第358話 欧州の学問と知識人たち

 マヤの石盤を安置するための神社図面も完成し、やや落ち着いた幸田広之であった。それにしても近衛前久の連れてきた人物で驚いたのは、ガリレオとケプラーだ。


 算術、幾何学、天文学、医学、法学などの専門家を片っ端から集めるよう命じてあった。しかし、ガリレオはヴェネツィアの支配領域、ケプラーはオーストリアへ在住しており、制約があるため、接触出来なかったのだ。


 前久たち一行は敵国ともいうべき神聖ローマ帝国領内やヴェネツィア(敵国ではないがハプスブルク家の目がある)など好き勝手に放浪しながら勧誘するという快挙を成し遂げた。まさに大手柄である。


 広之はガリレオとケプラーの存在を考えても当時の欧州や中東の学問レベルが日本とは比較にさえならないという現実へ気が滅入った。しかし、それが現実だ。


 欧州で名門といわれる大学の多くは、この時代存在していたりする。16世紀当時で創立から3世紀以上経過している大学など普通にあった。


 神学部、法学部、医学部、哲学部が存在する。神学部、法学部、医学部が上級三学部であり、哲学部は現代でいうところの一般教養課程的な扱いだった。


 リベラルアーツは教養学部=学芸学部=人文学部などと訳される事もある。この時代の哲学部は後にドイツの大学などで普及した哲学部とは異なっており注意しなければならない。

  

 ともあれ、神学部、法学部、医学部へ進むには哲学部で自由七科(リベラルアーツは自由七科に起源を持つ)を修める必要があった。自由七科は言語系の三科:文法、弁証法(論理学)、修辞学。数学系の四科:算術、幾何学、天文学、音楽からなる。


 こんにちにおいて幾何学は数学であるが、この時代、数学はまだ発展段階のため、算術と呼ぶべきであろう。その上で算術と幾何学は別扱いだ。


 そのため、広之の意を受けて、幕府が求めていたのは法学部と医学部を卒業した者であり、哲学部だけの者は基本的に不採用だった。


 これまで、広之はイエズス会士や欧州からの訪問者と接した感想として、哲学部しか出ていない者は能力的に疑問を抱いていたからだ。


 ともかく、広之は日本人にありがちな実用的な解決法でなく体系的な理論を強化すべきだと考えており、犬神霊時や竹原元教授なども同意している。


 日本人は職人気質といえば聞こえはいいが精神論、熟練した匠の技、勘に頼りがちだ。さらに減点方式のためパワハラとの相性がすこぶる良い。


 日本社会や日本人の良さを否定する気はないが、もう少し理論ありきで、契約の尊重や法治を押し上げたいと思う広之だった。結果的にこうなった、ではなく理論上こうなる、という形を構築するため、やはり欧州や中東の学問が必要なのだ。


 ケプラーなどはカトリックとプロテスタントの対立が激しかった神聖ローマ帝国内の出身である。彼の家もプロテスタント系だ。実家は飲み屋でかなり苦労して学者の道へ進んでいる。


 そのため、将来的にはイングランド、フランス、神聖ローマなど、現代でいえば英仏独のプロテスタント系学者を大量招致したいと広之は考えていた。


 現在、織田家家中の師弟(家臣や一部の陪臣などの)を対象とした学堂を創設し、6歳から18歳まで原則全て通うことを義務付けている(織田信之など極一部は除外)。これはイングランド=英国のグラマースクールを参考にしている。


 また、本家グラマースクールは7歳から14歳までの男子だけを対象としているが、織田家の学堂は女子用も用意されており、進んでいた(基本15歳まで)。


 本家グラマースクールでの学習内容は、ラテン語の修得(主に文法)、修辞学、論理学、宗教などを学ぶ。織田家の学堂では現代でいうところの国語と社会、簡単な算術が中心だ。


 ちなみに、一般の庶民はいわゆる寺子屋などへ通う。幕府が指定した寺子屋へは助成金が出る。しかし、未だに欧州並の大学は制度化されてない。今、竹原元教授が欧州の古典学術書籍の翻訳作業を進めている。現代人をもってしても難作業だ。


 広之は現代に居る時、戦国時代へ転生する系統の小説を読んでいた。家臣を欧州の大学へ留学させるのは良いが、そもそも当時の学問レベルやシステムを完全に無視している。


 日本でいう一般教養課程でさえ何年も掛かってしまう。それも現地の言語とラテン語をほぼほぼ修得するのが前提だ。さらに上級三学部へ進む。


 それだけでも10~12年は必要なはずだ。当時、日本と欧州を往復するのに3年以上は掛かる。なのに、僅か数年で欧州の大学にて専門知識を修得してくる場合もあって驚く。 


 さらに、日本で大学を作るのも有りがちだ。数学、物理学、科学、農学、造船学、建築学、土木工学、軍事学とかの学部を作る設定も目にする。先ず、当時は幾何学が重要であり、数学という段階ではない。


 物理学や科学も自然哲学の範疇であり、欧州の大学ならば哲学部で習うべき代物。農学、造船学、土木工学、軍事学などという独立・確立した学問もない。


 僅か数年程、留学した日本人が、当時欧州の大学にさえない学問分野を確立させ、2世紀以上世界の先端を行ったりするわけで、広之を驚かせたものだ。明国の学問レベルは欧州に負けないという者もいるが、幾何学をとっても大きく後塵を拝していた。


 アガルタ州都エテルニタスに大学を作る準備を進めている。カイロではマドラサ(神学校)が既に出来ていた。これらで学ばせた日本人を学堂の教師とする。名前だけではない本格的な大学を日本に作るのはそれからだ。

 

 それとは別口で、1流の学者を集めた研究機関を日本に作る。やはり大学への道はまだまだ遠いと思う広之であった。



◆数学

この時代、欧州において代数の発展がまだ不十分だった。それでも西暦1545年にイタリア・ミラノ公国のジローラモ・カルダーノが出版した『アルス・マグナ』は三次方程式の解法に関する重要な内容である。欧州における代数の発展へ大きな役割を果たした。



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