第100話 女直の姫、大坂を満喫する

 イルハは朝起きると身だしなみ整え屋敷内を周って挨拶するのが日課であった。西暦ではすでに12月となっており、日本人からすれば朝は相当寒い。


 黒竜江と松花江が交わる地域に住んでいたイルハにすれば、寒さの次元が別物だ。大河でさえ凍るような寒さである。大坂の北側を流れる淀川でさえ凍ることはない。雪も滅多に振らず冬場も新鮮な魚や野菜が手に入る。


 極寒の地で生まれ育ったイルハからすれば心地よいとさえ思えるほどだ。挨拶した後は馬小屋へ行き馬と戯れる。時折、馬に乗り散策することもあり、乗る馬は決まっていた。


 日本に狼は少し居るが虎と豹は居ないらしい。熊、鹿、狸、狐は居るようだ。許されるなら1度狩りに行ってみたい。幸田家へ時折来る於督に連れられ彼女の実家である徳川家へ行ったことがある。於督の父である家康は日本の東国随一の太守だという。


 彼は鷹狩りが好きで鷹を何羽も飼っており、大事にしている。その時、日本にも鷹狩りはあるのだと知り、驚いた。幸田家でもっとも飲まれている味噌は家康の生まれた三河というところで作られているそうだ。女直の民も醤は好きである。


 日本では汁にする他、何かへ付けたりするが驚いたことに豚肉、魚、豆腐を味噌へ漬けているではないか。女直の民は豚肉を醤へ漬込んで調理する事を好むし、醤に付けて食べるのも好きだ。


 さらに驚いたのは凍ってもいない魚を生で食べている。ホジェンでさえ魚を生で食べることは珍しい。普通は凍らせて食べる。


 日本人は魚の食べ方をよく知っている。保存するにしても、完全な乾燥、茹でて乾燥、焼いて乾燥、軽く干す、燻す、塩漬け、麹漬け、味噌漬け、糠味噌漬け、醤油漬け、酢漬けなど、あらゆる方法で長持ちさせたり、美味しくさせるではないか……。


 肉はあまり食べず、魚を好むらしい。汁を作る時も昆布という海で採れる草を乾燥させたという物を使う。また魚を茹でたり焼いて干したものも使っている。


 鯛という日本人が好む魚は骨を焼いて湯に入れていた。魚の骨まで使う。鮭も皮まで食べているし、魚についての扱いはホジェンも敵わいであろう……。


 馬小屋から戻ったイルハは五徳、初、江たちとお茶を飲む。茶の種類が実に豊富だ。これまで茶など数えるほどしか飲んだことない。そのまま飲む以外に粉で飲む。粉の茶は豆乳を加えたりもする。


 初と江の母親は五徳や将軍と同じ一族だが、父は片桐直盛の主君だったらしい。主君の名は浅井というらしいが、どうも五徳や将軍の父と筑前(羽柴秀吉)に討たれたようだ。


 女直も乱れ嘆かわしい状態になっている。日本も少し前まで争っていたが将軍によって鎮まったという。五徳の夫である幸田広之は将軍の偉業を支えた功臣らしい。漢人の国ならば丞相といったところなのだろう。


 この屋敷を訪ねて来る客の大半は将軍の重臣か家康のような太守であり、権勢たるや比類ないように思える。幸田広之は怖くもなく、横柄なところは無い。信用に足る人物だと信じたい。恐らく我が一族の命運を握っているはずだ。


 我が一族はウェジ部(渥集部)といってもフルハ部(虎爾哈)に近い。フルハ部はまだいい方だ。政治的には近年海西女直であるウラ国(烏拉国) の圧力が増すばかり。


 ウラ国の支配者ウラナラ家(烏拉那拉)は名門ナラ氏(那拉)の出身だが、同じナラ氏のハダナラ家(哈達那拉)が支配するハダ国に従属している。さらに蒙古であるハルハ部も我が一族の地へ訪れて狼藉を働く。


