第107話 天正19年の正月

 年が明けて天正19年1月5日(西暦1591年1月29日)。元旦は織田家重臣や諸大名が集まり新年の挨拶。徳川幕府ほど厳格なものではなく内容的には緩めである。


 重要な儀式的は概ね三箇日で終わらせ、4日は将軍、参院、評議衆などが揃って京の都へ行き、天皇や三位以上の公卿に挨拶を行なった。


 本来であれば当然の事であるが、将軍としてはあまりに天皇や朝廷を立てるのは幕府の権威や権力を損ないかねない。


 しかし織田信孝や丹羽長秀は本来の歴史を知っているため、やがて消える武家社会や権威に固執する気は無かった。


 広之は三箇日の間、幕府、織田家、幸田家(幸田孝之のいわゆる右幸田も含む)の儀式に追われつつ、挨拶回りも行うなど忙しい。


 五徳、末、浅井二姉妹も何かと忙しかったが、例年通り家族や主だった家臣で住吉社へ初詣も無事に済ませた。


 正月の雑煮についても例年通り多数用意された。澄まし汁、赤出汁、白味噌、小豆、みぞれ(大根おろしが入っている)、餅巾着、豆乳、酒粕など、4日まで朝晩系8種類も出される。

 

 そもそも幸田家で作られる餅の種類も多い。白餅、黒餅、きび餅、豆餅、よもぎ餅など大量に作られ、奉公人たちは火鉢にあたりながら楽しんだ。


 正月は家畜の殺生をせず、漁師も海に出ないから、食べるものは限られる。餅、蕎麦、うどんは貴重な戦力となり、豆腐、塩魚、干した魚介類(鱈や鮑)、酢漬け、味噌漬け、ぬか漬けなども多い。


 5日になると幕閣も落ち着き、幸田家へ集まってきた。丹羽長秀、幸田孝之、岡本良勝、小島兵部、蜂屋頼隆、中川清秀、徳川家康、高山重友(右近)、蒲生氏郷、細川忠興、伊達政宗という錚々たる顔ぶれである。


「それにしても左衛門殿はまたもや男子に恵まれ、ますますお家安泰ですな」


 清秀が口を開いたが、諸大名の間で後継者は重要な問題であった。


 家康はいまだに後継者を秀康と秀忠のどちらか保留としている(腹は秀忠。秀忠は秀吉関係なく名付けた事にします)。


 五徳が徳川で産んだ娘(2人居る)を幸田広之の養女として送り込んで、今後の備えとすることも検討していた。


 しかし、そうなると秀康の家督相続への流れが出来かねない。秀康を分家させる手筈整えてからのほうが無難である。そのへんは広之との取引になる。


 円滑に話を進めるため根回しが必要だ。今春の遠征では秀康に本多忠勝を付けて送る。手柄を立てたら、そのまま独立させ追い出したい。


 長秀は嫡男が今ひとつ。150万石の太守足り得る器と言い難い。そのため万一の際、後継ぎに不足あれば大幅に所領を減封して差し支えなしと血判を信孝、広之、孝之の三者へ出している。


 頼隆は長秀よりもらい受けた養子が他界しており、後継者は未定。亡くなった時は領地を信孝へ返上すると申し出ていた。


 伊達政宗は未だに後継者が居らず少し焦っている。


 また家康は督姫を信孝の側室へ送り込んだが、さらに振姫を三法師の正室とするため画策。


 平和な時代が続けば問題ない。しかし沿海府の設立は女直、蒙古、明国、朝鮮との戦いへ発展する可能性があり、再び戦う機会も訪れよう。


 各自の前には搗きたての餅が椀に何種類並んでいた。紅餡(小豆)、白餡、黒餡(黒胡麻)、抹茶餡(白餡に抹茶)、みたらし、きなこ、胡桃、からみ(大根おろし)、納豆、あおさ。昼間ということもあり、お茶を飲みながらということで、甘いものが多い。


「ところで満州国民とやらは朝鮮の北側にあると聞き及んでおりますが、如何程のものでございましょうや」

  

 氏郷が広之に投げかけた。皆が気になっていることだ。 


「明と蒙古を半々にしたようなものでござろう。定住しており、馬に長けておるようですな。そのため移動が迅速。南から戦うのは厳しいはず。そこで満洲国の遥か北を固めつつ南へ向い、迎え撃つ形になりましょう。雪が城壁となる上、食料に乏しい土地柄、守りを固めれば、兵糧が続きますまい。満州国を治めるヌルハチの居城ヘトゥアラ(赫図阿拉)は明に近く、北から進むには遠すぎます。そこで朝鮮の北辺に城を築きヌルハチを誘い込み、打撃を与え、和睦を持ち込みたいところ……」


「そうなると満洲国を討つのが目的でないということですな」


「右近殿の申される通り。無理に討とうとすればこちらも被害は甚大。容易な相手ではござらん。恐らく昔の武田や上杉より手強いと言えましょう」


 武田の怖さが骨身に染みている家康は無表情ながら、手は小刻みに動いていた。


「女直の国人を助けるためだけならば、ちと大袈裟ですな。真意をお聞かせ願いたい」


 忠興が単刀直入に言葉を向けた。


「明国、朝鮮、女直と自由に貿易する事。まず明は紙幣を発行しておりますが刷りすぎている。そこで民は銅銭や銀貨を使いたい。されど銅や銀が枯渇しており、日本やイスパニアが頼みの綱。つまり兵糧攻めと同じ事を明に対して行っております。弱らせ最後の仕上げとして女直をぶつければ万事休すとなり、そこへ台湾から漳州へ進行し、明の対外拠点を占拠。そのあたりで和睦を結び、いくつかの湊を開かせ日本人の商いを認めさせます。そうであれば女直には明を倒すほどの力は付けさせず脅かす程度に……」


 あまりに壮大な計画に一同は声も出なかった。恐らくは広之の図面通り事は運ぶだろうと確信する他ない。


 続けて広之は、それにより日本はかつて無いほど豊かになって、民の数も増え、幕府や各大名は米で年貢を取る必要もなく格段儲かると説明した。


 こうして新年早々、各大名は震撼するのであった。




 

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