第400話 貞姫と梶②
年の瀬となり、幸田家も慌ただしいが、それでも緩い感じは相変わらずである。売り掛けや経費の精算などの他、五徳たち女性陣は年末の挨拶まわりに追われていた。
五徳は家に控えて、挨拶へ訪れる他家の対応を担当し、挨拶まわりは江と福(春日局)が中心だ。これに茶々も加わり、浅井家再興の挨拶を行なっている。
武田家旧臣のなかには貞姫へ挨拶のため、訪れる者も居た。現在、武田を名乗っている穴山・木曽・真田の他、織田家・徳川家・森家・川尻家などへ仕える者たちや親戚筋の上杉家も訪れている。
貞姫の叔母にあたる菊姫は上杉景勝へ嫁いだが、春日山城落城のさい、落ち延びた。森長可経由で滝川一益が保護し、上杉家再興後も織田家によって庇護されている。それでも上杉家としては最低限の礼儀は尽くしていた。
貞姫の場合と同様、森家は上杉家の旧臣を多く抱えている。また菊姫を保護して滝川一益へ届けた縁もあり、森家と同家の上杉家旧臣は東京において菊姫へ挨拶していた。
大坂では菊姫の姪にあたる貞姫へ挨拶のため来訪が相次いだ。無論幸田家への心証を良くしたいというのが大きな動機でもある。他家の家臣では用もなく幸田家の門を潜るのは容易でない。かような機会は千載一遇だ。
さて、幸田家における貞姫と梶の食生活について触れたい。まず朝食が豪勢な事で知られる幸田家にあっては他家ならば考えられない内容だ。
まず、味噌汁については肝心の味噌が日替わりとなっている。これは主人である幸田広之から小者に至るまで同じだ。味噌は、大豆・米・麦に大別されるが、いわゆる白味噌や赤味噌などあって、その上で合わせたりもする。
合わせ方も初めから味噌を混ぜる場合ならば、一定期間寝かせたり、あるいは直前といった具合に使いわけていた。それとは別に複数の鍋で溶かしたものを合わせたり、緩くしてから出汁や具が加えられるなど、多様極まりない。
出汁については昆布・鰹節・宗田節・鯖節・煮干しなどだ。とりわけ煮干しは種類豊富だ。鰯・鯵・アゴ・鯖・エソが使われる。朝食ではないが昼に時折出される濃厚煮干し味噌汁は大人気だ。
数種の煮干しをひと晩水出しにしてから翌日中火で結構な時間炊かれ、最後はどろどろにする。さらに追い煮干しなどしたものだ。鶏がら豚骨を加えてうどんの付け汁にすることもある。
味噌汁以外では、漬物、煮豆、佃煮の他、若狭より届けられる塩鰤や塩鯖、淡路島・和泉・明石などから届く干物が存在感を放つ。朝食と申の刻茶のため、嫁に行き遅れた女中や仲居だらけだ。
この日、幸田家の昼食は油飯と鶏出汁うどん、そして夕食は芋煮であった。油飯は現代において台湾おこわといわれているもので、餅米を具と炒めた後、蒸すだけ。
具は腊肉(ラーロウ)、干し海老、干し帆立貝柱、干し柿、干し椎茸、干し栗、干し棗などが入っており、幸田家において大人気た。鶏出汁うどんは鶏・昆布・鰹節で取っており、具は鶏団子と蒸し鶏だ。
夕食の芋煮は鶏肉が大量に入っており、どちらかといえば鍋である。酒を飲みつつ食べるわけだか、貞姫と梶は早めに切り上げ、部屋へ戻った。
その後、2時間ほどして晩酌の酒や肴が運ばれてくる。2人とも夕食では、それぞれ日本酒を1合飲んだだけなので、さほど酔っていない。江戸時代の日本酒は精米に難があるため、濃度が高くなってしまう。
また江戸時代の上方では醸造量に対して税金が掛かっていた結果、度数を高くしたという話もある。濾過技術の発展で、アルコールが効率的に抽出され、度数を高く出来たようだ。
また硬水を使うと辛口に仕上がるらしい。いずれにしろ流通の過程で水が加えられ、薄められる。幸田家においても事情は同じなので、熱燗や出汁割りが人気となっている。
昔の手作りなら何でも極上というわけではない。池波正太郎の作品で登場人物が飲む日本酒も現代の純米大吟醸と比らべたら、格段に落ちるはず。
