第318話 ムンフゲレルの婚約

 今年、来日したチャハル部の部族長(北元皇帝)にてブヤン・セチェン・ハーンの娘ムンフゲレル(“永遠の光”という意味。史実で実在しません)は早くも婚約が決まった。


 正確にいえば来日前から婚約は決まっており、そのための来日である。相手は織田信之(元三法師)の異母弟織田忠之(元吉丸)だ。無論、政略結婚以外の何ものでもない。


 幕府が西方へ版図を拡大した事によりチャハル部の重要性が格段に増した結果だ。忠之はまだ16歳(数え)でムンフゲレルは15歳(数え)とふたりとも若い。

 

 さらに、ムンフゲレルの甥であるリンダン(林丹)も一緒に来日しており、こちらは7歳(数え)だ。史実において、ブヤン・セチェン・ハーンの後を継ぐのは長男マングスでなはく、その子供リンダンがモンゴル帝国第39代皇帝(北元第25代皇帝)となっている。

  

 リンダンには日本語で英才教育が施され、元服させた上、織田家の家臣として、官位を与える事を念頭に入れていた。


 ムンフゲレルとリンダンに従い数十人の蒙古人も来日。大半は明の言葉と漢字が読み書き出来る者たちだ。これらへモンゴル語と明語が出来るナムダリとアブタイが日本語を教える。


 一方、忠之もナムダリとアブタイから蒙古語と明語を教わり、来年の春には遼東へ向かい、そこでチャハル部の者と合流し、蒙古の仕来たりなどを習う。

  

 チャハル部側で部を乗っ取られるのではないかという危惧を抱く者も少なからずいる。しかし、幕府へ歯向かえば如何なる目に遭うのか、これまでの敵対する蒙古系諸部族への容赦ない仕打ちで痛感していた。


 蒙古系の通例として降伏した同胞は部族ごと壊滅させるというのは余程の事が無ければしない。せいぜい相手部族を解体し、自部族の各配下へ組み込むだけだ。


 ところが幕府は、攻撃せずとも潜在的な危険性すら許さない。現状を鑑みれば完全自立したり、幕府・明領内へ攻め寄せたなら、必ず根絶やしとなる。


 蒙古民族のメンタリティとして、現代風の表現を借りれば、農耕民族など土地から動けないうすのろのATMくらいにしか思ってなかった。


 これまでは高い壁(万里の長城)を作るとか、地方官に任命したり、朝貢貿易など基本的には守る一方だ。漢民族の長い歴史において皇帝自ら砂漠や草原の彼方にまで遠征したのは明の永楽帝ただひとりである。


 これも致命的な打撃を与えられず、その後は巻き返されてしまう。英宗=正統帝はオイラト部のエセン・ハーンに捕らえられるという屈辱を味わい、その後もトメト部のアルタン・ハーンの侵攻を許す。  


 しかし、情勢は幕府の登場で一変。冬の間の営地を片っ端から殲滅させるという農耕民族でいえば狩り田に相当するような禁じ手だ。


 同じ蒙古同士でそこまでやれば深い遺恨を生み、歯止めの効かない殲滅戦となり、どちらが勝つにせよ大きなダメージとなる。最悪共倒れだ。


 春の出産(馬や羊)時期や夏の遊牧など大事な時期も襲われる恐怖に怯え、通常はしない大規模集団で頻繁な遊牧移動を余儀なくされた。


 しかし、それが墓穴となる。幕府・女直軍が現れ、戦っても女直騎馬兵の陽動と幕府兵の激しい銃火になす術がなかった(釣り野伏せ的な戦法)。


 かような行いを半永久的に行なわれ、蒙古諸部族は対処出来ず滅ぶか、降伏の2択となった。だが、寛大な処遇を受けたのは女直へ近い一部にしか過ぎない。


 降伏、解体の上、与党となった蒙古部族へ編入された者たちは幸運であった。その線引は抵抗せず降伏するか否かだ。これが知れ渡ると加速度的に無抵抗降伏へ繋がっだ。


 殺さないといえば聞こえは良いが、馬、羊、ゲルなど資産を全て取りあげ、人体へ致命的なダメージを与え、ほぼ裸同然で放置される所業は、草原や砂漠中へ知れ渡った。


 遊牧民の天敵であるハイイロオオカミは基本的に夜行性だが、昼とて獲物を襲ったりする。そして、騎馬民族国家というべき無数の国々・集団は地の果てまで駆逐されてしまった。


 そこでチャハル部は過去の栄光より、生き残る事を選択したのである。蒙古民族であろうが、支配者は政略結婚により有力氏族と結びつくのは常だ。 

 

 また、ブヤン・セチェン・ハーンは丹羽長秀より織田家の者がチャハル部へ君臨することはなく、遼東に住むであろう、と約束されている。ならば、地歩を固める上で、悪い話でもない。


 無論、この縁組をウラ国王マンタイとてただ眺めてるはずもなく、日本に住むナムダリとアブタイへも同様の対応を希望した事はいうまでもない。


 ただ、ややこしいのはアブタイの方であった。背も高く、利発(やや気は強い)でいて、顔は整った美人という事もあり、織田家重臣から自身の側室、子息の嫁に是非という話が山程来ている。 


 だが、当人はウラ国のためすべき役目が優先だと断っていた。実のところ、それは建前であり、武家の堅苦しい生活が嫌なのだ。気ままな生活のほうが良いに決まっている。

 

 それはともかく、瀋陽を起点に西遼河沿いに通遼、赤峰、そして呼和浩特、バヤンノールから敦煌へ至る東西公路、また先へ続く大陸公道の輸送を担当するチャハル部や女直たちは莫大な利益が入りつつあった。


 このまま輸送量が拡大すれば、チャハル部などはもはや半数くらいは遊牧しなくても暮らせそうな状況だ。明国側も敦煌から西安に至る街が活気を取り戻しつつある。


 敦煌から西安のルートの他に蘭州から黄河を伝い、山西省を経由して京杭大運河へ向かうルートもあった。後者のルートは当然陳徳永たち山西商人の独壇場である。 


 現段階で軍需物資が多い。それにしても羊、豚、鶏、米、麦、豆、野菜、果実、茶、酒、飼い葉などの需要は高く、宿屋も儲かる。毎日、大名行列があるようなものだから商人にすれば儲かって仕方がない。


 好むと好まざるによらず、チャハル部は遊牧・常設戦闘部隊・輸送部隊の3部門に分かれつつあった。


 

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