第260話 幕府軍、カスピ海に集結す

 西暦1594年9月。丹羽長秀たち幕府軍、チャハル部、ホルチン部、ウラ国、イェヘ国、北河国、明国義勇兵はシャイバニー朝を解体。そして、ヒヴァ・ハン国やカザフ・ハン国を西方に追いやった。


 そして、カスピ海北東部に割拠する遊牧民の連合体であるノガイ・オルダ(自称はマンギト)へ進撃して殲滅させ、対岸の旧アストラハン・ハン国の残党を傘下に引き込んだ。


 アストラハン・ハン国はロシアに滅亡され、地域の部族は従っていたが、兼ねてより脇坂安治やオスマン朝の工作もあったので協力的だった。カスピ海周辺が冬営地と予定されており、本営と定めた地には簡単な要塞が築かれ、周囲には市が立った。


 旧シャイバーニー朝領域やペルシャから来た商人で溢れかえっている。程なくしてカイロやトルコからの膨大な物資も運びこまれた。鹵獲した膨大な羊は食べる分以外、制圧した各地へ移動させている。


 遊牧を辞める事を誓った者は日本国民とし、拒んだ者はチャハル部や女直に分け与えられた。チャハル部や女直は女子供以外はペルシ人やウズベク人の商人へ奴隷として売っている(幕府は黙認)。


「五郎左殿、脇坂も味な真似しますな。日本の米、味噌、魚。お陰で生き返りました」


「又左よ、久々に食す魚の煮付けや日本の米は実に良いの。脇坂も直ぐに着くようじゃ。既に逃げたオイラト、カザフ、ウズベク、ノガイどもはシビル・ハン国やロシアに滅ぼされたカザン・ハン国の領内へなだれ込んでおる。荷駄が整い次第、モスクワへ向かわねば。寒さにやられてしまう」


 この数日後、脇坂安治は到着し、長秀たちへ黒海周辺からロシア方面の情勢や地理を伝えたのであった。そして、幕府軍率いる連合軍は一気にモスクワへ向け、進撃を開始したのである。


 現代でいうところのロシア、ウクライナ、ベラルーシは東スラヴ人が主に住む土地である。ベラルーシの場合、白ルーシという意味だ。これはモンゴルに支配された時代、中国の五行思想の影響で、東西南北を色分けした影響とされている。


 ロシアの由来もルーシであり、東スラヴ人が主に住む土地はルーシと呼ばれてきた。ルーシの歴史は長く文字による記録が無かったため、古代の事はよくわかってない。ルーシ最初の国家は、北方のノヴゴロドを中心としたルーシ・カガン国だとされる。


 これが9世紀の頃であり、日本は平安時代だ。これより1世紀程前に記紀や万葉集が成立していた。ルーシ・カガン国はやがてキエフ(現ウクライナ)を中心としたキエフ大公国(リューリク朝)となる。ちなみにノヴゴロドを建設したリューリクはスラヴ人ではなくノルマン人(北方系ゲルマン人)だ。


 その頃、キエフ大公国の東南はハザール・カガン国が支配していた。つまり、ルーシの東スラヴ人はキエフ大公国(支配者はノルマン系)かハザール・カガン国(支配層はテュルク系と推測され、かつては西突厥を構成した遊牧系部族)に二分され支配されていた事になる。


 やがて、ハザール・カガン国は滅亡し、キエフ大公国がルーシの支配を確立。しかし、13世紀初頭にモンゴルがルーシへ侵入。2世紀にわたってジョチ・ウルスの支配下となった。


 ルーシ諸公のモスクワ公はモンゴル支配下において貢納を取りまとめる役を担う。15世紀になるとジョチ・ウルスから脱しつつ、モスクワ大公国からロシア・ツァーリ国となった。


 しかし、西暦1594年時点においては、イヴァン雷帝(イワン4世)が1584年に亡くなると、フョードル1世が後を継いでいる。史実だと、子供の居ないまま、1598年に没したため、リューリク朝の嫡流は断絶。


 その後、フョードル1世の義兄であるボリス・ゴドゥノフがツァーリ(妹はフョードル1世の妻)となった。ボリスは1591年にフョードル1世の異母弟を暗殺した疑惑もある。


 ボリスの治世下に死んだはずのドミトリーを名乗る若者が現れ、民衆やポーランドから指示された。この偽ドミトリー騒動が猛威を振るい、ロシアが混乱する最中の1605年、ボリスも亡くなる。


 ボリス亡き後、息子のフョードル2世が即位。モスクワ大公家の傍流であるヴァシーリー・シュイスキーが偽ドミトリーと認め(ボリスの刺客が誤ってドミトリーの友人を殺したと証言)、フョードル2世は廃位し、偽ドミトリーが即位。


 しかし、ヴァシーリーは「すまんかった。儂の勘違いじゃ。いや、騙されとった。やはり、あのドミトリーは偽者(超訳)」などと主張。こうして1605年にヴァシーリーがツァーリに選出される。


 つまり、1605年にツァーリは4人も居た。だが、騒動はこれで収束しなかった。偽ドミトリー騒動が終わったのも束の間、何と今度はフョードル1世(偽ピョートル)の偽物が現れたのだ。


 さらに、この間隙を突いて、大貴族とコサックが結託し、大規模な反乱を起こす(イヴァン・ボロトニコフの乱)。1607年に何とか鎮圧。流石にゴタゴタもここまで、と思うのは早計だ。


 殺されたはずの偽ドミトリーが、実は奇跡的に助かったという都市伝説が流布していた。そして、何と二代目偽ドミトリー(ドミトリー2世)が出現。ポーランドの支援を受けながらモスクワへ侵攻したが失敗。それでもモスクワ郊外に拠点を築いた。


 この、二代目偽ドミトリーは本物のドミトリー生母であるマリヤ・ナガヤより「おお、愛しきドミトリーよ。生きていたのだね。ママは信じていたわよ(超訳)」といわれたか別にして本物と認められたのだ……。


 現代でいえばオレオレ詐欺みたいなものなのだろうか。「母ちゃん、俺だよ俺……。実はちょっと死にかけてさ、何とか無事なんだわ。でも、俺が死んだじゃないかって疑われちゃって」みたいな展開である。


 いや、そんな馬鹿なと思うが、さらに初代(元祖)偽ドミトリーの正妻だったマリナ・ムニシュフヴナまで「あなたの帰りをずっと待っていたわ。随分遅かったじゃない。うふふ(超訳)」と結婚して子供も生まれた。


 このような、すったもんだがあった挙げ句、ロマノフ王朝が生まれる。これが、世界史でいうところのロシア大動乱期だ(こんな、ふざけた事やってた国が後にソ連となり二大陣営の一角になるのだから世の中不思議だ)。



 




 

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