第360話 幸田広之対サンジェルマン②

 サンジェルマンは確信していた。目の前に居る幕府の最重要人物……。幸田広之が自分と同じく過去に紛れ込んだであろう事を。自分の居た時代の歴史と全く異なるのだ。


 最初は日本の話を聞いても、この時代の日本はそんなものであろうと見過ごしていた。しかし、エジプトに日本人が拠点を築き、オスマン・トルコと友好関係を結び、フランスへ接近してきたのだ。


 さらに、大量の船や大砲を発注してきた。イエズス会士から聞いた話では、戦乱状態だった日本が統一されて以来、急速に法・体制・度量衡・金融・貨幣が整い、目覚ましい発展を遂げているという。


 ならば、エジプトあたりへ到達してもおかしくないと思っていた。日本はかつて世界有数の海軍を擁立した海洋国家だ。貿易風や季節風などを把握すれば、そう難しい事ではない。


 しかし、地の果てから大規模な軍勢、モロッコ沖から大艦隊が押し寄せ、瞬く間にフェリペ2世を倒した。しかも所持している火器は16世紀の物でない。戦い方もナポレオンの時代さながら。いや、それ以上だった。


 島嶼状陣地や反射面陣地、洗練された野戦陣地の構築や敵陣突破、補給体制など、何れをとっても近代知識が無ければ不可能なレベルである。


 これらの背景に日本の首相というべき幸田広之が深く関与している事を知った。日本に行って確認するべく、近衛前久へ近づき、機会を得たのである。


 近衛という名前を聞いて驚いたのはいうまでもない。戦前、政党政治の終焉期に颯爽と現れ、新体制運動を主導し、日米開戦へ誘った稀代のポピュリストである近衛文麿の先祖であろう事は察しがついた。


 日本は、まるで国連のような組織を作ろうとしたり、「信仰の自由」「奴隷制度の根絶を目指す」「女性の人権向上」などを憲章として掲げている。


 また特許や著作権に取り組むなど驚愕する他ない。戦前の日本が道を誤るきっかけになった満州や北支も固め、華北全体を経済圏として取り込みつつあるらしい。


 それだけに留まらず、南アジア、印度、アフリカ、アメリカ大陸、オーストラリア、シベリア、中央アジアなどへ手を伸ばしているらしい。歴史上最大の世界帝国が誕生する瞬間に立ち会ってるのだ。


「大納言様はそれがしと同類のようでございますな」


「何年生まれなのじゃ」


「西暦1938年でございます」


「第二次世界大戦前か。如何にして、この時代へ……」


「それがしは民族学者でございまして、ニューギニアのイリアンジャヤへ調査に行き、船(ポンツーン)が故障したため、陸まで泳ぎました。しかし、部族に捕まってしまい、気がついたら16世紀のフランスへ飛んでいたのです」


「もしや、マイケル・ロックフェラー殿か」


「如何にもマイケル・ロックフェラーでございます。よく、それがしだと分かりましたな」


「いや、分かるもなにも、そなたは喰われた金持ちの息子として有名であろう。書籍にもなっておる」


「父は……」


「残念ながら大分昔に亡くなられておる。そなたを捜し出すため尽力したようであるが……。その後、アメリカの副大統領にもなっておる。現在のロックフェラー家当主は、そなたの従兄弟であるデイヴィッド・ロックフェラー・ジュニアじゃな」


 その後、広之はマイケル・ロックフェラーが消えた後(1961年以降)の歴史について説明した。


「ソ連や東側諸国が崩壊したり、中国の発展、インターネット、スマートフォン、AI……。信じ難い話ではございますが、核戦争(キューバ危機はマイケルが消えた翌年)も起きず、貧しかった国々も豊かになりつつあるのは結構な事」


 広之は自身が如何にして、この時代へ迷い込んだのか説明。時折、現代へ戻っている事に驚くサンジェルマンことマイケル・ロックフェラーであった。


「そなたと儂が同じ論理で過去へ迷い込んだのかは分からぬ。されど、儂の場合は現代に居られるのは3日が限度らしくてのぉ。もしよければ、例え3日でも行ってみぬか」


「多少、興味はありますが、未練は然程ございませぬ。それがしは既にこの時代で人生を全うする所存。正直に申せば、此方は天国。民俗学の研究をするのにこれ以上の環境はございますまい。大納言様や幕府のなされている事を邪魔立てする気はありませぬ」


 この後、サンジェルマンは人間社会をマウスの実験であるかのように語りだした。さらに、無神論、無政府主義、ガイア理論のような話となり、金持ちの葛藤なのだろうかと広之を困惑させたのである。


 それでも、欲しい書籍など多数ある上、広之の手助けになればと現代へ一時的に行く事を承諾した。


「それにしても何故サンジェルマン伯爵の真似をしたのじゃ」


「殆ど丸裸同前の身。農家に助けられた次第。歴史については、この時代の人より当然詳しく、サンジェルマンを思いだしました。それこそ、見てきたように語れます。お陰で頭がおかしい、いや嘘つきなどの謗りを受けつつ、貴族や商人へ取り入って、生活に不自由はしておりませぬ」


「よく考えたものじゃ。さて、これから日本で如何いたす」


「それがしは現代に居た頃より日本民族なるものへ興味を抱いておりました。この時代の日本各地は完全に標準化されておらず、またアイヌや沖縄の人たちも日本化はまだ完全とはいえませぬ。離島なども巡ってみたいと思います」


「良かろう。便宜は図る故、何なりと申うせ」


 こうして、広之とサンジェルマンの歴史的会談は終了したのであった。



◆マイケル・ロックフェラー

スタンダード石油創業者ジョン・ロックフェラーの曾孫。ハーバード大学で民族学を専攻し、ニューギニア・イリアンジャヤの部族を研究しており、現地調査中、消息不明となる。実際のところ宣教師などの調査では、部族に捕まり、殺されて食べられた可能性が高いというが決定的な証拠は無い。


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