第245話 ゴア陥落
織田信勝(織田信長六男。史実では信長の父と同じく信秀。通称:三吉郎)が艦隊を率いてジブチへ向かったのは昨年12月の事だ。
長尾一勝(織田家家老)と竹中重門(竹中半兵衛の家督相続者)たちは、昨年にバンコクへ来航。そのまま、昭南経由でヴィジャヤナガル王国のチェンナイ(マドラス)へ向かった。
チェンナイには数年前、脇坂安治が来航して以降、昭南(現シンガポール)経由で幕府の艦隊や商船団が幾度となく訪れている。そして、少し前には織田信勝と池田輝政までやってきたのだ。
ヴィジャヤナガルの王、ヴェンカタ2世の喜びようは尋常ではなかった。長尾一勝たちは王都チャンドラギリへ招かれ盛大な歓迎を受けたのである。ヴェンカタ2世は脇坂艦隊、信勝艦隊、長尾艦隊がヴィジャヤナガルの北西にあるビジャプール王国を攻める事を期待したのだ。まさに千載一遇の好機である。
以前から、ヴェンカタ2世は自身の臣下を織田幕府の使節団に随行させ、ムガル朝と通交してきた。ムガル朝も勢力を拡大するムスリム国家には手を焼き共通の敵でもあったからだ。
インド南部のデカン高原にはデカン・スルターン朝ともいわれるムスリム五王国が興った。ビジャプール王国、ゴールゴンダ王国、アフマドナガル王国、ビーダル王国、ベラール王国を差す。
しかし、ベラール王国はアフマドナガル王国に敗れ、西暦1574年頃滅亡してしまう。これより、少し前の西暦1565年、ヴィジャヤナガル軍は五王国軍との戦いで大敗。時の国王ラーマ・ラーヤも捕らえられて死んだ。
この大敗により王都はヴィジャヤナガルからペヌコンダへ移される。しかし、このペヌコンダもビジャープル王国に包囲されるなどして、西暦1592年に現在のチャンドラキリが王都となった。安治が来訪した時は、チャンドラキリが王都になる直前である。
国情が安定しているはずもなく求心力は弱い。各地のナーヤカ(大名というか守護のようなもの)は半独立状態だったりする。そのへんは後期の室町幕府を思わせる。凋落途上のヴィジャヤナガル王国であるが、ヴェンカタ2世は名君とされており、宗教にも寛容で、善政を敷いていた。
ゴアは元々ヴィジャヤナガル王国の領土内でありコジコーデ(カリカット)含めて、幕府の侵攻および、占領後の租借をヴェンカタ2世は認め、ポルトガルを見限ったのである。
幕府御用船がもたらす豊富な商品はポルトガルを圧倒していた。さらに、日本は明国と条約を結び対外貿易を独占した事も知っている。その上、カンボジアを支配し、シャム、バンテン、ジョホールなどに優越的な立場だ。
オスマン朝とも友好関係にある。しかも、訪れる日本人たちは宗教に寛容であり、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教の何れであっても尊重しているのを見たヴェンカタ2世は信頼に足る、と評価した。
それに比べるとポルトガルはゴアで改宗を強要したり、異端審問するなど横暴さが際立つため、良い印象がない。ヴィジャヤナガル王国内でも隙あらば布教しているが、他宗教の否定とワンセットだ。今年も幕府の御用船が大量に来るのを見たヴェンカタ2世はポルトガルを切り捨てる事で決した。
さて、インドの北部を支配するムガル朝だが、歴史は浅く70年弱の新興国である。創始者のバーブルはウズベキスタン出身であり、ティムール朝の王族だ。サファヴィー朝やオスマン朝からの援助を受けてインドへ侵攻したのが始まりである。
ムガルとは、モンゴルを意味するペルシア語のムグールが転訛したもので、モンゴル人の国という意味だ。これはあくまでも他称であって、自称はヒンドゥスターンと考えられている(定かでない)。
バーブルはティムールの玄孫(孫の孫)であり、5代目の直系子孫に当たる。母はチンギス・ハーンの次男の家系であるチャガタイ・ウルスの君主ユーヌス・ハーンの王女クトルグ・ニガール・ハーヌムであり、文字通りのモンゴル人といえよう。
かつて中央アジアを席巻したティムールはダマスカス占領の際、約1万人の幼児を捕虜として連れ去り、全て軍馬に轢き殺したと伝わっている(誇張はあるだろうが、モンゴルに関してこんな話ばかりである)。人類史に与えたモンゴル人の破壊と暴虐は事欠かない。
ムガル朝はいわゆる侵略王朝であり、基盤が強固とは言い難く、この時代のインドは流動的だ。ムガル朝が南部へ拡張していく過渡期といえる。その煽りを受けているデカン高原だが、幕府はそこへ割って入ろうとしていた。デカン高原は綿花栽培に適した土地であり、これを東西に輸出すれば莫大な利益となる。
ヴェンカタ2世からの援軍も得た長尾一勝と竹中重門たちは、チェンナイを出港し、先ずはコジコーデを制圧。続いて、ゴアへ着くと、ポルトガル艦隊を殲滅し、陸戦でも圧勝。ゴアを陥落させたのであった。
ポルトガル人の資産は全て接収の上、沖合の島に移送された。かつて弾圧してきたムスリム住民が潜んでいる島だ。日本人が去った後、消息は途絶えたという。
ゴアを占領した幕府軍は直ちにビジャプール国の王都へ進撃。ゴアからは直線距離でおよそ150km程だ。こうしてビジャプール国の王都を制圧し、致命的な打撃を与えたのであった。
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