第64話 密着幸田家24時

 幸田広之の家臣や奉公人(この場合は年季奉公)は薬種問屋を別にすれば現在150名ほどであり、知行相応とは言い難いが、それなりの所帯となっている。


 ちなみに広之の知行は切米扶持で10万石。土地なら四公六民だと25万石相当である。仮に軍役があれば1万石250人だと6250人。それからすれば幸田家中は格段に少ない。

 

 もっとも人数関係なく幸田広之が幕府で果たしている役割はもはや公然化しており、その家中にしても影響力は計り知れない。織田家や幕府の役職に就いてる家臣さえ居た。


 幸田家の拝領屋敷は大坂城内堀と外堀の間にあって、織田家中でも最大級の大きさだ。さらに幕府総裁の御用屋敷。それ以外に城外近辺で3ヶ所も屋敷があり、大半の家臣は城外の屋敷詰めとなっている。


 幸田家中といえば食事の豪華さはつとに知れ渡っており、織田家や諸大名の家臣から羨望の眼差しを向けられていた。今回は、そんな幸田家中の1日を追ってみたい。


◇午前5時頃

 仲間、小者、賄役、仲居、奥女中などは動き始める。まずは水汲だが、飲料水用は一旦煮沸。というか基本は麦茶だ。広之がカンピロバクターを警戒しているためである。洗濯用にも沢山水を汲み上げるが、これは小者の仕事。賄役は野菜を洗ったり、米を炊く。


◇午前6時頃

 多くの者は起きている。住み込みで働く者と宿直が居て、大半はすることもないので茶を飲みながら話をするのが常だ。賄役は本格的に調理作業を行う。奥女中や小者は洗濯をしている。小者たちにとっては奥女中と話せる機会であり、楽しいひと時だ。


◇午前7時頃

 一斉にというわけではないが、部署ごとに食事が始まる。この日の朝食は茶飯、大根の味噌汁、糠漬け、切り干し大根。広之や五徳も同じもの。


◇午前8時頃

 事務方の勤務開始。広之は小姓に様々な指示を与えつつ、身支度を整える。


◇午前9時頃

 屋敷を出た広之は総裁御用屋敷に向かう。すでに織田家中、幕府の役人、大名(もしくは、その家臣)などが集まっており、用件を聞く。


◇午前10時頃

 広之は殿中へ入る。ここでも各省と打ち合わせ。その頃、屋敷では五徳が奥役や家臣らに指示を与えたり、帳簿の確認。本家果匠さえ門より大量の菓子が納入。賄役は昼に出す蕎麦を打ち始め、魚や野菜が納入される。


◇午前11時頃

 初が織田家中の北方や南方へ赴任している重臣宅を訪問。手土産は本家果匠さえ門の菓子。


◇午前12時頃

 大坂城では登城者や宿直者にも昼食が出される。織田幕府や織田家中も身分社会の常として立場により食事内容は違う。しかし織田信孝や大名とて饗応料理みたいなものでなく焼魚や野菜の煮物中心。ただし信孝と家族以外は広之の考案で木製の弁当箱が利用されている。持ち運びが便利な上、品数も豊富で栄養のバランスがいい。


 この日の内容は太刀魚の塩焼き、ひじきの炊き込みご飯、里芋・ニンジン・椎茸、蒟蒻の煮物、蕪の酢漬け、糠漬け。弁当形式は当初賛否両論あったが広之監修で味的に申し分ない。結果、みな昼食を楽しみにしている。

 

 幸田家では新蕎麦を使った天せいろが小者含む全員に出された。


◇午後2時頃

 大坂名物申の刻茶(まだ未の刻だが)だが、幸田家本邸には織田家重臣や大名家の正室など集まっている。あまり身動きがとれない竹子に対し、五徳はもはや大名を凌ぐ影響力を保持。


 一方、初は“さえ門はなれ”で重臣や大名の娘と申の刻茶を楽しむ。


◇午後3時頃

 広之は御用屋敷へ向かう。幸田家では家臣や奉公人たちも申の刻茶の時間。抹茶やほうじ茶系統が人気である。他とひと味違うと言われる幸田家のレシピは実に簡単でラテ類には塩がほんの少し入っていた。小豆餡や黒蜜には醤油が隠し味。この日の菓子は大学芋だ。


◇午後4時頃

 幸田家本邸に広之帰宅。直ぐに食材の確認をして賄役へ指示。その後、家臣と打ち合わせ。通っている家臣は自宅に帰る。


◇午後5時頃

 若狭よりの魚が届く。広之は天丸と一緒に風呂へ入る。続いて五徳と浅井二姉妹も風呂へ。


◇午後6時頃

広之家族と浅井二姉妹が食事を始める。この日は湯豆腐、味噌蒟蒻、焼いた塩鰤、蒟蒻の白和え、塩鰤のあら汁などが並び、天丸以外は日本酒を飲む。


◇午後7時頃

 宿直の家臣や奉公人たちも食事を始める。酒を飲まない者たちは焼いた塩鰤、味噌汁、野菜の煮物。酒を飲む者たちは八丁味噌出で豆腐、蒟蒻、大根を煮込んだものと焼いた塩鰤で賑やかにやっている。最後に豆腐をご飯にのせた“とうめし”は皆の大好物だ。


 家臣や奉公人でさえありえない贅沢をしているが、行き着くところはシンプルイズベスト。


◇午後8時頃 

 食事が終わった広之は自身の部屋に籠もり構想を練る。部屋の前には五徳の室女中である末が控えていた。末は容姿端麗かつ頭もよく室女中の中では最年少。五徳も可愛がっており、広之の側室に、と考えている。


 この時代、栄養状態や医療の水準を考えれば安産というのは容易いものではない。現代人の広之はすでに子供を3人も産んだ五徳の出産リスク考え、これ以上は望まなかった。広之でなくでも正室が3人以上子供を産むことは少ない。


 しかし幸田孝之に子供が居ないことを含めもう何人か欲しいところ。信孝や竹子からも五徳は側室の件を催促されていた。無論、最初は広之に言ったが考えます、と答えたきり、そのままだったからだ。


 ちなみに戦国武将正室の多産といば前田利家の妻まつが有名である。初めての子供は満11歳で妊娠。32歳までの間に2男9女、計11人を産んでいる(史実において)。


 これを知っている広之は利家の人間性に疑問を感じており、滝川一益の家臣となった佐々成政と違い、羽柴秀吉の預かり身分のままいまだ謹慎同然の冷遇。

 

 昭和生まれなら祖父母の兄弟5人以上とか普通で江戸時代はさらに多産だと思われている。しかし宗門改帳などから察するに、せいぜいベビーブーム時くらいの出生率という指摘もあり、近代化前はそんなものだろう。


◇午後9時頃

 就寝の早い家臣はすでに寝ている。無論、一晩中起きている者も居た。宿直の者は酒を禁じられており、茶を飲みながら将棋や碁を打つ。


◇午後10時頃

 広之も寝る。


 こうして幸田家の1日は過ぎていく。

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