第323話 南新亜州の食料事情

 南新亜州の初代長官となったのは津田忠辰であった。出自は織田藤左衛門家でおり、かつては信長の織田弾正忠家や織田因幡守と並び清洲織田氏といわれる織田大和守家の三奉行と称された家柄だ。


 忠辰の兄である信氏は織田信雄に従い亡くなった。そのため忠辰が織田藤左衛門家の正当な後継者となっている。忠辰は天下人となった織田一族においては織田弾正忠家以外は織田を名乗らず、津田が一般化しつつあった。


 信長の兄弟や子供も嫡流以外は津田とするような流れだ。この辺は織田家や幕府で取り決めがあるわけでもなく玉虫色となっている。しかし、触らぬ神に祟りなしと自発的に津田を名乗る傾向だ。


 忠辰の母は織田信秀の娘であり、信長とは従兄弟にあたる。織田とは名ばかり、みたいなのとは違う。また、史実において、妻は丹羽長秀の家臣である村上頼勝の娘だ。


 数えで25歳と若いながら、元服前より織田信孝のそばに仕え幸田広之へ師事してきた事もあり、武将としての才や行政能力を高く評価されての抜擢である。

 

 広之の薫陶を受けているだけに、食べ物へそれなりの持論があり、結構舌は肥えていた。メキシコで増産された大量のとうもろこし、小麦、豆などを南新亜州へ運び入れたが、米はほぼ無い。


 東和州(カリフォルニア)で生産した日本米を船で運ぶ場合、2月に龍門(サンフランシスコ)を出発し、南新亜州へ届くのは翌年の4月過ぎとなる。


 つまり、収穫されてから1年半も経過するわけで、いくら玄米だとしても暑い地域を湿気のある船倉などに詰めばまともに食えるはずもなかろう。


 龍門からアカプルコ(赤降古)へ荷揚げし、馬などでベラクルスに運び、そこから船を使う方法だと、約半年だが、十分な数量は確保出来ない。


 沿岸部はハリケーンがあるため米の栽培には向いておらず、日本米を大量確保出来る限りまで、相応の時間が掛かる。一応、南星川(ミシシッピー川)河口付近の湿地帯ではワイルドライスが自生していた。


 これは、イネ科ではあるが、日本でいうところの真菰(まこも)だ。原住民にとっては貴重な食料で、南新亜州の行政府は絶対取らないよう通達していた。茎が丈夫なためハリケーンにも耐えうる。


 これを計画的に栽培し、茶にする準備を行っていた。現代の日本でも真菰茶は密かに人気がある。実は原住民に与えれば一石二鳥といえよう。


 この他に、メキシコでとうもろこしを使った味噌作りも成功していた。大量に取れるカタクチイワシで魚醤や煮干しも作られている。


 持ち込んだ作物の種子は小麦・大麦・空豆・えんどう豆・隠元・じゃが芋・さつま芋・南瓜・人参・玉葱・ピーマン・パプリカ・キャベツ・にんにく・生姜・砂糖黍・トマト・茄子・唐辛子・胡瓜・ズッキーニ・大根・おくら・豆類などだ。


 幕府より指示されていた南新亜州で作るべき料理が次々と作られていった。主食であるとうもろこしは粥にしたり(サンプ)・粗挽きを煮込んだもの(グリッツ)・焼きパン・薄焼き(トルティーヤ)・焼き饅頭などにされる。

 

 後は各種の唐揚げ・フライドポテト・マッシュポテト・ローストチキン・ローストポークなど保存の効くとうもろこし、じゃが芋、肉や魚が主体だ。


 こうして、1年目の入植は進むのであった。



※丹羽長秀の主な家臣団は以下の通り

●丹羽家家臣

島左近

戸田勝成

長束正家

長束直吉

太田牛一

大谷元秀

溝口秀勝

青山宗勝

青木一重

徳山則秀

成田重忠

村上頼勝

奥山盛昭

江口正吉

寺西正勝

粟屋勝久

坂井直政

赤座直保



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