醸造アルコールを加えるというのは現代に限った話でなく、江戸時代も度数の高い焼酎が加えられることがあった。これを柱焼酎と呼ぶ。腐敗を防ぐ他、味を辛口にするためだ。
昔の日本酒は基本的に甘口であったという。江戸時代の精米技術は現代に比べて粗く、米の外側の糠や胚芽部分が十分に取り除けない。発酵過程で生まれる糖分がアルコールへ変わらないため、普通に作れば甘口の酒となってしまう。
現代の純米酒は辛口酒用の麹菌を選び、低温発酵や熟成期間などにより、糖質を限界までアルコールへ変えることが可能だ。つまり江戸時代の日本酒は甘口が主流で辛口は焼酎を混ぜ、薄めて飲むような代物だった。
戦後、添加物だらけの三増酒が流通。その後、酵母の開発、精米技術の向上、温度管理、低温発酵技術の普及、醸造技術の進歩などもあり、1980年代に吟醸酒ブーム(淡麗辛口ブーム)が起きる。ブームというより革命に近い。それ以来、日本酒の地位やレベルは格段に上がった。
そろそろ話を戻すとしよう。貞姫と梶が好きなのは日本酒なら熱燗、それ以外では梅酒や十分寝かせた焼酎である。やはり、精米技術の問題で、現代知識をもってしても現代並の辛口日本酒製造は到底不可能だ。
なので、幸田家においても日本酒の地位はそれほど高くない。熱くするとか、何かで割ったりすることが多くなる。その最たるものは日本酒の甘酒割りだ。
この日、貞姫と梶が部屋へ持ってこさせたのも日本酒の甘酒割りである。火鉢で温めながら、ちびちび飲むのだが、このような愉悦を覚えると、もはや元には戻れない。薄暗い部屋をランプの灯りが照らす。
「梶殿、この甘酒割りは飲みやすいのは良いとして、飲み過ぎは禁物でございますね」
「それは確かに……。甘いのでついつい飲み過ぎてしまうので、用心せねばなりませぬ」
「梶殿、それにしても左衛門殿は近頃留守が多いですね」
「中之島の迎賓館に泊まって、各国の使節と話し合われたり、中屋敷の茶々殿と浅井家再興の手筈を整えるのに忙しいのでしょうなぁ」
「茶々殿は名代とは形ばかりで、浅井家当主でございましょう。おなごでありながら20万石の大名とは聞いたこともありませぬ」
「足利義政公の正室であった日野富子殿や源頼朝公の正室であった北条政子殿など、
「水運に恵まれ大変豊かな土地と聞きます。その上、茶々殿は商い上手で蔵が壊れるほど繁盛しておられるとか」
「貞殿、幕府で役職に就くことも十分ありえる話。これは貞殿や松殿にとっても僥倖というべきもの。茶々殿次第では今後、当主急死のさい、一旦正室が家中を束ね、いずれ養子へ継がせるなど、起き得ましょう」
「つまり、私が養子をもらい受け、甲斐源氏武田の正当なる本家再興することも無理ではないということですね」
「さようですな。まずは武田ではなく諏訪家とならぬようら用心せねばなりませぬ。織田家殿との縁組が立ちいかぬ時は古河公方家臣の宮原殿(宮原義久。母は真里谷武田家出身)から養子をもらい受けるなど、そのあたりは嶋子殿が根回しするなど、用意万端」
そこへ酒の肴が運ばれてきた。烏賊の一夜干し、小田巻蒸し(うどんの茶碗蒸し)、白菜の浅漬けなどだ。小田巻蒸しは、寒くなってから何度も食べている。初めて食べた時、あまりに美味しく、2人はたびたびリピートしていた。
貞姫と梶は色々話しつつ熱い小田巻蒸しを必死に食べる。長時間茹でたうどん、蒲鉾、椎茸、海老、白玉団子、三つ葉などが入っており、出汁も効いている。
しかも、茶碗蒸し状の上に餡が掛かっており、寒い季節の王者といった存在だ。熱さに四苦八苦しながら完食する貞姫と梶であった。
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