第399話 貞姫と梶①
茶々が伊達家を見限り、浅井家再興へ動く一方、興味深く見守っていたのは武田勝頼の遺児貞姫と没落した太田家のお梶であった。特に貞姫は武田家の再興を果たすのが宿願であり、浅井家再興は興味深い。
竹子が織田家を追い出される寸前から信孝の子を産み、さらに別の子ではあるが、神戸家の養子となる話も聞いた。あまりに強烈な嶋子との距離感を誤らず上手に動けば十分成就可能だという認識だ。
嶋子および2人は、甲斐武田だけではなく、仁科家、小山田家、真里谷武田家、里見家の再興という使命を帯びており、容易なはずもない。
まず真里谷武田についてだが、甲斐源氏武田の傍流であり、上総で勢力を誇った庁南武田の分家だ。庁南武田は一旦改易となった後、武田豊信が織田家直臣へ取り立てられた。
一方、真里谷武田は小弓公方と北条の間で一族が争い没落。現在も再興はなっていない。貞姫は甲斐武田の滅亡後、松姫に連れられ八王子へ逃げた。
その後、紆余曲折あって、江戸幕府成立後は東京へ移り、織田家の庇護を受けている。また、庁南武田家からは甲斐源氏の本家筋として、様々な便宜を受けていた。
さらに、分家の真里谷武田は小弓公方にとっても縁のある家であり、武田の姫君たちと嶋子が結びついた要因だ。貞姫たちの幸田家入りには庁南武田家の家老を担う白井家の娘も侍女として従っていた。
梶については扇谷上杉家の家宰を務めた太田道灌の子孫であり、一族は里見家の家督争いに巻き込まれ没落。その後、兄の太田重正が取り立てられ織田家の直臣となった。
それまでは、母の実家である関東遠山家で育てられている。太田家は本来であれば上杉方であり、古河公方とは敵対していた。しかし、北条が台頭するなか、扇谷上杉家は滅亡。
その後、太田家は関東管領上杉謙信に従い、里見と組んで国府台合戦で北条と戦う。梶の母方である遠山家は北条の重臣だった。同じく北条家重臣大道寺政繁は梶にとって母方の叔母が嫁いだ相手である。
大道寺政繁嫡男の直繁は北条滅亡後、名を遠山直繁と改めて織田家の直臣となった。幕府の方針として、旧北条領内の国人系は家臣として採用するが、北条家の代に勃興した旧臣は冷遇している。
そのため、母方の遠山を名乗ったのだ。直繁の場合は政繁から代替わりしたこともあり認められた。北条氏規や北条氏直にしても織田家直参となったが領地は無く、大坂詰めだ。
しかし、北条家に対する風当たりはいまだ冷たい。北条から伊勢に名を改めさせようという動きさえある。暗躍しているのは他ならぬ嶋子であった。
そもそも、鎌倉殿で知られる執権北条は命脈を保っている。鎌倉公方家の系譜も執権北条の血が流れていた。足利尊氏の妻は第16代執権北条守時の妹で、両者の四男基氏が鎌倉公方家の祖だ。
鎌倉公方家は古河公方家となり、さらに小弓公方家が分裂。小弓公方家の国朝と古河公方家の氏姫は結婚し、両家は台頭合併という形で再統合された。
そうはいっても事実上は国朝が古河公方家へ養子入りした形だ。傍から見れば取るに足らない話だが、当人たちにとっては死活問題である。現在、小弓公方家の当主足利頼純(嶋子の父)は独自に織田家直参でありながら、古河公方家の大殿という特別な立場だ。
そこで嶋子は父の家督を弟の頼氏が継承したあと、執権北条を再興させるというものである。嶋子は大坂へ滞在中、小田原北条が織田幕府から冷や飯を食う存在だと改めて認識。
執権北条の血筋として、本来の北条を再興させ、小田原北条は元の伊勢へ再改名するという案が閃いた。その案を聞かされた広之は検討すると伝えたが、少なくとも北条氏規が無くなるまでは保留すべきだと考えている。
さて、幸田家の住人となった貞姫と梶だが、実家を消失している貞姫に対し、梶は太田家や遠山家も無事であり、相応に温度差はあった。無論、太田家にとって甲斐源氏武田や足利公方は主筋でもない。
そもそも家についてさしたる思いもなく、兄の太田重正や遠山家でいえば遠山直勝や遠山直繁が織田家直臣となっている。戦乱の世で、斯波・土岐・朝倉・六角・山名・畠山・少弐・今川・武田・大内・尼子・赤松・北条・吉良・一色・細川(細川藤孝は傍流)・大崎・里見・三好・龍造寺・長宗我部など多くの管領や守護、あるいは勇名を馳せた大名の大半が没落した。
梶は太田家、武田家、足利公方家など生き残れただけでも十分だという考えだ。行きがかり上、嶋子や貞姫の側に居ただけで、これからは大坂の地にて太田の家名など関係なく、自身の才覚を試したかった。
そんな貞姫と梶は次第に幸田家へ馴染んでいく。まずは食の洗礼を受けるが、驚きの連続である。客人として訪れた時と大して変わらない食事が毎日出てくるのだ。
食事が気に食わなければ、自分の好きなものを注文出来る。女性であっても飲酒は自由だ。毎日の食事を堪能する貞姫と梶であった。
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