第80話 ヴァリニャーノ来日

 幕府は発足当初から、署名文書の改ざんを禁ずる法を発布させていた。現代でいうところの文書偽造罪である。これは現代で言うところの天正遣欧少年使節が帰国することを踏まえた処置であった。


 春頃に置きた豊後騒動の仕置において幸田広之はイエズス会士オルガンティノへ天正遣欧少年使節に関する疑義を唱えたのも文書偽造罪への布石だ。


 イエズス会がヴァリニャーノへ手回してアリバイ工作を画策しても南方への船は夏以降の出航(ポルトガル船なら高度な技術で貿易風に頼らなくても進むことは可能であろうが、今出入りない)。つまり夏頃来日するヴァリニャーノたちへ間に合わない。


 イエズス会に対する幸田審問も今から約2年前の9月。マカオへの知らせを持った船が出たのは昨年の秋。長崎からゴアまで1年以上は掛かる。


 つまりいくら幸田広之がオルガンティノを問い詰めたところでヴァリニャーノはゴア出港の時点で幸田審問のことさえ知らない。


 恐らくはマラッカからマカオへ向かう途中のどこか、もしくはマカオで幸田審問、豊後騒動、オルガンティノへの質問を知ったはず。イエズス会の中では知日派かつ日本人へ寄り添ったほうであり尽力してきたのは疑いない。


 それだけに衝撃的な知らせだったはず。日本行きを中止することも検討したはずだが、それでは容疑を認めたも同然。逃げるわけにも行かずイエズス会への責任から決死の覚悟で日本へ向かった。


 ポルトガル商船や明の商船が日本へ向かわない以上、幕府御用船に乗船する他ない。幕府はイエズス会への特例的な配慮として乗船無料となっている。


 こうして織田幕府御用船に乗船し、日本へ向かったヴァリニャーノたちは琉球を出たあたりから幕府役人より連日取り調べを受けた。


 大友義鎮(宗麟)に生前、不龍獅子虎という署名は使ったことがないことや花押の確認もした。その上でフェリペ2世から証拠である署名や花押の押された親書を貸して貰えるよう交渉中だと伝えた。


 使節となった少年たちに対する取り調べも行われた。現代なら法が出来る前の罪を問うのは問題外。一応、ポルトガルへ着く前に法が施行されたという理屈である。相当、苦しい事は否めない。


 だが、自白しなくても黒なのはほぼ間違いないので、相手に疑っているか、知っているという圧力を掛けるのが第一である。


 こうして薩摩へ向かう船上でヴァリニャーノは現代でいえば文書偽造罪や詐欺罪に該当する罪状により容疑者として緊急逮捕された。逮捕といっても形だけ。特別待遇での護送だ。


 大坂へ同時期に南方諸国やイスパニアのフィリピン総督からの使者が向かっており、これらにやや遅れた。大坂に着いたヴァリニャーノは驚愕。日本の街としては、これまでにないくらい整備されていた上、人口は15万人を超えている。


 印象的だったのは、まだ人が住んでないような外れの場所にも大きな道路や堀が通っており、都市開発における計画性を感じた。およそ自分の知っている日本人の場当たり的な無計画さは微塵もない。


 ヴァリニャーノが西暦(ユリウス暦)1582年2月18日、日本を出てから定期的に入ってきた情報は激動と呼ぶに等しかった。


 数ヶ月後、織田信長が呆気なく討たれ、三男の織田信孝が約3年という短期間で天下平定。その過程で、あろうことか有馬や大村は滅ぼされてしまう。


 征夷大将軍という武家の最高位に上りつめた織田信孝は天正諸法度を発布。日本より送られた翻訳文を読んだヴァリニャーノは驚嘆する。


 欧州並の法的な知識、思想、哲学を背景にしていることが読み取れたからだ。もはや、かつての日本ではない国へ移行したといえよう。


 まるで奴隷のように哀れだった日本人が法秩序により、解き放たれ生活しており、例え大名であろうと戦争以外で人を殺すのは禁じられたというのは衝撃的だ。


 そしてイエズス会士から直接聞いた話では幕府総裁の幸田広之という男はポルトガル、イスパニア、欧州のこと全て知っており、貿易、布教、領土支配の一体化を正確に理解しているという。


 しかしイエズス会の布教は天正諸法度により認め、迫害をするわけでもなく、活動自体は可能。それにしても大友義鎮(宗麟)の署名や花押を偽造したのは我が人生最大の失敗だと自己嫌悪する他無かった。


 

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