第311話 太郎姫対嶋子
嶋子、梶(英勝院)、松姫、菊姫、貞姫、小督姫、香具姫たちを出迎えた五徳は、幸田広之の帰宅が少し遅くなるので、茶を飲みつつ家臣の講談でも聞きながら寛いで欲しい旨、伝えた。登久、久麻、福(春日局)、仙丸、仙千代、そして太郎姫も一緒に聞く。
通された間にて茶を飲んでいると、怪談話では当代随一といわれる幸田家の家臣猪名川が現れ、語りはじめる。南朝方の武将新田義興の話だ。多摩川を渡る時、謀殺されるのだが、それに協力した江戸遠江守は恩賞として新たな領地を賜る。
新たな領地へ向かう途中に義興が謀殺された場所へ通り掛かった際、義興の亡霊が現れ、数日後江戸遠江守は死んでしまう。さらに謀殺の張本人である関東管領畠山国清の夢に義興の怨霊が現れた。
義興が地獄の徒卒を引き連れ、鎌倉公方足利基氏の陣を攻めようというところで目が覚める。この話は猪名川の創作ではなく太平記に出てくる話だ。江戸時代には東海道名所図会や東海道五十三対でも描かれている。
無論、猪名川が擬音やうめき声を加えながら話すので実に怖い。江戸遠江守が殺されるところや畠山国清の夢に出てくる場面では取り分けて臨場感溢れている。
「よ、義興〜。た、頼む助けてくれ。儂は鎌倉殿の命に従っただけじゃ。ぐわぁぁぁ……」
などと、絶叫しながらのたうち回るのだから、聞いてる方はたまったものではない。
流石の嶋子も顔を引きつらせていた。そもそも、自分の先祖が極悪人だ。殺される江戸氏にしても古河公方へ仕えた家柄ではないか。
しかも、登久と久麻は徳川家で育てられた五徳の娘だという。徳川は新田が祖だと武鑑で読んでおり、少し侮っていた五徳への警戒心が湧く。
「怨霊は怖いですのぉ。それにしても江戸遠江守殿だけでなく、畠山殿や鎌倉殿も呪い殺されてしまえば、なおよかったのに……」
「……」
太郎姫の現代SNSなら大炎上必至の暴言に、まるで通夜のような重い空気へ緊張感が走る。
「これはしたり……。鎌倉御前様への余興としてはあまりに失礼であろう。足利公方家を愚弄いたす気か。事と次第によっては、此方も引きませぬぞ」
菊姫が吠える。上杉家の未亡人だけあって、関東管領が卑劣な謀殺を企てる話に立腹したようだ。
「これは失礼でございましたなぁ」
「名乗りませぇ」
「近衛太郎と申します」
「……」
「つい口が滑りもうした。御祖父様より東国での話を良く聞いておりましてなぁ。古河城に相模北条の大軍が攻め寄せた際、戦わず公方とやらが関宿城へ逃げようとするのを御祖父様が止めるのに困ったと聞かされてましたもので、これはこれは失礼」
これが、噂に聞く次期将軍の正室候補かと流石に驚く嶋子たちであった。
騒ぎをよそに下がった猪名川へ五徳が小判を数枚渡す。
「流石じゃ、見事であった。妻子に何ぞ買ってやるがよい」
「御台様、有難きお言葉。もったいのうございます」
そこへ、広之が帰宅した。五徳から状況を聞き、思わず絶句したのはいうまでもない。大奥や江戸城へ移った後、女性陣の動きを何とかしないと大変だなと思いつつ、食事の用意をさせる。
今回のメインはおでんだ。豚バラ肉、餅巾着、がんも、油揚げ(ざぶとん揚げ風)、豆腐、鱧、鮪、さざえ、蛸、あおり烏賊、海老団子、薩摩揚、半平、竹輪、卵、ロールキャベツ、じゃが芋、椎茸すり身、蓮根挟み揚げ、海老巻き、蒟蒻、揚げ蒲鉾などだ。味噌ダレと生姜醤油も用意してある。
これ程、豪華なおでんは幸田家でも滅多に作らない。広之としては、普段江戸城で冷めきった食事を食べているらしい嶋子へ温かく美味しいものを気取らず食べてもらおうという配慮だった。
「ほぉ、これは酒が進みそうですなぁ」
太郎姫が大人たちをからかう。
「さあ太郎姫、これをお食べくだされ」
広之は海老団子、揚げ蒲鉾、半片、蛸、じゃが芋を取って差し出す。 太郎姫はから食べた。
「これは何と……。お昆布のお出汁に様々な具からお味が染み出し美味なる事」
近衛前久を真似て謡う素振りで愛嬌振りまく太郎姫に愛想笑いする東の女帝軍団……。嶋子も広之から、蒟蒻、半平、鱧、油揚げ、ロールキャベツを差し出され、無表情ながら内心は美味しさに喜ぶのであった。
梶(英勝院)、松姫、菊姫、貞姫、小督姫、香具姫たちも箸が進む。さらに、酒をおでんの汁で割った出汁割りが出される。流石の嶋子も思わず笑みがこぼれてしまう。その後も酒が進んだところで嶋子が口を開く。
「上方では東国の武士を侮ってるようじゃが、見込み違いも甚だしい。武士といえば坂東武者。源頼朝公、木曽義仲公、足利尊氏公、新田義貞公……。常に東から西へ進むと決まっておろう。此度は珍しく西から東でございましたなぁ」
「東京で頼朝公の如く旗を掲げるつもりでござりましょうや。将門公のようになりませぬようお気を付けなされませ」
五徳も応戦する。また始まったなと思う広之……。こうして和やかとはいい難いが皆でおでんを堪能しつつ、交流は深まるのであった。
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