第46話 毛利征伐
桜の咲く季節となった。竹子の体調は比較的良いようで、まずは安心。噂によれば信孝家中で比較的大身の家臣は必死で子作りに励んでいると聞く。
現在乳母の選定をしているが、このまま行けば、さらに2人目もあり得る。それを見込んで居るとか。乳母になって子供が乳兄弟ともなれば出世する可能性は高い。現に織田政権で3人居る家老の1人、池田恒興がそうだ。
さらに信孝家中の家老である幸田孝之も信孝の乳兄弟だから、当然狙う者は居る。何とも涙ぐましい努力と言えよう。本来なら家中全員で花見に行きたかったが、竹子の事を考えると難しい。そうかと言って過度な自粛をするのもどうかとは思う次第。
竹子の安産祈願と称し、限られた人数で近くの神社へ行く事にした。徒歩で30分も掛からない距離だ。五徳、茶々、初、江、奥取次用人、浅井方用人、室女中、奥女中、浅井方女中、堀江正成、小姓、馬廻などで20人強。
浅井三姉妹は桜が綺麗だと喜んでいる。神社でお詣りした後、境内の建物で食事となった。めはり寿司、稲荷寿司、いか飯だけであるが、いずれも当時存在しないはずの食べ物だ。
まず、めはり寿司は高菜を使う。平安時代の和名抄にタカナの記述がある。しかし現代における高菜と同じではない。何故なら現代の高菜は明治に輸入されたものが元となっているからだ。
アブラナ属を品種改良して白菜に近い物を作りたい広之は葉っぱ物の採集を行っていた。高菜に似た物を河内国若江郡の村で発見。それを塩漬け。中には梅干し、千切りたくあん、切り干し大根などが入っている。
稲荷寿司は、まず油揚げを特注し、甘辛く煮た。これに酢飯を詰め閉じない。上に様々な具をのせるタイプだ。鯛そぼろ、茹でた海老、煮飯蛸、椎茸の佃煮、煮蛤、錦糸卵、炒り卵など彩りも豊かである。
そして、烏賊飯はあおり烏賊で作った。箱を開いた瞬間、全員驚きの声。しかし、めはり寿司や稲荷寿司は皆手を出す。いか飯は見るだけ。無理やり江に食べさせると1個食べた瞬間に無言で2個目を取った。それを見た茶々と初もすかさず取る。2人も食べた瞬間、2個目。
それを見た他の者も我先に取る。結局、大人気であった。煮汁に秘密があって干した烏賊と干した牡蠣などで出汁を取り、醤油、砂糖、味醂、酢で味付け。
そのため味は濃く、風味も良い。酢により烏賊特有の臭みが抑えられて、旨味だけ引き出されてる。明日も食べたいとの声を多数頂いたが、こればかりは漁次第なので分からない。
この時代の有職料理もなかなかのものではあるが、味は至ってシンプル。間違っても烏賊飯など作らないだろう。恐らく哲普あたりが豪商などへ得意気に作って、市中に広がる可能性もある。
現に最近は切り蕎麦、茶飯、粕汁、天ぷら(あるいは白扇揚げ)などの店が市中に出来始めた。ともかく、烏賊飯については何だか北海道民に申し訳ない気持ちだ。
こうして、ささやかな花見から数日後、朝廷より丹羽長秀、徳川家康、毛利輝元の3人へ権大納言の宣下が出された。3人へは上洛するように内大臣織田信孝と関白一条内基から要請があった。
長秀と家康は即座に応じた、というか事前に知らされており、いつでも上洛出来るよう準備していたのである。毛利は代理人を送ると言ってきた。重ねて本人の上洛を強く要請。交渉しているうち、長秀と家康はいち早く上洛。
こうして毛利には上洛無用なり、との使者が送られた。これに驚愕した毛利は安国寺恵瓊と小早川隆景を大坂へ送り、必死の弁明するも輝元の上洛について濁す始末。
信孝は交渉破談にて手切れと断じた。そのまま29ヵ国に動員の大号令を発すると東は加賀、飛騨、美濃、尾張、伊勢、志摩などからも続々と大坂へ軍勢が集結。内大臣征西軍と称し、実戦部隊だけでおよそ15万の兵が動員される大規模なものとなった。
大坂には丹羽長秀、池田恒興、中川清秀、高山重友、細川忠興、稲葉良通(一鉄)、氏家行広、織田信包、織田長益(有楽)、河尻秀隆、毛利秀頼、九鬼嘉隆、仙石秀久、水野勝成、長谷川秀一、小西行長、堀尾吉晴、神子田正治、増田長盛、脇坂安治、加藤光泰、戸田勝隆、尾藤知宣。
信孝直臣で主な者は小島兵部少輔(信孝の異父兄)、長尾一勝、津田信兼(信澄の弟)、関盛信、三宅権右衛門。
大坂方面から備前や備中に途方もない物資が船で輸送され始めた。毛利からは何度も和睦の使者が訪れたが輝元の切腹と石見一国のみという条件であり、到底呑めるものではない。
致し方なく動員を掛けたが、国人衆の離反続出。伊予の小早川隆景は国人の不穏な動きに堪えきれず三原城へ逃げ出す他なかった。信孝が備中高松城へ達するまでに、堀秀政、宇喜多勢、幸田孝之、宮部継潤なども合流。備中の城はすべて戦わずして開城。
隆景は三原城に籠もり抗戦したが、信孝は約1万の兵を残し、郡山城へ進撃。輝元は郡山城に籠城。しかし、6月下旬異変が起きる。城内で降伏派が徹底抗戦派と戦闘におよび、城門を開いたのだ。
降伏派を主導したのは安国寺恵瓊で、以前からの手筈通り。輝元は降伏派に押し込められ、生きたまま信孝へ差し出された。信孝は改めて石見一国安堵、また隆景は伊予に替えて安芸と備後を与える。
吉川広家は大坂で人質となる条件だった。三原城の隆景も同意し、開城となり毛利は辛うじて家名を残せたのである。
「しかし左衛門殿(広之)よ、見事なものじゃな。お主の言う通り、簡単に上洛せぬ」
「これは権大納言様(長秀)、武士は対面を気にするもの。勢いに任せて領地を広げるのは容易くても趨勢を判断し、守りを固めるのは難儀。いま九州では島津、龍造寺、大友が戦っておりすが、あれ等も滅亡の淵まで行かねば上洛しませぬ」
「されば左衛門よ、まだ水無月じゃ。このまま九州はどうじゃ」
「上様、龍造寺は歴史通り沖田畷の戦いで敗北し、もはや虫の息。我らや先の公方様を無視した以上、攻めましょう。歴史では大友が勢いづき筑後へ進みまする。太郎右衛門殿(岡本良勝)には四国の兵で豊後へ上陸させ、そちらへ協力渋ったら雷神が(立花道雪)亡くなったあと処分すれば良し。我らは豊前から筑前へ進み、肥前と肥後を二手に分かれ攻めます。九州北部の国人はどこも不満を抱いており、島津も筑前守の時より力が弱い」
「分かった、細かいことはこれまで通りそなたに任せるとしよう。そたなは五徳殿が居らぬ間、息抜きも出来ようぞ」
「変わりなければ良いのですが。さて九州には、まず知行安堵した旧毛利の国人へ向かわせます。その間、細かく調べ予定作りますれば、本格的な上陸は1ヶ月後……」
「あいわかった」
こうして毛利征伐は難なく終わり、九州への侵攻を控え、信孝たちは広之の作る岩牡蠣料理で鋭気を養うのであった。
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