第230話 羽柴家足軽と北海道中村


 積丹半島にある中村(現代でいう岩内町)は羽柴秀吉が拓いた村であった。秀吉が遭難して樺太へ流された後も残された家臣は函館や羽柴家の国許と連絡を取りつつ運営が行われている。今では漁村として大きく発展していた。


 帆立、バフンウニ ムラサキウニ、海老、槍烏賊、真鱈、スケトウダラ、平目、八角、鮑、北寄貝、ホッケ、鰤、鰊、鮭、サクラマス、蛸などが豊富に取れる。海産物に恵まれており、羽柴家家臣は漁師のようになっていた。 


 長浜や播磨を領地にしていたので、家中の足軽には漁師出身の者も居る。中村の漁業は年々規模が大きくなり、今や羽柴家における収益の柱と成りつつあった。大大名時代に築いた上方商人とのパイプも十分活かし、中村はもはや村どころの話ではない。


 函館から札幌の間では最も栄えている。各種問屋、宿、飲食店、馬借、魚の加工場、倉庫、養豚場、養鶏場、煉瓦工場、酒蔵、銭湯などが建ち並び、現在運河さえ掘られていた。 


 秀吉が治めていた時代の長浜や播磨に迫るような勢いだ。単純に景気だけ見れば中村の方が上かも知れない。さながら羽柴財閥の城下町と化している。鰊油、身欠き鰊、鰊粕、塩漬け数の子、干し鱈、たらこ、新巻鮭、塩引き鮭、鮭とば、鰤節、干し昆布、干し鮑、干し帆立、干し烏賊などに加工されていた。


 ホッケの生・干物、鮭・鱒、塩鰤、鮟鱇、糠鰊、鰊の塩漬けなどは民間入植者や屯田兵たちの食料として大量に買われている。失脚した後の秀吉は腫れ物に触るような存在だった。しかし、大陸での活躍以降はかつて付き合いのあった商人や領民たちが一気に押し寄せた結果である。


 長浜や播磨の漁師、播磨の塩業者、美作の馬借なども同様に中村へ殺到した。また知古を得た角倉了以なども投資している。さらに角倉了以が幸田家の商売へ協力している関係で、幕府の動向や幸田広之の助力を得られたのも大きい。


 秀吉は丹羽長秀と接している内に全く恩賞を欲してない事へ気付く。昔の長秀は織田信長より身内のような扱いを受け、評価されているが、恩賞に反映されず、便利な人として扱わる事へ少なからず悩んでいた。そんな長秀からすれば少し解せない、と秀吉は考えたのである。


 導き出した答えは米による年貢は何れ成り立たなくなるのでは無いか、というものだ。武士と土地を完全に引き離す。どうも、そんな予感がしてならない。ならば、その日が来るまで、米以外に食べて行く方法を考えれば良いだけの事。


 加増を期待している他の大名を見て「おみゃ〜らはたわけか」と内心思う秀吉であった。もはや、領地など増えてもあるだけ邪魔とさえ思っている。


 羽柴家は中村において、農民から米を買い付ける形で転売するためのシステムを構築しつつある。石田三成や片桐且元などには幕府の法度や制度などを徹底的に学ばせていた。そこに幕府の方針が示されていると読んだからだ。


 また、家臣たちは足軽含めて女直、漢人、蒙古、朝鮮人の言葉を必死で学び最先端の精鋭集団に変貌しつつある。無論、アイヌ、スメレンクル、ホジェンなどの言葉を話せる者も多い。歴史を知っている長秀は、本来なら天下人になるだけの事はある、と感心する他なかった。


 さて、北海道中村における羽柴家の様子を少し見てみよう。足軽小頭の留吉は1日の仕事を終え、長屋へ戻ってきた。石炭ストーブが導入され、とても暖かい。加藤清正が虎退治ならぬ熊退治をしたことで土地のアイヌから終われ、ここへ辿り着いたのが遥か昔に感じる。


 今では奥羽各地はおろか、かつて羽柴家が治めた領内の国人崩れや民も移って来た。アイヌなども居る。北海道になる以前は蠣崎家(現松前家)が漁期の時だけ家臣を派遣し、アイヌと取引していた。


 しかし、蠣崎慶広が織田信孝の直臣となる。松前の代官ではあるが知行地は羽後。岩内は織田家へ引き継がれた。そこへ、秀吉たちが流れ着き、本格的に大規模な鰊漁と加工など始まったのである。


 アイヌたちは主に鮭で、それらは幕府の取り決め通り、優遇されていた。織田家が蠣崎家より引き継いでたのは主に鮭の買い付けだ。そのため、羽柴家による鮭以外の漁場開拓は問題とされなかったのである。


 北海道各漁村の通例に漏れず、中村でも1年を通じて漁が行われている。アイヌは雇われ、和人の生活様式へ移行しつつあった。醤油、味噌、日本酒、焼酎、米などは彼らの生活に欠かせない物となっているのだ。


 また、幕府の奨励でじゃが芋や薩摩芋、とうもろこしを栽培し、鶏も育てている。結果、食卓といえばご飯、味噌汁、焼き魚、漬物、芋の煮物が幅を効かせていた。


 米の食事、和酒、煙草はステータスともなっており、昔ながらの伝統的生活をしているアイヌは同じ仲間内でも肩身が狭くなりつつある。結果、アイヌ集落は急速に弱体化し、離脱者が続出。和人の農地や網子として働く者が後を絶たない。


 留吉は羽柴家の足軽小頭という立場で中村網衆の組頭を務めている。配下には羽柴家以外の和人やアイヌ、中には樺太や沿海州より来たスメレンクルさえ居た。


 留吉が帰宅すると東陸奥の羽柴家領内より呼び寄せた妻は手早く食事の支度を始める。真鱈と豆腐のちり鍋、ホッケの一夜干し、たらこが並ぶ。無論、炊いた米と酒もあった。


 足軽長屋街の一角にある小さな銭湯(蒸し風呂)で汗を流し、再び家へ戻ると、米も炊きあがっていた。長浜時代からの古参である留吉からすれば、北海道は未知の土地に他ならない。


 しかし、戦いと移動に明け暮れてきた生活からすれば極楽であった。足軽でさえ、暖かい部屋にて、美味い魚を食いながら、酒が飲める。毎日、風呂へ入れるし、中村にはあらゆる物が揃い、不自由ない。


 石高で見れば、羽柴家は没落したのであろうが、生活内容は以前と比べ物にならず、景気の良い話ばかりだ。長浜時代より羽柴家が潤ってるのは疑いようない。


 留吉はホッケを食べていたが、これ程美味い魚は無いだろう、と思っている。鰯も決して嫌いではないが、ホッケは比べ物にならない。焼いても良いが、味噌煮、鍋、揚げ物などにも出来る。


 それに、たらこも不思議な食べ物だ。船に乗る時は握り飯を持って行く事もある。握り飯にこれ程合う食い物は無いだろう。浜小屋での食事においても味噌汁とたらこは欠かせない。


 真鱈と豆腐のちり鍋も堪えられない味わいである。海の幸に米と酒が進む留吉であった。

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