第326話 天正最後の新年②

 天正23年1月2日(西暦1596年1月31日)。正月2日目を迎え、幸田家は華やいだ空気に包まれている。恵方への参拝も無事に済み、昼食や申の刻茶を楽しんでる時、嶋子の女中が夕餉へ新年の挨拶を兼ねて訪れる事を告げに来た。


 これには伏線があった。本来なら織田信孝の側室は現在8人程居るが、圧倒的な家格を有する嶋子も何かと忙しいはずだ。しかし、大坂より追い出された身分のため、扱いは微妙である。


 幕府や織田家の正式な行事は織田信孝や織田信之を中心に行われて、正室や側室は同席しない。それとは別に奥御殿で正室竹子を中心に独自の行事が行われる。


 無論、竹子が嶋子を行事に加えるはずもない。しかし、幸田広之の配慮により、織田家における内々の挨拶を行う際、織田家の屋敷内へ嶋子を招き家臣へ軽く挨拶させた。


 織田家の石高を見ても畿内と近江を足したより、関東の方が大きい。そのため、関東の国人上がりの家臣も比重的に多い上、何れ信孝は将軍として江戸城へ移り、東京が幕府となる。

  

 史実において、羽柴秀吉は晩年の多くを伏見城で過ごし、他界した。関白の秀次は聚楽第で執務を執り行っており、そのような意味合いでは決して大坂が天下の中心地ともいえない。

 

 秀吉亡き後、伏見城には徳川家康が君臨し、やはり同城が天下の中心といえる。しかし、豊臣家と豊臣政権における二重権力化は歪となり、やがては関ケ原へ繋がっていく。


 家康の節操なき遺言破りの所業といわれるものは、秀次の死以降の矛盾が表面化した結果なのかも知れない。織田信長と足利義昭の対立にも似ている。


 徳川家康・徳川秀忠・徳川家光たちは伏見城で征夷大将軍に就任しており、徳川政権の最初期は伏見幕府的な側面があった。これは豊臣家(正確には氏である)が大坂に健在だったのと、徳川家のお膝元へ本拠地を置くのは簡単ではなかった結果かも知れない。

  

 そのような史実を鑑み、織田政権は幕府や将軍が中心であり、織田家自体は諸侯筆頭という形式である。しかし、あくまで織田家あっての幕府。


 織田家直参が大坂より多いとなれば、軸足は関東に移る。織田家や幕府において関東勢が主流となる可能性は十分考えられる事だ。


 大身の織田家直参は小大名並の石高であり、知行地を与えられるが、関東宛行組は優秀な者が多いという印象も懸念を加速させている。


 豊臣政権程深刻ではないにせよ、少なからぬ懸念材料といえよう。何れにせよ、将軍家(江戸)と織田家(大坂)が何れ分離されるのか、など未だに伏せられている以上、やむを得ない。


 そのような状況下で、関東の格式最上位に位置する再統一された足利公方家の嶋子が8年振りに大勢の重臣へ顔を見せたのだから、衝撃といえよう。


 江戸への移転が近い前触れ、竹子は大坂に残るのではないか、などといった噂も駆け巡る。少なくとも、嶋子は失脚しておらず江戸で相応の力を有していると推測された。


 このような噂や推測が乱れ飛ぶ中、嶋子たちはほぼ強引に元旦2日目の幸田家へ来訪したのである。


「尾張堀(道頓堀)あたりも正月は閉まっておりますゆえ、此方ならば何ぞ気の利いたもてなしだろうと参った次第。本来であれば、幸田殿から妾を招くべきところ……。もう少し気が利くと思ってました」


「左衛門殿は忙しいゆえ、関東から物見遊山に参っている暇な御仁へ構ってばかり、おられませぬ」


 五徳の言葉に直ぐ様、菊姫が噛みつく。


「これは聞き捨てなりませぬ。御前様も色々と忙しいところ、わざわざ幸田殿の顔を立てるためお見えになられたのです」


「菊殿、落ち着かれよ。美しい顔が台無しじゃ。左衛門殿は頭の切れるお方。関東との結びつきをより深めるため、妾を頼るのは彗眼というべきもの。格別の配慮で応えても良いでしょう。小督姫も亡き信玄公の血筋。我が弟(足利頼氏)の正室に是非と思っておりました。事と次第によれば上様の弟君へ嫁ぐのも配慮いたしましょう」

  

 黙って聞く広之であったが、関東足利と武田の合体もかなり政治的に厄介な話だ。恐らくブラフで、信孝の弟を狙って居るのだろう。織田信好と織田信貞は小督姫と年齢が近い。既に狙って居るのかも知れない。そう思いつつ聞いていた。その横で五徳が口を開く。


「待たれませい。甲斐源氏武田とはいえ、今や名ばかり。織田の血は安くありませぬぞ」


「五徳殿が仰せの通りですなぁ。我ら三姉妹も浅井の出なれど、未だにお家再興はなっておりませぬ」


「茶々殿と申されましたなぁ。浅井と武田では比べ物になりますまい」


 広之は茶々と嶋子のやりとりを聞きながら、小督姫を織田信好か織田信貞へ嫁がせ、何れは生まれた男子に武田を名乗らせそうな気がした。次から次によく考えるものだ感心する他ない。


「さて、積もる話もおありでしょうが、酒でもお召し上がりくだされ」


 広之が合図すると、豆腐の柳川風小鍋、豆腐田楽、ざる豆腐、がんもどき、揚げだし豆腐、豆腐の燻製、蕎麦掻き、雑煮といった豆腐中心の料理が出された。


 嶋子の目配せで梶(英勝院)が広之の背後につき、酌などをする。


「お似合いですなぁ。坂東のおなごは器量良しですからのぉ。それにしても流石は天下に聞こえし幸田家の宴じゃ。正月だというのに肉や魚を使わずこれだけものを出すとは……」


「御前様。この蕎麦掻きも食した事のない風味と舌触り」


「松殿、かように地味なものこそ腕の見せ所というもの。騙しは効きませぬからな」


 嶋子たちは先程までの応戦も何のその悠然と舌鼓を打つ。その後も宴は続くのであった。


 

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