第261話 徳川家康とジンギスカン
朝鮮から瀋陽に戻った徳川家康は幕府役人から各種の報告を受け、対応に追われる毎日だ。春以降、山東省からの移住者が激増している。想定していたより、4割程多いため、食料生産と買い付けを練り直す必要があった。
現在、遼東では鶏と豚の畜産に力を注いでいる。そのため、とうもろこしの栽培を優先していた。飼料とするためだ。さらに冷害対策として、じゃが芋や薩摩芋にも力を入れている。米や麦の多くは明国より買い付けていた。
他にも豆、塩、酒、茶、油、干し野菜なども大量に運び込まれている。また、女直や蒙古の部族から羊も秋頃には沢山運ばれてくる手筈だ。それとは別に献上品として春頃生まれた仔羊(若肉=ラム)が数百頭も届いている。
「これ彦左衛門(大久保忠教)は居らぬか」
「殿、何用でございましょうか」
「民が増えているのは結構じゃが、それでも全く足りぬ。明国より若い夫婦や子連れで来た場合の手当をもっと増やさねばならぬな。新たに子が生れた時も同様じゃ」
「然様でございましたら、童子たちに日本の言葉を教える者も増やさねばなりませぬな。今年より寺も建てられるよう、法度が改められましたが、主に日本人が住む所ばかり」
「なかなか、難しいのぉ。子が生れ、日本の言葉を少しは話せるようになり、三代で日本人同様にするというのが幕府の目論見じゃ。ともかく、大工も足りぬ。陳徳永の番頭に大工が必要じゃと催促せぇ」
「殿、それはそれがしも申しておるのですが、上海や香港などへも割り振っており、不足して云々。奥地からも掻き集めてるため、今しばらくとの由」
「人も足らねば物も足りぬ。木、煉瓦、衣服、靴、鍋、釜、包丁、農具……。足りてるのは羊だけじゃな。流石に羊も食い飽きたわい。見るだけで滅入る」
「そう申されても、もはや羊の若肉が我らの主食でございますぞ」
「わかっておる。愚痴じゃ。ところで、幸田殿自ら羊の食し方を記した秘伝が届いておったな。今日の夕餉はその通りに作らせよ」
こうして、彦左衛門は羊若肉の解体や各種食材の手配に追われた。今回、作るのは
付けダレ3種、漬けダレ1種の計3種だが、幸田広之のレシピである以上、手間を要する。漬けダレについては解体した羊若肉の肋骨部分を燻製にするところから始まった。
そして、大豆醤油、空豆醤油、牡蠣油、酢、味醂、蜂蜜、にんにく、玉葱、白梨(中国梨)、各種香辛料に肋骨の燻製を加え、弱火で煮詰める。また、付けダレの醤油味は、漬けダレに肋骨の燻製を加えておらず、材料の配分も少し違う。
ふたつ目の付けダレはトマトをピューレ状にして、味醂、酢、魚醤、にんにく、唐辛子粉、すり潰した酢漬け唐辛子、香辛料、水飴などを混ぜてある。もうひとつの付けダレは胡麻油に胡麻、オキアミの塩辛、にんにく、葱を加えた物だ。
夕方となり家康を始め徳川家の面々が庭に揃っていた。そこへ雇っている漢人の女中が成吉思汗鍋を設置。酒や酒肴も並び、皆賑やかにやり始める。朝鮮での首尾も良かっただけに上機嫌だ。
日本国内の移動は自腹だったが、それ以降は全て幕府持ちであり、武将を含む全員に毎月手当が出る他、亡くなった者には
「殿、肉の用意が出来ましたぞ」
「遅いではないか、彦左衛門。待ちかねたわい」
肩ロース、バラ、ランプ レッグが並んでいた。それも、味付きと味無しの2種だ。仔羊を何頭潰したのか分からないほどの量である。他にも玉葱、長葱、もやし、ズッキーニ、人参、南瓜などの野菜も山盛りだ。味無し肉には、彦左衛門がミルで胡椒を挽いて散らす。
「それでは皆の者、存分に楽しむが良かろう」
家康の合図で一同は次々と肉を鍋に入れる。
「
「分かっておるわ。そちも立っておらぬで座って焼かぬか」
成吉思汗奉行と化した大久保彦左衛門に本多忠勝が声を掛ける。
「平八郎殿(本多忠勝)、拙者はあくまで
「全く融通が利かぬ堅物じゃ」
舌打ちした忠勝は、焼けた味無し肉を箸でつまんだ。
「平八郎殿、それに味は付いておりませぬ。手元のタレにお付けくだされ」
「それでは、この黒いタレを……。うむ、これは美味い。何というか燻したような味わいじゃ。とても深みがあって、肉を本来の美味さを引き立てておる」
「泣く子も黙る平八郎殿を唸らせるとはなかなか……。然らば儂はこちらの方を頂くとしよう。うう、実に美味い。ただの胡麻油ではないな。色々、工夫が凝らされている」
そういいつつ胡麻油ダレを付けて食べる井伊直政であった。家康はトマトダレの刺激に思わず絶句している。
「殿、大事にござりませぬか。そちらは、少し辛いですぞ」
「彦左衛門、要らぬ心配じゃ。色と匂いで辛いのはわかるわい。確かに辛いが、これは見事な味わいじゃ。流石、幸田殿が考案されただけの事はある」
殿と若様(秀康)には、こちらも是非召し上がって頂きませぬ、と。
「これは何じゃ」
「羊の舌でございます」
「そんな物が食えるのか」
そういいつつ、家康は焼き上がったタンを食べて仰天した。
「若肉の舌がこれ程、美味いとは知らなんだ。これまで、蒙古や女直にくれていたのであろう。あやつら、美味いのを知っておったであろうな。内心で馬鹿にしておったはずじゃ。彦左衛門、これからは必ず儂のところへ持って来い」
「御意にございます」
忠勝や直政は味付き肉を焼きつつ野菜を次々と口へ放り込む。2人とも、堪らず白米を持ってこさせた。こうして酒、米、肉、野菜がみるみる内に消えていくのであった。
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