第398話 慶長伊達騒動③

 羽前一国、およそ60万石を拝領し、酒田湊や最上川の恩恵、あるいは北方や上方での商売により全国有数と目されていた伊達家は壊滅状態となった。


 前当主であり、国許の米沢城において絶大な権力を保持していた伊達輝宗は刑が確定。終身流刑がいい渡された。織田幕府において大友義統の如き、改易された大名は居る。しかし、大殿として院政を振るう人物が刑法犯罪で実刑は初めてのケースだ。


 また、伊達家は改易こそ免れたが羽前から羽後へ大幅な減封の上、移転される事となった。当初は羽前内で半減という線であったが、伊達家は家の由緒と不当対応云々といった上奏文を朝廷へ提出するなど抵抗した結果だ。


 なぜ、このような行為を行なうのかといえば、家中の激しい序列による弊害と名門意識のなせる諸行なのかも知れない。また、伊達家は伊達政宗に家督相続された後、二本松城攻略、人取橋、摺上原など派手な功績も無いまま天下平定した結果、政宗の求心力が足りなかった。



◇伊達家の家臣団

一門

留守政景(政宗の叔父)

石川昭光(政宗の叔父)

岩城常隆(政宗の従弟)

亘理重宗(輝宗の叔父、成実の叔父)

小梁川宗清(輝宗の叔父、成実の叔父)

伊達成実(輝宗の従弟)


一家

片倉景綱(小十郎) 

白石宗実(右衛門) 

鈴木元信(七右衛門)※大坂詰め家老

桑折宗長(点了斎) 

鮎貝盛次(兵庫) 


一族

原田宗時(左馬之助)

遠藤宗信(文七郎)

泉田重光(助太郎)※国家老、一門以外の筆頭

鬼庭綱元(石見守) 

石母田景頼(左衛門)

屋代景頼(勘解由兵衛)



 そもそも伊達家自体、関東以西で繰り広げられた激しい下剋上にさらされることもなく、旧態依然とした由緒・格式・家格などから脱せず、上方からすれば、現実離れしていた。日本の歴史でいえば、戦前と戦後ほど意識や体制が違う。


 家老は現代企業でいえば株式を持たず役員でもない社長といえよう。政宗は代表取締役だが、他に取締役も居る。その上、父親が株式の大半を所有するオーナーであり、会長のようなものだ。


 伊達成実(藤五郎)は政宗の側近にせよ一門のなかでは序列が低い。片倉景綱(小十郎)にしても一家であり、家中を束ねるような力は無く、政宗の権力基盤は極めて脆弱であった。


 現在、伊達屋敷は閉門となっている。ただ、閉門といっても幕府法による閉門だ。この場合は大名家が対象となり、対外活動を禁ずるだけで、自室の外へ出て、風呂に入ることも出来る。


 しかし、武家法の閉門は個人が対象だ。政宗を初めとする重臣の多くは武家法の閉門が適用された。茶々は伊達家嫡男の梵才丸と幸田家へ身を寄せている。ある晩、幸田広之の書斎へ茶々が入ってきた。


「梵才丸(茶々と政宗の子)はもう眠りましたかな」


「はい、眠りについてございます。伊達家は梵才丸について何か申しておりますでしょうか」


「心配は無用。藤次郎殿には拘留中面会しておりますが、色々含めておきました。ましてや、今は閉門中であり、動きは取れませぬ。あとは民法における離婚手続きで、梵才丸の親権は於茶々殿となりましょう」


「その辺は左衛門殿に、お任せいたします。それと、もうひとつ。七右衛門(鈴木元信)の浅井家への出仕は叶いましょうや」


「家老ともなれば容易ではございませぬ。一旦、伊達家を出てから織田家の直参となり、浅井家への与力といたしましょう」


 そういうと、広之はマッシュルームのアヒージョを口にした。さらに焼酎で流し込む。思えば、茶々から政宗と離縁の上、浅井家を再興したいと相談されたのは1年ほど前だ。


 当初、伊達家で次男を産み、それに浅井家の名跡という目論見だったらしい。しかし、伊達家家臣団の遅れた意識と行政能力に耐えられなくなっていたところへ妹の初が広之の子を産んだ。それも男児である。


 茶々は政宗でなく、初の子へ浅井家を再興させるべく広之へ相談した。無論、その前に五徳や竹子にも根回しは怠りない。確かに茶々の提案は魅力的であった。物流の発展してない近代以前ならば、現代の山形県にあたる羽前は魅力的だ。


 まず北前船の最重要中継地であった酒田を有している。そこから最上川が羽前西部の肥沃な地帯を南北に縦断するのだ。織田家が有する羽後南部の雄物川流域と合わせれば日本有数の稲作地帯と成りえる。

  

 やはり、織田家が有する陸前も加えれば、海上輸送網、河川輸送網、陸上輸送が融合した大経済圏を構築可能だ。そもそも近江は琵琶湖を中心とする河川網、北国街道や中山道など、若狭湾から大坂湾へ至る物流の要地であり、当然の如く商業が栄えた。


 羽前、羽後南部、陸前の地図を元に河川、街道、各地域の人口、石高など、茶々へ啓蒙したのは他ならぬ広之だ。商家としての幸田家経営陣の一員でもある茶々は浅井、京極、六角、朝倉などの優秀な人材を集め、近江・上方流の洗練された手法で羽前および周辺へ展開し、席巻。

  

 上方出身の鈴木元信は進んだ物流や経済の何たるかを伊達家中ではもっとも理解している。そのため茶々や大坂で切米にて俸禄を得ている上方出身家臣へ理解があった。


 逆にいえば、伊達家中随一の先進的な人物たる元信でさえ、茶々や堀江長泰たちの経済政策は次元が違いすぎて、見守るしかなかったのである。


 今回の騒ぎ以前から、元信は米沢の輝宗たちや一門衆を見限り、茶々たちへ近い立場だった。そして、伊達家に居場所を失った元信はこれ幸いと広之の案へ従ったのである。


 さて、1年ほど前、茶々から相談された広之は織田信孝、織田信之(元三法師)、岡本良勝などへ伝え、許可を得てた。それにより、綿密な計画が立案され、あとは政宗の帰国を待ち、一気に仕上げるという算段であったが、長泰への刃傷沙汰は想定外だ。


 ともかく、大筋では計画通り事は運び、伊達家から羽前を取り上げ、浅井家の再興が成就したのであった。


 

 






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