第117話 幸田家の武術

 唐突であるが幸田広之は大の格闘技マニアだった。ボクシング、キック、MMA、相撲などは相当精通しており、自身も空手とブラジリアン柔術の経験者で、そこそこ腕が立つ。


 この時代では競技化してるのは相撲だけ。本当はMMAを広めたいところではあるが、やはり危険極まりない。


 アキレス腱や靭帯は簡単に損傷するし、骨折など含め、手術出来ない以上、大怪我は厄介だ。


 古代ローマのコロッセオじゃあるまいし、そんな事は流石にさせることが出来ない。


 相撲にしても顔面への張り手や喉輪、打撃性の強いけたぐりなど現代相撲より禁じ手は多かったりする。


 柔術については、系譜を遡ると竹内流へ行き着くとされており、派生は戦国時代だ。流祖竹内久盛はまだ生存しているどころか、竹内家は幸田孝之に仕えていた。


 竹内家は美作国垪和を拠点とした垪和氏の系譜であり、天文元年(西暦1532年※ユリウス暦)に竹内久盛は流派を創始。


 竹内久盛は宇喜多直家と戦うが敗れ、播磨国三木城の別所長治に仕えた。その後、別所氏から離れ美作へ戻り、新免無二(宮本武蔵の父)に仕える。


 新免無二も現在幸田孝之の家臣だ。また、広之の家臣である怪談の名手猪名川は丹波国人大名波多野氏へ仕えていた。


 しかし明智光秀に攻められ没すると、一時別所長治へ仕えており(その後、丹波に戻り、明智光秀の家臣となる)、そこで竹内久盛から手ほどきを受けている。

 

 猪名川は武芸に関しては家中においても一目置かれるほどの腕前であった。


 竹内流は小具足(甲冑を付ける前の状態。桃太郎のような格好)で腰の廻りに帯びるものを用いて相手を制圧する技法だ。


 小太刀を片手で扱いつつ、空いた片方の手で、相手を掴み、投げ、当て、極めたりする。そこから発展して柔術へ繋がって行く。


 無論、天正19年(西暦1591年)時の段階では、後の柔術と大きな隔たりがある。


 競技としてのMMAは諦めた広之だが、警護についての必要性から超実践的な護身術を編み出していた。


 過剰防衛でマスコミや人権活動家に騒がれる事もないため、ほぼ殺人術である。

 

 いかに肉体を破壊し、無力化するか。狙うのは常に急所。カーフキックも馬廻りや小姓に広之が教えた。


 ふくらはぎのヒラメ筋や腓腹筋と呼ばれる薄い筋肉を破壊するわけだが綺麗の決まれば立っていられない。


 広之は防御の方法も教えた。膝や脛などを向ける。攻撃した方は一歩間違えば骨折してしまう。


 膝の靭帯を一瞬で破壊するヒールホールドなども伝授している。


 そうはいっても、この時代に襲ってくるやつは間違いなく刃物を使ってくる。1人ならまだしも集団で襲われたら護るのは厳しい。


 広之が大坂城外へ出る時、護衛数名は“さすまた”を持っている。


 大坂の場はあちらこちらに交番が設置されており、織田家の家臣が詰めている。要人が外出となれば各地区の交番から動員されるので、そうそう暗殺計画は起こり得ない。


 だからといって油断は禁物。広之は2023年から転移しており、首相暗殺事件もリアルタイムであった。


 そんなある日、広之は春の大相撲大会に向けて猛稽古を行っている織田家の相撲部屋を訪ねた。


 禁じ手は多いが、流石に稽古は凄まじい迫力だ。朝稽古が終わり食事の時間である。今日は幸田家の料理人たちが作った。


 軍鶏鍋、鶏の唐揚げ、鰆の塩焼き、筍の土佐煮などが並べられる。巨漢の力士たちは鶏の唐揚げへ次々と箸を伸ばした。

 

 続いて軍鶏鍋を汁ごとご飯に掛け、流し込む。鰆の塩焼きもご飯が進むようだ。1升ほど食べる力士がざらである。


 筍の土佐煮はまるで、食後のデザートのようであった……。

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