第359話 幸田広之対サンジェルマン①

 大坂は最近、ある男の話で持ちきりだった。名はサンジェルマンという。近衛前久がフランスで意気投合して連れてきた人物だ。


 日本へ上陸した際に作られた人別帳によればサン・ジェルマンとある。ジェルマンはフランス語読みだが、英語ならジャーメイン、イタリア語でジェルマーノ。


 ジェルマンはラテン語のゲルマーヌスに由来しておりゲルマンを意味している。サンジェルマンになると聖ゲルマヌスという6世紀のパリ司教と同じだ。


 サンジェルマンの人別帳を見ると出生国欄・国籍欄・民族欄・母語欄もフランス。これだけなら普通のフランス人である。しかし、言語欄はフランス語以外に、ラテン語・イタリア語・イングランド語・ドイツ語・イスパニア語・ポルトガル語・ギリシャ語・日本語などが並ぶ。


 日本語は前久たち一行に加わって以降、不自由なく話せるレベルへ達したというのだから信じ難い。疑わしいが、驚くべき事に実際問題なく話せるのである。


 同じ船に乗っていたドイツ語圏の者、イタリア語圏の者、イスパニア人、ギリシャ語の話者と問題なく話していたという証言もあり、幕府では通訳・翻訳の人材として白羽の矢が立ったのはいうまでもない。


 しかし、複数言語に堪能な場合は間者(スパイ)の可能性があるため注意警戒対象者となり、一定の観察期間を設ける事となった。


 サンジェルマンは毎日尾張堀界隈に現れる。風貌が白人であり、くせのない流暢な日本語を駆使。博学にしてユーモアに溢れた会話はたちまち評判となった。お国は何処か問われれば丹波生まれなどと答える。


 大坂町奉行所の同心が職務質問しても、幕府発行の在留者手方を所持。さらに近衛前久が身元保証人とあっては平謝りで詫びる他ない。


 無論、平同心の知らぬところで、幕府内務省警保局外事課第十係が尾行している。公安局の内情を平同心が知るはずもない。外事課に関与出来るのは、保安課、警保局、内務省、外務省、幕府御庭番衆、織田家目付奉行、幕府総裁、織田家家老などだ。


 外事課の責任者はサンジェルマンについて報告を受けており、その話は幸田広之の耳へ入った。サンジェルマン、数ヵ国語に堪能……。これらを聞いて、サンジェルマン伯爵が頭に思い浮かんだのはいうまでもない。


 ある日、広之は供廻りと康蘭玲の茶荘へ待機しつつ外事課第十係の密偵からの報告を待っていた。康蘭玲も広之の相手をしている。


「旦那、異国人を付け回すとか穏やかじゃないね。いっておくけど、私は明や陳徳永の間者でないし、濡れ衣はまっぴら御免だよ」


「イルハやアブタイは疑っておるやも知れぬが、万一お上に捕えられた際は、儂の名を出すでないぞ」


「薄情者、その時は自分で何とかするさ」


「殿、密偵からの報せでございます。例の者が現れた由」 


「儂の名を告げて構わぬから連れて参れ」


 ほどなくしてサンジェルマンが部屋に案内されてきた。康蘭玲や家臣や席を外す。全く緊張するわけでもなく、友達のような軽い感じだ。それでいて、なれなれしいわけでもなし。どことなく気品と知性を漂わせている。


「サンジェルマンと申します。お目にかかれ恐悦至極に存じます。本日、それがしをお招き頂きましたるは、如何なる御用でございましょうか」


「誠にフランス生まれのフランス人で1年にも満たぬ日にちの日本語とは思えぬ。イエズス会士として日本へ来た事もないのだな」


「はっ、日本へは初めて参りました」


「まあよい、何ゆえ郷里より遥か離れた日本まで参ったのじゃ」


「この目で東の果てにあるという、日出る国を見たかったのです」


「つかぬこと事を聞くが、そなたはソロモン王、シバの女王、リチャード1世、アレキサンダー大王を如何様に思う」


 これらの人物は史実におけるサンジェルマン伯爵が会ったと吹聴した(とされる)人物である。広之が尋ねると笑顔を絶やさなかったサンジェルマンの顔が硬直していく。


「それがしが酔いに任せ、適当に話した事ですな。しかし、日本人には話した事などございませぬ。よもや大納言様のお耳にも入ってるとは存じませんでした」


「虚言であったか」


「書物で読んだ話を人に語る時、つい見てきたような口振りになってしまいます」


「然様か。儂も悪い癖でな、酒を飲むと予言などしてしまう」


「予言でございますか」


「向こう百年くらいの予言、いや虚言というべきか。アンリ4世やチャールズ1世の悲劇、ネーデルラントのチューリップ相場暴落、30年戦争、ナントの勅令、奴隷貿易、ピューリタン革命、ペストの流行、ケプラーの法則、アイザック・ニュートン」


「やはり……。貴方は一体何者でしょうか」


「酔狂な予言者の虚言じゃ」


「もし、その予言をそれがしも存じあげていたら、如何いたします」


「酔狂な予言者として扱うまでじゃ。立場は儂の方が上である。そなたから先に申せ」


 こうして、サンジェルマンは己の素性を静かに語り始めた。※次回、第360話に続きます。


◆幕府内務省警保局外事課

第零係  外事課他係の者も詳細を知らない

第一係  庶務、統括

第二係  検閲、分析

第三係  対明国防諜

第四係  対女直蒙古防諜

第五係  対朝鮮防諜

第六係  対琉球防諜

第七係  対東南亜細亜防諜

第八係  対印度防諜

第九係  対オスマン朝防諜

第十係  対欧州防諜

第十一係 対ペルシャ係

第十二係 対アフリカ係

第十三係 対新亜係(アメリカ大陸)

ハプスブルク家対策室

イエズス会対策室

ローマ教皇対策室

不正貿易対策室

海賊対策室


✾数ある作品の中からお読み頂き有り難うございます

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執筆する上で励みになりますのじゃ🙏

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