 しかし、どう考えてもウラやハダ、そしてハルハは日本に及ぶはずもない。我が一族とて名門ギョロ氏(覚羅)の端くれ。同じギョロ氏であるマンジュ国(満洲国)のヌルハチにも家柄において劣るとは思えない。


 兄上は他の家来と一緒に鉄砲や大弓の撃ち方を教わっている。鉄砲の破壊力は驚嘆すべきものだ。何とこれを我が一族に配ってくれるという。


 また日本の大弓は飛距離が長い。弩級も作っているらしい。兄上が言うには日本人は馬へ乗るが、戦闘は歩兵主体。そのため馬で移動しながら弓を射るのではなく、遠方より矢や鉄砲を放つのであろうと申していた。


「イルハ殿、朝ご飯の支度が……」


「カタズケマセヌ」


 今日の朝ご飯は鮭だ。味噌汁には野菜が沢山入っており贅沢である。米糠で漬けた野菜も少し酸味があって美味しい。


 食事が終わると日本の言葉を昼まで習う。簡単な言葉は少しだけ話せるようになった。しかし漢字と日本独自の字の組み合わせを習得するのは難しい。


 昼は鮭にじゃが芋、金時人参、牛蒡、蕪などが入った汁で、味噌味だ。酒の粕や豆乳も入っており、体によさそうである。そして、いよいよ大坂の街へ繰り出す。兄上たちは日本刀、槍、弓矢、鉄砲などの手ほどきを受ける。


 大坂の街は実に豊かだ。家の屋根は瓦で道も整っている。そこら中に川が掘られ荷物や人を乗せた舟の往来たるや混雑するほど。


 街中を棒や籠担いだ商売人たちが物を売って歩いている。飲食出来る店の数は驚くほど多い。そして茶房に寄るのが楽しみだ。


 幸田家でも飲めるが店の造り、女中や客など特徴があって、それぞれ傾向が異なる。甘味と言われる菓子も店によって違う。駕籠で移動する人も多く、担ぐ人たちは実に威勢がいい。しかし、あまり威勢が良すぎ揺れても困るだろう。


 駕籠を担ぐ人たちの身分が高いようにも思えない。それでも身だしなみは整っている上、時折茶店で休憩してはラテを飲んでいるではないか……。


 父上や他の兄弟が見たら仰天するに違いない。これだけ人が多い上、末端の者ですら砂糖を入れた茶を飲めるなどとは考えられないだろう。それだけ豊かで国力があるのだ。


 そして幸田家へ戻ると五徳たちが申の刻茶といって皆で集まり茶を飲んでいる。身分の高い家の女性ばかりらしい。取り仕切ってるのは五徳と茶々だ。茶々は初や江の姉で他家へ嫁いでいるが、ほぼ毎日出入りしている。


 普通なら怒られそうだが、夫である伊達政宗は幸田広之や将軍に立場上弱く、自由に出来るようだ。夕方に風呂へ入り食事となる。この日は鶏を揚げたものや鶏と野菜の煮物が中心だ。


 そして暗くなってから主人の幸田広之が帰宅し、風呂に入った後、自室へ入った。女中のお菊が酒と料理を運ぶ。台所横の部屋で同じものを頂く。お菊の姉であるお初があれこれ世話をしてくれる。


 鮭を乾燥させたもの(鮭トバ)、豆腐を麹(塩麹)に漬けて燻製にしたもの、魚の燻製(塩鯖)、湯豆腐、蕪の漬け物(塩麹漬け)、餅……。


 この鮭トバというものは実にうまい。酒が進んでしまう。父上の土産に持って帰りたい。鯖という魚の燻したものも酒のためにあるようなものだ。


 湯豆腐は熱すぎて食べにくい。お初は平気で食べる。哲普はご飯に豆腐をのせ醤油を垂らすと半熟の卵を入れた。さらに葱や鰹節という乾燥させた魚を削り、のせて食べている。果たしてうまいのであろうか?


 見ていたら同じものを作ってくれた。食べてみると実に美味しい。大体、哲普やお初の食べているものは間違いなかろう。そのくらい、2人共舌が肥えている。やはり日本は凄い国だ。


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