第108話 大坂寿司事情

 本来の歴史ならば、まだ安土桃山期であり、戦国時代の延長線上といえる。しかし、織田幕府が成立して以降は急速に法、制度、治安、商業などが整い、少なくとも半世紀以上は先を行っていた。


 織田幕府総裁幸田広之は、この速度で発展が進めば早い段階における大政奉還の可能かも知れない、と思うのであった。


 しかし、天皇を中心に国家国民意識を形作り強固な国となることはいい。問題は帝国主義国家として歴史をなぞることにも成りかねず、対外情勢との兼ね合い次第。


 当分は織田幕府の強みを活かし、人口倍増と農民を出来る限り底上げさせるべく注力するつもりであった。


 織田幕府においては2代将軍を三法師とすることで決定している。しかし織田家の当主はすでに三法師となっていた。


 柴田勝家の乱が終結した時、織田信孝は三法師を養子としている。柴田の乱以前から織田家宿老、織田信雄、織田信孝たちの合意により三法師が織田家の家督継承者と決まった。


 その後も変更は無く現在に至っており、織田家の正式な当主は信孝ではない。現在、三法師は12歳(数え)だが、形だけにせよ政務へ参加しつつある。


 最近は1人(お付は沢山)で幸田邸へ遊びに来ていた。浅井三姉妹も形式的には信孝の養子(茶々は嫁いだが)となっており、兄弟ともいえる。


 実際に三法師は浅井三姉妹へ懐いており、とりわけ歳がもっとも近い江を慕っていた。さらに広之の嫡男である仙丸は従兄弟ということもあり、仲が良い。


 幸田家(左幸田)はもはや織田家の一族に近い立ち位置であったが、影響力は政治に留まらず、文化や商業の発信元ともなっている。

 

 広之が運営する版元は活版印刷を武器に他の追随を許さなかったし、同じく薬種問屋も数々の定番人気商品で、他を圧倒していた。


 さらに茶を世に広めてもいる他、広之発案の料理は数多い。


 その中で現在大坂で流行っているのが寿司である。まだ握り寿司は無く、押し寿司、棒寿司、ちらし寿司、稲荷寿司、巻き寿司、めはり寿司、温寿司、海鮮丼など様々な形態がある。


 店は町奉行所へ届け出と許可が必要であり様々な規則が設けられていた。江戸前寿司同様、大半は煮たり酢で〆られている。


 使っていい寿司種や調理法も細かく指定されており、特に夏場は厳しい。


 寿司種は鯖、赤貝、コハダ、蛤、鮑、烏賊、蛸、海老、穴子、鰤、鯛、平目などが人気であった。


 現代でいうところの道頓堀界隈はすでに大坂有数の歓楽街だが、もっとも多い飲食店は茶店以外では寿司と天ぷらが双璧となっている。


 寿司や天ぷらの本家本元といえる幸田家においても無論定番だ。現在、もっとも寒い時期ということもあり、昼の定番は温寿司であった。


「五徳殿、昼食は新年明け初となる温寿司のようでございますなぁ」


「それは楽しみな……。良い魚が入ったのでしょう」


 お初から温寿司の仕度をしていると聞いた江は書類の決裁に追われる五徳へ耳打ちした。


 台所では寿司酢を作ったり、穴子を煮ているため、独特の匂いが漂っている。


 寿司酢は砂糖や塩が入れ丹念に煮詰めていた。煮ることでまろやかになる上、酢酸は熱に強い。濃度も高くなり米とも合う。


 穴子を煮るにも酢を加えてある。カルシウムを溶かす作用により、骨が柔らかくなるためだ。 


 数時間後、昼食となり蓋をのせた丼が運ばれてきた。蛤の吸い物、糠漬け、酢蛸も一緒である。


 五徳、初、江、末、福、仙丸、エドウン、イルハたちが揃っており、五徳が蓋を開けると皆それに続く。


「この香り……。食べる前から温寿司は格別」


「これ、初……。行儀が悪い」


 五徳は初をたしなめつつも思わず丼の中身が気になってしまう。


 本日の具は煮蛤、煮穴子、煮蛸、海老のうま煮、茹でシャコ、塩鰤、焼いた塩鰤、酢牛蒡、酢蓮根、錦糸卵など綺麗に盛り付けられており、蓋を開けた途端、香りと湯気が溢れ出さんばかりだ。


 エドゥンとイルハは何度か食べており、海の魚は苦手だが、相当なご馳走で、五徳たちもやや興奮気味なのは見て取れる。


 空気を読み、大袈裟な表情で場にあわせるのだった。


 一方、温寿司が初めてとなる福は戸惑いつつも、そのうまさに驚く。貴族どころの話ではない。三条西家での食事など幸田家の小者以下である。


 横目で初を見ると、いつも何かとうるさいが、一心不乱に食べていた。


 その頃、厨房では他の家中が食べる分を次々に蒸し上げている。流石に一斉の食事は無理なため、某ラーメン屋ばりのロット回しとなっている。


 お初は夜食で酒と一緒に食べるため仕込んだ食材を少し確保するのであった。

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