第218話 真夏のトマト料理(前編)

 大坂はいよいよ暑くなってきた。まさに真夏である。幸田家直営のファームではトマトの収穫中だ。これまで地道に品種改良してきたが、数年間では知れている。しかし、現代より持ち帰った種で呆気なく最高レベルのトマトが16世紀に誕生してしまった。


 サンマルツァーノ、フィオレンティーノ、桃太郎の3種類だ。この内、桃太郎以外はイタリアントマトである。サンマルツァーノはやや長い形で皮が薄く、ゼリー状の部分はあまりない。トマトソースに最も適していると評価の高い品種だ。イタリアントマトの代名詞的存在だ。


 フィオレンティーノは酸味や甘味など強めで、これもサンマルツァーノ同様汁気は少なく、ソース、生食、加熱料理など万能である。桃太郎は日本の人気品種であり、酸味や野性味に欠けるが、とにかく甘い。


「イタリア人よ待たせたな。これでお前らはお終いだ。もうトマト大国とかいわせない。イタリアの時代はジ・エンド……」

  

 などと幸田広之は密かにほくそ笑んだ。サンマルツァーノとフィオレンティーノは日本生まれのトマトになってもらう。イタリアの先を行くため、次々にトマト料理を送り出したい。


 現代より種を持ち帰り、栽培したのはいいが、自然農法では不安定だ。特にイタリアントマトは気候や土壌の違いなど、現代の日本でも栽培は難しい。それも苗ではなく種からとなれば、なおさら。とりあえず問題なければ種を採取し、増やすしかない。


 これまでに、トマトケチャップやトマトソースを使ったスパゲッティ、ピザ、ドリア、ブイヤベースは作っている。これ以外にもトマトを使用した料理をあれこれ考える広之であった。


 そして、夏のある日、淡路島からアブラギータを呼び出し、トマト料理の試食会を開催したのである。今回はアブラギータにイタリアントマトや桃太郎を食べさせ様子を見たい。


 アブラギータは淡路島で作っているモッツアレラ、マスカルポーネ、ブッラータ、リコッタ、ゴルゴンゾーラ、タレッジョ、パルミジャーノ・レッジャーノなどのチーズ。他にもハム、サラミ、パンチェッタ、プロシュート(生ハム)、ソーセージなども持参してきた。


 トマトのアクアパッツァ、ラタトゥイユ、ミラノ風カツレツ、チキンカチャトーラ、ポルペッティーニ(イタリア風肉だんご)、カプレーゼ、アメリケーヌソースのテリーヌ、リゾット、ミネストローネ、ニョッキ、チーズタッカルビ、カムジャチャグリ(じゃが芋と豚肉の旨辛煮)などを用意する。


 無論、主に女性が食べるので、それぞれ量は少なめだ。先ずはミネストローネ、カプレーゼ、アメリケーヌソースのテリーヌ、ニョッキが出された。ミネストローネはトマト、じゃが芋、玉葱、金時人参、セロリ、ズッキーニ、パプリカ、ひよこ豆、パンチェッタ、ソーセージ、海老などが使われている。


 カプレーゼは桃太郎トマトのスライスとモッツァレラチーズを重ねて並べられオリーブオイルやバルサミコ酢もどきが掛けられていた。バルサミコ酢は本来白ぶどう果汁を煮詰めて長い期間熟成させたものだ。代用として穀物酢とワインに黒砂糖を少し加え、煮詰めた物を使っている。


 アメリケーヌソースのテリーヌは夏野菜、海老、鶏肉のすり身を型に入れて蒸した物にトマトソースがたっぷり添えられたものだ。トマトピューレ、ワイン、玉葱、セロリ、金時人参、海老の頭などを煮詰め、仕上げに海老の殻や頭で作った海老油、海老味噌、バター、無糖練乳、オリーブオイルを加えて作っており、海老の風味が強い。


 ニョッキはじゃが芋を使い、これもやはりトマト味で豚の脛肉をトロトロに煮たものが入っている。少し脂っこいが、トマトがそれを打ち消し濃厚さを押し出していた。


 五徳、浅井三姉妹、お菊、福、イルハ、ナムダリ、アブタイなどが集まり、真っ赤な料理の数々に息を飲む。



「さてさて、如何なものですかな……」


「左衛門殿……。確かトマトと申しましたな。これをこのまま召し上がるのでしょうか。生で食して良いのですな?」


「五徳殿、それがしが手本をお見せいたしましょう」


 広之はカプレーゼのトマトとチーズを箸で挟み、オリーブオイルやバルサミコ酢もどきに浸し、口へ運んだ。満面の笑みである。それを見た五徳も真似をしてみる。


「これは、何という甘さ。柿より甘いとは……。されど、チーズのまろやかさや油に酢など合わさり何ともいえぬ味わい」


 広之はそのうちトマトにマヨネーズで食べさせようと思った。邪道ではあるが、醤油を垂らした後、マヨネーズのせて食べるのもうまい。見渡すとアブラギータや他の者もカプレーゼを食べて、トマトの甘さに驚いている。江は次にミネストローネを匙ですくって飲みはじめた。


「於江殿、その汁は如何かな」


「少し酸味はありますが、甘さもくどい程ではありませぬ。色々入っておりますが、トマトがそれらをまとめて引き立ててますなぁ。おみおつけ(味噌汁)と違えと似たようものに思えます」


「トマトには昆布や味噌と同じような成分が入っておりますからな」


 成分も幕府が普及を図っている言葉だ。しかし、グルタミン酸といっても流石に通じない。五徳はアメリケーヌソースのテリーヌを食べ始めて驚いている。海老の味強めで口に合うか微妙だったが、少なくとも不味くないようだ。仙丸と福はニョッキが気に入った様子。


「おぅ〜殿様、このソース何てこった。とても美味しいで〜す」


 アブラギータがアメリケーヌソースのテリーヌを食べて感嘆の声をあげる。立ち上がり、オペラでも歌いそうな勢いだ。


「海老とトマトも合うであろう。バターや煮詰めた牛の乳も入っておる。アブラギータよ、これはイタリアでも受け入れられそうかな」


「パスタのソースにすれば最高で〜す」


 やはり、そう思うかイタリア人よ、と広之は思った。しかし、驚くのはまだ早い、ここまでは軽いジャブであり、本番はここからである。


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