第341話 近衛前久と失われた高天原⑥

 近衛前久を始めとする勧修寺晴豊かじゅうじはるとよ(藤原北家勧修寺流支流、名家、家業は儒道。勧修寺晴子の実兄で後陽成天皇の叔父)、飛鳥井雅庸あすかいまさつね(藤原北家花山院流難波家庶流、羽林家、家業は蹴鞠)、五辻元仲いつつじもとなか(宇多源氏、半家、家業は神楽)、烏丸光宣からすまるみつのぶ(藤原北家真夏流日野氏流、名家、家業は歌道)などの公家衆たちは光の渦へ吸い込まれ、姿を消した。 


 やがて、明るい部屋で目を覚ます。辺りの様子は神殿内部と異なる。全く目にした事のない造りで、天井に備え付けられた硝子のようなものが光って明るい。


「近衛さん、我らは一体何処に居るのでおじゃりましょうや。よもや黄泉の国ではおじゃりませぬか」


「烏丸さん、何処に居るのか見当もつかぬが、どうやら生きているようでおじゃるな」


「誰ぞ居りませねか……。麿たちは怪しい者ではおじゃらぬ」


 飛鳥井雅庸が立ち上がるや甲高い声で呼び掛けた。すると、どこからともなく日本語が聞こえる。


「皆様、此度は日本より、よくぞお越し下さいました。あなたがたの来訪を心より歓迎いたします」


「麿は藤原嫡流五摂家筆頭近衛前久と申します。日本国から、この地へ辿り着いたでおじゃる」


「承知しております。ここは黄泉の国ではなく、地球より9万5千里程離れた月……。人は住んで居りません」


「代わりに私があなたたちの案内をいたします。ご用がございましたらお申し付け下さいませ」


「人ではないのに喋れるとは如何に……」


「近衛殿、私は人によって作られし仮の人格。主人の指示により様々な役目を担っております」


「然様でおじゃるか。尋ねたき事がおじゃります」


「可能な範囲でお答えいたします」 


「神をご存知でおじゃろうか」


「無論、存じ上げております。先ず神とは人や生命・摂理を超越した存在……。それは人の作りし幻影の可能性が極めて高いといえましょう」


「貴殿の主人は神でないということでおじゃりますか」


「あなたがたと同じ人です。ただ、数百年万年程地球より先を進んでいるだけの事」


「高天原、天津神、国津神、竜蛇神などについて知りとぉ、おじゃる」


「私の主人である種族の教えを受けた地球の人々に対する方針が事情によって変わりました。その後、残された地球の人々は二大勢力に別れて争った結果、ほぼ共倒れとなります。残された各地の残存勢力は大きく衰退しつつやがてかつての栄華の欠片を掻き集め、再興しました。そのへんは、あなたがたの解釈で概ね間違いありません。高天原については遠い記憶における月や他の星を指していると思われます」


「麿たちが貴殿の主人と会うことは叶わないでおじゃるか」


「主人たちの属する種族の法度により、地球の人たちと直接会う事は禁じられております。過去からの経緯を踏まえ、啓示を与えたり、見守る事は一定の範囲で行いますが……」


「日本が進むべき道は貴殿の主人にとっては好ましいものでおじゃりますか」


「それにお答えすることは出来かねますが、私個人の見解としては不当な介入の検知はあれど、概ね主人の願うべき方向へ進んでいると思います」


「不当な介入とは……」


「残念ながら、それについてもお答え出来かねます」


「麿たちは元の所へ戻る事は叶うでおじゃるか。また、あの大きな石板を日本へ持ち帰る事は……」


「認められております。ただし、あれは東西各地にあります。日本にもあるので、掘り起こす事は可能」


「日本の何処に眠っておじゃるか」


 前久の問に対し、人工知能らしい音声は現代でいう所の箸墓古墳の位置を指し示した。同古墳の形状は前方後円墳であり、実際の被葬者は不明だが、宮内庁により、第7代孝霊天皇皇女倭迹迹日百襲姫命の墓に治定されている。また、邪馬台国の女王卑弥呼の墓ではないかとする学説でも有名な古墳だ。


 こうして、短い問答の後、幕府総裁幸田広之へ渡すよう託された箱を携え、前久たち公家衆は元の場所へ戻った。幕府の役人が安堵の表情で話し掛ける。


「公方様、如何でございましたか」


「この石板と長老たちを日本へお連れいたすでおじゃる。また、この事は誰にも他言してはなりませぬぞ」


「しかと承りまして、ございまする」


 この数日後、前久率いる公家衆は授かった箱と石盤を運び出し、太平洋沿岸部へ向かうのであった。前久たちに十分な知識が無かった事もあり、人工知能からは限定的な回答しか得られず、謎の解明には程遠い。


 何故、マヤの密林で未知の力が眠っていたのか……。ジャングルといえば大自然が思い浮かぶ。しかし、熱帯雨林帯というのは土地が痩せているため、農業には不向きだ。


 これは、樹木が養分を吸ってしまうためである。アマゾン川なども下流部は氾濫により、土が入れ替わるので恵みを生む(ある程度の平地であれば)。しかし、上流部は違う。


 そのような土地では狩猟や採集が中心となり、大規模な農耕社会へ移行し難い。食料生産に生活のリソースが集中する上、余剰も無く、人々は密林の各地へ分散して住むしかなかったりする。


 大量生産による余剰力がないと、文明は頭打ちとなってしまう。故にマヤ文明は都市国家群から統一巨大国家への道が開けなかった。かつてはマヤ低地南部の熱帯雨林帯が先行したが、それらの都市は朽ち果て、マヤ低地北部へ移行する。

 

 結果として、未開の密林に阻まれ、白人の侵入に際しても、アステカ文明程の破壊が行われず、免れた。そのように考えると未知の存在はあえてそのような地を選んだのかも知れない。


 前久率いる公家衆たちが去った後も幕府の調査団は残り、道を作ったり、測量など含め、様々な作業が行われている。不思議な出来事は口止めされはしたが口伝えに広がり、幕府と日本人はククルカン(ケツアルコアトル)の使者と考えられ、改めてティカルは聖地になったという。


 マヤ低地南部を開発するため幕府は熱帯雨林帯の痩せた土壌でも育ち易い、タロイモ、サゴヤシ、とうもろこし(現代の品種)、キヌア、リマ豆、黒豆、緑豆、葛などを育てる計画を立てていた。


 焼畑を行い、拓いた土地へ、カバークロップ(被覆作物)として、豆類・葛・セスバニアなどを植え、地力の乏しい土地で窒素固定する方向だ。


 鶏や豚も大量に持ち込み、とうもろこしや豆類を飼料として飼育する。排泄される糞で堆肥が作られ、肥料となるなど、厳しい土壌での持続可能な農業を推進する予定だ。


 こうして、マヤの地は新たな時代へ向かう事になった。



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