第59話 幸田一家と夏祭
冬は暖を取れば何とかなる。しかし夏場はやはり暑い。この時代、現代よりは涼しいにせよ。大坂は元々大半が海の底だった関係で井戸水の塩分強く、飲水には適さないため、淀川で汲まれた水を買う。
幸田家のある大坂城外堀内は上町台地北端で、古代より陸地だった、そのため井戸を深く掘れば何とか飲める水が汲める。地下の井戸なら、夏でも冷たい水が湧く。冷たくても、現代の冷蔵庫とは比較にならない。
冷たいアイスコーヒーやビールが飲みたいな、と思いつつ幸田広之は屋敷で着物を見ていた。限りなく地味な服を特注し、昼前に届いたものである。
今日は自分と五徳、仙丸、浅井二姉妹、奥取次用人、浅井方用人、室女中、浅井方女中、小姓、馬廻りで天神祭へ行く。そのため全員分の目立たない服装を新調した次第。
天神祭は菅原道真の霊を鎮めるための祭りであり、平安時代から続いている。事の始まりは 天暦5年(951年)に大阪天満宮社頭の淀川から神鉾を流し、流れ着いた場所へ祭場を設け、禊ぎを行ったのが起源だとか。
早く戦国の荒々しい気風を落ち着かせ織田幕府による平和な時代を民衆へアピールしたい。そのため祭を奨励している。年々派手になる一方。
着物を受け取った五徳たちが着替えたようだ。
「左衛門殿、かような着物も良いですのぅ。於初と於江も町娘みたいじゃな」
結構、気にいってるようでなにより。
さっそく天満に出掛けた。川辺には即席の茶店や様々な屋台が沢山で賑わっている。甘酒、田楽、五平餅、みたらし団子、真桑瓜、西瓜などが売られており、飛ぶような売れ行きだ。
しばらく歩いていると即席の茶店屋台で働く町娘に絡んでいる一見武士風の男たち。とにかく柄が悪い。広之の下へ小姓1人が近寄り天満党だと告げる。昨年辺りから頻繁に耳する悪名高い集団だ。
織田家家臣の次男や三男、さらに牢人などを交えた集団で、商人の用心棒を務めたり、人足の仲介を行っているという。大坂の町奉行所や幕府治安省でも要監視対象となっていた。
織田幕府体制下においては、支配者の気分ひとつで殺されるということもなく、犯罪を行っても軽度なら罰金刑か労役が科せられる。
大坂を領有する織田家と幕府の意向(広之の意向だが)として組織犯罪が今後都市部で激増するはずだから、ある程度は目を瞑り観察しつつ、対策を練りたいというものだ。
しかし乱暴狼藉というか、少し酷い。五徳も助けてあげろという。馬廻に命じようとしたとき老人が現れた。よく見ると池田恒興に似ているが、服装は地味な隠居風である。
「そこの者、娘さんを離しておやりなさい」
「何だと、この田舎爺が。すっこんでやがれ」
「仕方ないですな。佑さん、角さん、少し懲らしめておやりなさい」
老人がそう言うやお付きの2人があっという間に天満党を蹴散らしてしまった。
「そのくらいで良いでしょう」
「ええい控ええ。この方を何方と存じる。畏れ多くも先の権中納言にして織田家宿老、尾張勝三郎様であらせられるぞ。頭が高い控えおろう」
お付きは、そう言うや懐から揚羽蝶紋の印籠を取り出した。どこかで見たというか、まさに池田黄門である。
天満党は平伏し、詫びている。恒興は娘に声を掛けると去ってしまった。恒興は嫡男元助へ家督を譲った後は大坂と尾張を往来しながら悠々自適の暮らしを堪能。
織田家中においては山崎の戦いで敵の前面を渡河して崩すや再び渡河の上、明智方の中心部隊へ壊滅的な打撃与えた武勇伝は語り草になっている。
広之は恒興の活躍に呆然としつつ、気を取り直して淀川沿いを歩く。とにかく人手が多い。また何やら騒ぎになっていた。
酔って暴れているならず者の前にまた誰か現れた。広之は一瞬目を疑った。何と織田信孝である。
「誰だお前は」
「名乗る程の者ではないが貧乏旗本の三男坊、神戸三之助である。人々が祭を楽しんでいるではないか。そなたも迷惑を掛けずに楽しむがよかろう」
「何を部屋住みの分際で上様みたいな口ききやがって。上等だ、痛い目にあわせてやる」
男が殴り掛かろうとした時、後ろからお付きが何人も現れ一瞬で取り押さえる。そのまま信孝も何処かへ去った。そう言えば城で天神祭の事、言いながらニヤニヤしてたけど、一体何やってるんだ。市中視察しているとは聞いていたが、やはり危ない。
しかし、信孝はまさにリアル暴れん坊将軍だ。
一体この天神祭はどうなっているんだと思いつつ広之が歩いていると船に乗った公家らしき人物を見つける。よく見ると近衛前久だった。
「夏の水辺に〜難波の……」
上機嫌で何か謡っている。この人も放っておいたほうがよいだろう。
祭見物も終わり屋敷に戻ると中庭で即席の屋台が出来ていた。剥き身の蛤串焼き、鮎の串焼き、蛸の串焼き、串揚げ天ぷら、厚揚げの味噌おでん、きりたんぽ風焼きおにぎり、焼鳥など調理され、家中の者が酒飲みながら食べている。身分にうるさい時代において、かような光景が見られるのは幸田家中だけであろう。
こうして天神祭の日、夜遅くまで幸田家の賑わいは続いた。
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