第149話 金万福とちゃんぽん

 日本にも順応し、幸田家の台所で異彩を放つ金万福(一斉を風靡した中華の怪人は萬福です)。間もなく来日して1年5ヶ月を迎えようとしていた。日本への永住を決意し、故郷の家族は幸田広之の手配により、先ずは台湾へ脱国する予定である。


 その後、琉球経由で日本へ来日する手筈だ。さらに台北の料理屋で働いていた時に付き合っていた福建出身の女性と結婚すべく、プロポーズの手紙を送った(同じ店で働いていた女性である)。


 相手が了承すれば来年の夏にでも来日する予定とあって、ますます仕事へも熱が入る。


 金万福は自身の賄いなどで様々な料理を試しに作っているが、本来であればこの時代まだ存在しない中華調味料も多い。


 豆板醤(本来、唐辛子入りは豆板辣醤で別物)、豆鼓辣醤、XO醤(広之は海味醤と呼称)、柱侯醤、牡蠣油、コチュジャン、ウースターソース、シーズニングソース(そら豆の醤油)、マヨネーズ、ケチャップ、オーロラソース、タバスコもどき、七味唐辛子、コーレーグース、カレー粉などだ。


 豆板醤は無論、唐辛子普及後である(18世紀)。広之はそら豆の種子をイスパニア経由で入手し、今年収穫した。まだ食べれるまで半年から1年ほど掛かるが、完成すれば本式の四川麻婆豆腐に近いものを作れる。


 それでも八丁味噌、唐辛子粉、辣油、豆鼓、山椒、など使い、それなりの麻婆豆腐を作っていた。


 XO醤に至っては20世紀後半の代物であり、広之は金万福の作った金華火腿が食べれるようになったのを見計らい最近仕込んだ。


 材料は金華火腿、干し海老、干し貝柱、にんにく、生姜、干し椎茸、油、唐辛子、辣油、紹興酒、牡蠣油などを贅沢に使っている。


 他にも柱侯醤、牡蠣油、ウースターソースは19世紀の発祥だ。世界的に見ても現代のような料理が完成していくのは18世紀以降であり、調味料もその影響を受けていたりする。


 新大陸からの恵みであるトマト、とうもろこし、じゃが芋、唐辛子や東南アジアの香辛料、穀物肥育牛など普及していく過程において大きな変貌を遂げた。


 朝鮮半島でいえば昔は唐辛子や白菜も無い。今では考えられないがイタリアにはトマトは無かったし、欧州人で珈琲や茶が普及するのは17世紀以降。


 パンにしたって欧州人は昔から今みたいなパンを食べていたわけではない。そもそも寒い欧州では小麦を育てにくいため麦といえば大麦が代表だった。他にもライ麦、オーツ麦、スペルト小麦など寒い気候で育つ麦が中心だ。


 アルプスを舞台にした某作品だと、スイスの山奥で食べていた黒いパンはライ麦。大都会のウィーンで食べた白いパンが小麦であろう。


 あれが19世紀における欧州の田舎と都会の対比である。欧州では麦の製粉や焼き窯を領主が管理しており使用料を取られた。


 米などは効率を別にして、脱穀や精米が比較的簡単だ。しかも精米された米なら研ぐところから始めても40分以内には食べれる。まるで夢のような食べ物だ。


 さらにパン食が普及する前の欧州で主食といえば穀物の粥だったりする。硬いライ麦パンなどを食べていた時代の農民はスープに浸して食べていたそうだ。


 そういう意味合いにおいては東西を問わず現代と同じよう食事が大衆レベルで完成したのはせいぜい200年以内の話であろう。


 幸田家や日本においては食材と調味料の相乗効果により食文化の歴史が100年から400年程、時代を先取りしつつある。その恩恵を受けながら金万福は新境地を切り拓く喜びを噛み締めていた。

 

 好奇心旺盛かつ研究熱心な金万福は幸田家で初めて遭遇した豆板醤(現状ではもどき)、XO醤、豆鼓辣醤、柱侯醤、牡蠣油など使い、明国風の味わいとすべく研究に余念がない。


 広之からサラミに近い腸詰めを作るようにいわれ、こちらも試行錯誤の末、完成まで間近だ。


 麺類についても、ラーメンと明国風それぞれ極めろと指示されており、次々と新作が編み出されていく。


 しかし、どう頑張っても広之が考案するものには勝てない。炒飯や餃子も明の料理を改良したと金万福は聞かされた。炒飯は客に出すようなものではなく、料理と言えるかさえ微妙だ。


