第259話 幸田家と七夕
天正21年7月7日(西暦1594年8月22日)。つまり七夕の日である。幕府は庶民で参加出来る行事を積極的に啓蒙しており、七夕もそのひとつであった。旧暦においては初秋であったりする。
来月には中秋の名月も控えており、お盆を含め、秋の三大行事となっている。ちなみに史実だと、これより2年後の慶長元年は閏月の関係で7月は2回あった。8月は1585年にやはり2回あったりする。つまり、閏月のある時代、新暦と旧暦のズレ関係なく、時期の差異が生まれた。
七夕の起源も古代中国であり、神話に登場する彦星(牽牛郎)と織女(織姫)の逢瀬を祝うものだ。漢の時代に編纂された『古詩十九首(南北朝時代編纂の文選に所収)』が初出となる。
日本でも奈良時代から行事が行われており、大衆向けに普及させるため幸田広之は基本を定めた。前日から竹に短冊を付ける。当日は針を捧げ、索餅(揚げ菓子)と金平糖を台に起く。そして、素麺・笹寿司・笹団子を食べるというものだ。
このため、大坂市中では数日前から竹や短冊が売られ、当日は笹寿司、笹団子、金平糖も飛ぶような勢いだ。幸田家の場合は織田時代において有数の富豪とあって、豪勢である。
町中では子供たちが「笹の葉さ〜らさら……」と歌っているが、幸田広之の作として世に広まった。竹の容器で飲ませる甘酒売りや笹団子を食べながら町を歩けば、そこかしこから祭囃子の音色が鳴り響く。
郊外の契約農家から牛を借りて庭に繋ぎ、機織り機まで用意していた。捧げる針も金と銀だ。朝から初、江、末、福、登久、久麻の他、女中は織姫をイメージした中華風の服を着せられている。
「母上、毎年七夕といえば、かような着物……」
「これ於福、そう申すでない。そなたも織姫のように針使いに長けた立派なおなごに……」
「されど母上、確かに於福の申す事も一理あるか、と。いさかか趣向が凝りすぎておりませぬか」
「姉上の申す通りでござりましょう。かような服、外に出れませぬ。いや、人前に立つのも穢らわしい」
そういいつつ登久と久麻は織姫風の衣装にまんざらでもなさそうだ。登久と久麻は春頃、幸田家に来て以来、すっかり馴染んでいた。福とも仲は良いが、一応は仇同士にあたる。
山崎の合戦で、福の父斎藤利三を討ち取ったのは徳川勢の本多忠勝だ。斎藤利三が腰に付けていた太刀は本多忠勝が家宝にしている。武勇の誉れ高い忠勝であっても斎藤利三程の将を討ち取った事は他にない。
家康や織田信孝から感状を貰い、さらに信孝から太刀を贈られている。子々孫々にまで語り継がれるべき武勲となっていた。また、忠勝は姉川の戦いで、豪傑として知られる朝倉家臣真柄直隆と一騎打ちをしている(討ち取ったのは向坂三兄弟)。
この真柄氏の一族である田代養仙は医師となり、現在幸田家の家臣だ。つまり徳川家に合戦で討ち取られた者の一族が2人も居る。戦国時代だと武田信玄のように滅ぼした諏訪家の姫を側室へ迎えたり、現代の倫理は通用しない。
そうこうしているうちに、広之も城から戻ってきた。
「お牛さんは利口にしておられるかな」
「父上、この服はいつまで着てればよいのですか」
「いいたい事はわかる。もっともじゃ。しかし、於久麻よ……。ここは親孝行と思い今しばらく着ておくれ」
「何が親孝行ですか。かような姿、徳川家の者には恥ずかしくて見せられませぬ。それはさておき、お星様は何故夜空に輝くのでございましょう……」
「ナイスですね〜。ナイスクエスチョン。お陽様と同じ恒星で、水素とヘリウムのガス。核融合反応により光っている。これが反射して光る天体もあったりしま〜す。つまり、お星様は恒星・惑星・彗星……。恒星は様々な種類がありスペクトル型はO、B、A、F、G、K、M。最も大きな恒星はお陽様の何と2158倍。きらきらするのはお星様が遠くにあるからなんだねぇ。光が届くまで何百年、何千年も掛かる。で、大気の屈折率は圧力・温度・湿度によって変化するから、光の進む方向も一定せず、きらきらするんだね。とても不思議だなぁ」
「母上、また父上の発作が……」
「これ於久麻、言葉が過ぎますぞ。殿様は幼き頃、助けた亀に乗って龍宮城へ行ったり、天狗に拐われて山奥で修行を積んだため、少し変わっておられると、彦右衛門殿(幸田孝之)が申され……」
陰でそうとう酷い事言われてるな、と苦笑いする広之であった。程なくして、日も沈み中庭を望み、食事が始まる。素麺や笹寿司など内容はいたって質素だ。食べ終わると、お茶など飲みながら笹団子や索餅を味わいつつ夜空へ思いを馳せる。
中庭で揺れる沢山の短冊には広之が書いた物も多い。「ロト六当たりますように」「設定六の台に座れますように」「菊花賞と有馬記念取れますように」「巨人が優勝しますように」「背が伸びますように」などと、意味不明な願いが書かれていた。
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