第319話 北アメリカ東部への入植
西暦1596年1月。昨年、イスパニアを破った丹羽長秀は約1万からなる幕府入植団を派遣(屯田兵)した。資料(原住民の情報など)が豊富なニューイングランドを中心にセントローレンス川沿い、あるいはノーフォークを南限としている。
史実だと、アメリカ東部におけるイングランド最初の植民地は現在のアメリカ合衆国ノースカロライナ州デア郡のロアノーク島に築かれた。ただ、第1次植民団75名は1584年に上陸するが、カリブ海より当地へ立ち寄ったフランシス・ドレイク卿が助け出し、植民地は放棄されてしまう。
第2次植民団117名は1587年に上陸。しかし、イングランドはイスパニアと戦争していたので、3年間補給されず放置された。結局、この植民地から入植者は全て消え失せ、未だに謎となっている。普通に考えれば原住民から皆殺しか、部族へ吸収されたのであろう(奴隷を含む)。
この出来事は“失われた植民地”として知られる。白人的というか割合近年までコロンブス、コルテス、ピサロを英雄視していた反面、自分たちの被害や悲劇には敏感なようだ。
様々な仮説が立てられ、発掘調査も行われた。原住部族へ同化したかDNAによる鑑定も試みられている。また、アメリカ大陸で生まれた初めてのイングランド人ヴァージニア・デアも悲劇の象徴といえよう。
植民地化の犠牲となった、いわゆるインディアン、アステカ人、インカ人、黒人奴隷の子供にはさして関心を抱いてる様子が見えにくいのとは対照的だ。
これ以後、植民の機運は鈍化するが、1607年にジェームズタウンへ104名の入植民は到達した。しかし、飲み水に塩分が含まれたり、湿地帯でマラリアが発生するなど苛酷な住環境のため、翌年には生存者38名と激減する。
イングランド人による初期の入植の流れは、1587年のノースカロライナ州ロアノークは失敗、続いてバージニア州ジェームズタウンが1607年、そして1620年のマサチューセッツ州プリマスと続く。
プリスマスは有名なメイフラワー号でアメリカへ来たピューリタンによる入植地である。このように俯瞰すると初期の入植は非常に危険であり、ほぼ人柱といった印象を拭いえない。いわゆるイギリスによる13植民地を以下に記す。
●ニューイングランド植民地群
マサチューセッツ湾直轄植民地 1620年
ニューハンプシャー植民地 1629年
ロードアイランド植民地 1636年
コネチカット植民地 1636年
●中部植民地群
ニュージャージー植民地 1664年
ペンシルベニア植民地 1681年
ニューヨーク植民地 1664年
デラウェア植民地 1664年
●南部植民地群
ノースカロライナ植民地 1663年
サウスカロライナ植民地 1670年
メリーランド植民地 1632年
バージニア植民地 1607年
ジョージア植民地 1732年
また、フランスも最初の植民地建設以前に北アメリカ地域で活動していた。1534年にフランス人探検家が現在のカナダ・ガスペ半島の東端へ到達。“ヌーベル・フランス”と名付け、領有宣言している。
そして、セントローレンス川を遡って現在のモントリオールまで、フランス人商人が交易所を幾つか設置していた(失敗)。また、ケベックやフロリダへ入植を試みるも失敗。
植民地建設に成功するのは1608年のアンリ4世治世下におけるケベックシティが最初である。だが、ヌーベルフランスは1763年のパリ条約によりイギリスとイスパニアへ割譲された。
丹羽長秀は幕府入植団派遣に際し、フランス国王アンリ4世へ以下の如く、アメリカ大陸(新亜大陸)の情勢を伝えたのである。幕府は10年前よりヌエバ・エスパーニャの北西へ上陸し、東へ版図を広げ、およそ30万人の日本人が暮らしている、と。
そこで、ヌーベル・フランスの割譲を求めた。割譲金として破格の金額が示された事により、アンリ4世は即決。また、アメリカ大陸の人々は元々古い時代の日本人であり、古代に天皇が送り込んだ人々の子孫だと説明した。
さらに、長秀は同盟各国へ半ば威嚇するかのような強い意志姿勢で、アメリカ大陸は日本の領土だと宣言し、認めさせた。この世界線で、後世に「1595年宣言」と呼ばれるものだ。
アメリカ大陸以外にも、アフリカ、インド、インドネシア、パプアニューギニア、シャンバラ(ミャンマー)、バンコク、カンボジア、フィリピン、豪州、台湾、遼東、遼西、清州、沿海州、カムチャッカ地方、モンゴル、シベリア、中央アジア、北コーカサス地方官、東ロシア、南極大陸を含むものである。
