想像が頭をよぎる。
いずれにせよイエズス会の内部に内通者が居るのは間違いないと列席したイエズス会士は疑心暗鬼となった。
追い打ち掛けるようポルトガル、イスパニア、キリスト教、聖書、古代ギリシャ、ローマからの歴史を完全に把握しているという言葉や知識の一旦を聞かされあらゆる抗弁を断念。
その際、蒲生氏郷、高山重友(右近)、黒田孝高(官兵衛)たちキリシタン大名も同席しており多大な衝撃を与えた。黒田孝高はその直後に棄教。氏郷と重友も距離を置くようになった。
この時の出来事は後に幸田審問と呼ばれる。
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