 なのに広之の作る炒飯は蟹ほぐし身と蟹味噌、戻した貝柱などをふんだんに入れ、そこへフカヒレスープが掛けられるという奇抜さ……。


 無論、美味いに決まっており食べた金万福は料理の出来る権力者の大富豪が本気で作ったものは凄い、と脱帽した。


 この炒飯は織田信孝へ出された際は、さらにエスカレートし、フカヒレスープに干し鮑や伊勢海老が入って、究極レベルへ進化。


 明国で皇帝に普通の炒飯を出せば間違いなく首が飛ぶ。しかし、この炒飯なら問題はなかろう、と金万福は思ったものである。


 餃子も普通は茹でるのが一般的だ。基本、焼かない。


 魚は日本人に到底及ばないと金万福は考えている。明では蒸したり、揚げて餡かけで食べる事が多い。


 日本は生、煮る、汁、鍋、焼く、揚げるなど多彩でどれも素材本位のシンプルさ。最初、焼き魚で米を食うのは違和感あった。


 醤油も明国人にとっては濃い。しかし季節毎の魚や味わいの違いとか実に多彩で塩焼きに少しだけ醤油をつけて食べるのは美味すぎる。味噌汁の味にも慣れた。


 ただ肉については絶対負けない……。そう思っていた。しかし広之考案の肉料理を食べるうち、自信が揺らぎつつある。


 明国に戻れば随一の料理人へ成れるだろうし、十分な富と名声が得られるはず。それでも日本に住み、料理の腕を磨く事を決意した金万福であった。


 そんな金万福だが、本日は哲普が休みのためメインの料理番として張り切っている。広之から麺が食べたいとリクエストがあり、その内容も伝えられた。


 金万福はいつも麺を作る時の鹹水でなく灰汁を使い麺を打った。それとは別に豚骨スープを朝から炊いている。これ以外にもお初が蒲鉾や薩摩揚げを作ったり、色々忙しい。


 具材も腊肉(中国版ベーコン)、海老、干し海老、烏賊、蛸、牡蠣、椎茸、蒲鉾、薩摩揚げ、九条葱、もやし、きくらげ、金時人参、さやえんどうなど盛り沢山である。


 豚骨スープも干し貝柱、干し牡蠣、干しあご、干しスルメ、鰹節などが加わえられていた。


 この他にも焼餃子、唐揚げ、韮玉、たたき胡瓜、家常豆腐などが並ぶ。


「広之殿、これはラーメンと少し違うようですが……」


「五徳殿、これはちゃんぽんと名付けました。万福の郷里では簡単な食事を喰飯(シャンポン)というとの事(諸説あり)。また炒めたり、油を使う料理をチャウ(炒)やチャ(炸)というらしいので、ちゃんぽんとした次第」


「何とも奇妙な名前ですな……」


 そう言いつつレンゲで出汁を口にした五徳の顔は笑顔だ。さらに初が声を発する。


「この出汁は豚骨に海の味が加わり風味の素晴らしさときたら……」


「姉上、確かにこの出汁たるや濃厚かつ磯の香り……」


 初と江の姉妹している。


「左衛門様、この麺はいつもより太いのもさることながら、もっちりして出汁に合っております」


「於菊、その麺は太さだけでなく作りが少しばかり異なる。その上、茹でる時の湯に油が入っておるから(本物のちゃんぽんとは異なります)、もっちりしていながら伸びにくいのじゃな」


 広之が得意気に説明する。イルハ、ナムダリ、アブタイたち3人も勢いよく食べていた。そこへ、お初が赤い味噌ダレを持ってきて差し出す。


 八丁味噌に粉唐辛子、味醂、麹、葱油、練り胡麻などを加えて作った味変調味料だ。


「汁が半分程となり、この味噌ダレを加えると実に美味……」


「少し辛いですが、これはなかなかのもの」


 五徳は気に入った様子。福は何もいわず餃子用の酢を入れて、食べている。広之は結構やるな、と感心した。現代で某ちゃんぽん大手チェーンへ行った際は必ず酢を加えたものだ。酢を入れることにより豚骨のくどさが中和されつつ、味に深みが増す。


 餃子、唐揚げ、韮玉、たたき胡瓜、家常豆腐も人気で、みるみるうちに減っていく。


 家常豆腐は本来四川料理であるが、牡蠣油を使って味付けしている。揚げ豆腐に豚バラ肉、椎茸、きくらげ、難波葱、金時人参、さやえんどう、陰干し大根を炒めたものだ(本物とは少し違う)。


 仕上げに珍念紹興酒、酢、胡麻油を使っており、風味とコクが増している。


 その頃、台所では金万福とお初がちゃんぽんの麺と家常豆腐の具を一緒に炒めたり、色々実験をしていた。また、ある者はちゃんぽんのスープと具をご飯に掛けたり、好き勝手やりながら楽しんでいる。


 こうして、ちゃんぽんの宴は続くのであった。

 




 


 

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