第229話 お初とお菊の晩酌

 幸田広之の側室お菊と実姉である仲居頭のお初も元はといえば武士の娘だ。姉妹の父親は松永久秀の家臣であった。しかし、主君の久秀が織田信長に対して謀反を起こした結果、信貴山城で亡くなっている。


 その後、紆余曲折あって姉妹で幸田家に仕えていた。姉のお初も元々武士の家系なだけに、読み書きは普通に出来るし、最低限の作法は心得ている。当初は女中になる予定で見習いとして、広之の側で務めていた。


 ところが、頭の回転が早く、手先が起用ということもあり、広之の晩酌を作っているうち、仲居頭へ抜擢されたのである。仲居といっても、名目でしかない。基本的には料理担当だ。


 現代でいえば料理店の店長のような立場といえよう。台所の責任者である哲普より、権限は大きい。そんな、お初に対して、お菊は初めから女中だった。側室となった末のお付きとして働き始め、自身も側室に任命される。


 お菊は今年になって仙寿丸を産んだが、側室の子から生まれた子供であっても、母親は五徳と決まっていた。現代でいえば代理出産のようなものだ。そうはいっても同じ屋敷で暮らしており、世話をしたりする。姉妹でお菊が産んだ仙姫と遊ぶのは最大の楽しみといえよう。  


 その次の楽しみといえばやはり姉妹での晩酌であろうか。明日、非番となるお初は広之たちの食事を出した後、自分が後で食べる分を作り始めていた。淡路島より届いた鰤がまだ残ってるので、ごまさばを作る。


 いつもの醤油ダレではなく、塩ダレだ。この間、広之から晩酌用に命じられて作った時、味見をしたが、あまりの美味しさに驚いた。それで、今日早速真似をしようというわけだ。


 作り方は驚くほど簡単である。味醂を少し火に掛けて、昆布で出汁を取り、そこへ塩とニンニクの摺り下ろし少々。これに、胡麻油を加えてタレは完成。皿へ切り揃えた鰤にタレを掛ける。後は摺り胡麻や九条葱を散らせて出来上がりだ。


 お蒔や金万福の妻である王春華も手伝う。お蒔は鰤のハラス焼を作っている。焼いてる途中、手際よく茹でた葉ニンニクの青い部分を、摺り鉢で滑らかにしてた。白味噌、白出汁、味醂、ニンニク、山椒も入っている。これは湯豆腐用だ。


 春華は烏賊と鶏の砂肝へ葉ニンニクを加えて酒蒸し風に炒める。手の空いた金万福も残ってた銀杏の身をオリーブオイルでニンニクや鷹の爪と炒めた。ペペロンチーニ風だ。


 お初は最後に、蓮根フライを作り、これで完成だ。お蒔や春華に手伝ってもらい、お初は自分の部屋へ料理を運び込む。普通の屋敷で、使用人がこんな賄いを食べる事などあり得ない。


 しかし、幸田家ではお初と哲普に勉強を兼ねさせる意味合いもあって、ほぼ無制限だ。他の者も2人程ではないにしろ余ってる物なら大体自由に使える。無論、広之の方針だった。現代と違い、ネットで情報を集めたり出来ないし、評判の良い店へ行くという事も難しい。


 何しろ、幸田家で出される料理は本来ならば、この時代に存在しない物が多いのだ。自分たちで食べながら磨いて行く他無い。食材的にもケチャップ、マヨネーズ、ウースターソース、カレー粉、胡椒、五香粉、八角、辣油、牡蠣油、海老油、XO醤、郫県豆瓣醤、コチュジャン、魚醤、タバスコもどき、チーズ、火腿、アンチョビ、ワインなどを使える台所は幸田家だけであろう。


 さて、お初が風呂に入ってる間、お菊がイカと鶏の砂肝炒めを食べながら陳年紹興酒を飲んでいた。あまり、うるさくない幸田家ではあるが、妊娠期間中の禁酒と食事制限は徹底している。


 お茶の回数制限もあるし、冬場は部屋の温度も暖かい。何しろ広之が指導している家の安産率はこの時代では考えられない程だ。日頃から十分栄養を付けている。お菊は、五徳から来年の春以降子作りをするよう命じられていた。


 子作り期間に入る前から飲酒は制限されるので、自由に飲めるのは今の内だ。まもなくしてお初も風呂から上がって部屋へ戻る。


「まあ、お菊ったら、夕食の時も結構飲んでたでしょ」


「薄い焼酎のお湯割りでございましたから、酔ってはおりませぬ」


「料理だって今日は温寿司出したから、お腹空いてないはずなのに」


「確かに、お腹は一杯になりましたが、この葉ニンニクの炒め物の風味ときたら、ついつい食べてしまいます」


「それじゃ私も頂こうかしら。うん、確かに美味しいわね」


「銀杏の炒め物もぴりっと辛く実に美味しい事。姉上、酒に合います」


「それは金さんが作ったから間違いないわよ。最近、ニンニクと唐辛子を使った料理を色々試しているから」


「そういえば、この間、同じ味付けで里芋の炒め物出てきました」


「あれも、金さんよ」


「やはり……然様で。それはそうと、鰤のごまさば。醤油も美味しいけど、塩味も後を引くような……。いつものごまさばはご飯に合いますが、これは見事な程の酒肴」

 

「美味しいわよね。酒が進んでしまうわね」


「姉上、先程湯豆腐を火鉢に掛けて置きましたが、もう良い頃合い」


「王さんの作った葉ニンニクのタレは美味しいわよ」


「ほぉ、ニンニクと湯豆腐がこれ程合うものなのですね」


「酒に合うけど、ご飯に熱い豆腐と温泉卵のせて、このタレで食べたら、間違いなく美味しはず」 


「姉上、胡麻油を数滴垂らして、炙った揉み海苔もお忘れなく」


「あなたも、すっかり口が肥えてきたわね。体も肥えないように気をつけねないと、お殿様に嫌われてしまいますよ」

 

「気を付けます。ところで、その鰤はもしや……」


「ハラスですよ」


「やはり。これは寒鰤なだけに脂がのって舌がとろけそうな」


 妹が鰤のハラスを食べるのを見ながら、お初は蓮根チップスを口へ運んだ。この後、仕事が終わったお蒔も遊びに来て、宴は続くのであった。



 





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