長秀はモロッコより南、アイスランドから西への越境を強く警告した。この件については条約を結ばず紳士協定となっている。
北アメリカ東部への入植は幸田広之、犬神霊時、肉山298が土地の選定をした。先ずジェームズタウンは却下。優先地に選ばれたのは以下の通りだ。
オンタリオ州トロント(カナダ)
ケベック州モントリオール(カナダ)
マサチューセッツ州ボストン
ニューヨーク州ニューヨーク
メリーランド州ボルチモア
コロンビア特別区ワシントン
バージニア州ノーフォーク
今回の第1次入植団の中心地となるのはボストンである。歴史的にはボストン茶会で有名だ。マサチューセッツ族が住む土地で、ボストン湾に20の村があり、約3千人程暮らしていたという。
マサチューセッツ族はアルゴンキン語系族(主に遊牧系)で、定住型の生活様式だ。狩猟と栽培を行っている。ちなみに北米の先住民は主に農耕定住型・狩猟採集遊牧型・農耕漁労半定住型の3分類だ。
近辺には同じくアルゴンキン語系統のワンパノアグ族・モヒガン族・ナラガンセット族・ミクマク族、イロコイ語族(主に定住系)のアベナキ族なども居住していた。
史実ではワンパノアグ族はイングランド人入植者たちを助けたが、土地を奪い取られた上、女子供を奴隷として売り飛ばされている。
ボストンにおいてはマサチューセッツ族へ食料や酒などを振る舞い友好を促進した。欧州やエジプトから買い付けた干し鱈・チーズ・麦・とうもろこし・豆・ワイン・ビール・子豚・鶏・子牛(乳牛)。さらに、アジアより持ち込んだ茶や砂糖もある。
その上、ニューイングランドから北東へ600km程行けば世界三大漁場といわれるグランドバンクで豊富に魚が取れた。グランドバンクはニューファンドランド島沖合にあり、南東の浅い大陸棚で暖流(メキシコ湾流)と寒流(ラブラドル海流)がぶつかる。
大西洋鱈・ハドック(タラ科でスケトウダラに似ている)・ししゃも・鰊・鯖・本鮪などが取れた。また、ボストン沖合にはジョージバンクという漁場もある。ボストン港やマサチューセッツ湾では大西洋鱈・アトランティックサーモン・ハドック・帆立・浅蜊・蛤・オマール海老・イカが豊富だ。
これらの中でも特に重要なのは、アトランティックサーモン・大西洋鱈・鰊・鯖である。アトランティックサーモンは春と秋に川を遡上。大西洋鱈は秋から冬。鰊は年間を通して取れるが、特に秋から冬。鯖は春と秋だ。
無尽蔵に取れる鮭・鱈・鰊・鯖は日本人入植者を歓喜させたのはいうまでもない。味はそこそこと評判の“ナイルほまれ”なるエジプトで脇坂安治が作らせた日本米にて思う存分魚を食べれる。
基本は北海道や沿海州で原住民に対して行った手法と同じである。川を遡上するサーモンには極力手をつけない。彼らが取ったサーモンは高値で買い取る。また、海で取れた魚は周辺の原住民集落へ配った(無料)。
元々、土地を所有する概念もないので、空いている土地は開墾して耕す。だが、彼らの邪魔は極力しない。狩猟採集する森を荒らしたり、彼らの重要な食料である鹿や七面鳥は絶対取らないようにしている。
原住民の皆で分け合うという慣習を尊重し、彼らの生活は極力圧迫しない。史実のように、女性を犯すとか、奴隷にしたり、土地の略奪などせず、友好的なのでほぼ問題は起きず、初期段階は成功といえよう。
生活が落ち着くと、開墾を行いつつ、造船所の建設も始めた。オーク材が豊富なためだ。原住民が狩猟採集を行う地域とはある程度わけて伐採した。また、周辺の原住民集落へは相応の礼をする。
さらに、少数ながら白人を同行させていた。程度の低い荒くれ者を中心に集められており、当然原住民へ横柄な態度や泥棒・暴行(レイプ未遂)など行う。
幕府の役人は捕まえて被害者へ迷惑料を支払い、部族の前で公開処刑した。本来、幕府の刑罰に死罪はない。しかし、特別な現地法として死罪が取り入れられた。
無論、これは斬首や銃殺などで日本人の怖さと、日本刀や鉄砲の破壊力を見せつけ、そして白人の印象を悪くするためのものだ。白人の株は下がり、日本人の株は上がる。
ボストンで大量のガレオン船を建造し、東アメリカの防備強化を図る段取りが着々と進む。こうして、現代の知識と資料、過去の経験(北海道など)を活かし、急速に足場固めが行われた。
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