第2話 織田信孝と丹羽長秀の決断

 広之は住職らしき人にあれこれ尋ねたが自分の知っている戦国時代そのものだ。


 三好政権時代のあれこれ。久米田寺周辺での戦い、剣豪将軍義輝の死、義昭を奉じた織田の上洛、織田と本願寺の対立、義昭の追放、石山本願寺の退去……。


(まるっきり史実通りじゃないか……)

 しかも岸和田城に織田信孝と丹羽長秀が来ており、明後日四国征伐へ向うとか言ってる。


 ここ最近、四国征伐のため雑賀さいがから兵や船が来たり、食料の買い付けで賑わってると住職喜んでるけど大変なこと起きるんだよ。


 こんなところで考えている時間はない。光秀はすでに丹波亀山を出発して京の都へ向っているはず。なんとか信長を救えれば……と考える広之であった。


 小説や漫画だと時空超えた登場人物は歴史改変をためらう。時空を超えることが可能だとしたら、過去に改変された結果の現在である可能性もあるはずだ。


 しかし少なくとも明治以降、大量の人間消失、歴史遺物や遺跡の消失、教科書の記述が突然変わる…といった歴史改変が起きたと思われる事象は一般的に確認されていない。


 いや、あるのかも知れない。過去の誰かに将来大きく値上がりする株を教えることも出来る。予言者になることも……。


 無論、歴史改変するにしても痕跡が微小であれば気が付かない。仮に過去へ迷い込んでも子孫を残さず山奥で亡くなるのと天下人では影響度が違う。


 現時点を軸にすれば、存在する保証のない未来への影響より、過去における現在が優先されるべきだと判断した。過去を変えるのでなく未来を変える。どうせなら現代より少しでもいい方向へ……。


 バッグの中を確認した。歴史年表地図、自身が執筆した戦国時代の本、寄稿した雑誌、新聞が入っている。スマホ、ノートPC、デジカメは車内だ。しかし愛車はどこかに消えている。いや消えたのは広之の方であるが。まだローン残ってることは少し気がかりなところ。


 少なくとも歴史年表地図と、戦国時代の本、雑誌、新聞、時計があれば未来人だと信じてもらえるかも知れない。実のところ広之の先祖である幸田孝之こうだたかゆき(彦右衛門ひこうえもん)は信孝の傅役もりやくだった。少なくともそういう言い伝えが残っている。


(こうなったら望むように歴史を変えよう)

 腹はすでに決まっている。このタイミングで本能寺の変前夜へ迷い込んだのは偶然と思えない。


 これから岸和田城に居るはずの孝之と面会して織田信孝、丹羽長秀、蜂屋頼隆(岸和田城主)を説得せねばなるまい。久米田寺住職へ岸和田城の方角を尋ねると一目散に城へ向かった。怪我をしないよう慎重に歩く。


 約40分ほどで岸和田城に着くと門は閉まっておらず、かがり火が焚かれている。城の内外を往来する人が沢山居た。明後日の準備であろう。門のそばに居たそこそこの身分と思われる武士に名乗った。


「失礼つかまつる。それがしは織田三七郎さんしちろう様の御家来幸田彦右衛門様の遠縁にあたる幸田広之と申しまする。何とぞ急な用向きにてお取次ぎくださいませ」


「儂が彦右衛門じゃ! 怪しい奴め、よもや長宗我部ちょうそかべの間者か!」

 

 話は早いけど早すぎて危うく斬られかけた広之だが、父系遺伝強いのか顔つきは似ている。血は争えない。まさに遺伝の妙。


 時計、紙幣や硬貨、本など見せて、只者でないことを理解させた。さらに驚いている孝之へ歴史年表地図や戦国時代の本を見せながら本能寺の変を説明する。


 初めはありえないと怒ってたが、この世のものと思えない印刷物と内容に怖くなった孝之は取り次いでくれた。


 説得するまで3回ほど斬られそうになった広之であるが、インタビュー取材や歴史研究家のクレーマー老人たちに鍛え上げられた成果と言えよう。


 30分ほどして城内に通される。案内された部屋には織田信孝、丹羽長秀、蜂屋頼隆(長秀の義弟)、幸田孝之(信孝の乳兄弟で傅役)、岡本良勝(信孝の家老)の5人が控えてた。異様な雰囲気である。ほぼブラック企業の圧迫面接に近い。


「怪しい者とはそなたか?」


 開口一番、長秀が孝之に浴びせる。


「確かに怪しいですが話をお聞き下さい」


 緊張しつつも必死である。無論、この時点で長秀だとは広之にわからない。仕事柄、座談会の仕切りもたまにあるので、自己紹介をしつつ全員の名前を確認した。


 その後1時間ほど歴史年表地図や戦国時代の本を示しながら広之の熱弁は続いた。時刻は20時15分過ぎ。


「あいわかった。そなたを疑うのは仕方ないと許せ。これは天啓なのかも知れぬ。いや天に背いたとしても上様(織田信長)と殿(織田信忠)をお救いしたい。もし、そなたの言ってることが嘘偽りで不首尾となれば儂は責任をとって腹を切る覚悟。五郎左ごろうざ殿(長秀)、兵庫頭ひょうごのかみ殿(頼隆)、それでよろしいかな?」


 信孝はそう告げると長秀が答える。


「三七郎様の仰せに従う所存。まずは早馬を京の都へ向かわせるのが肝要。何事も起きなければそれでよし。日向守ひゅうがのかみの軍勢が攻め寄せたら上様と殿を落ち延びさせるべし。万一の事あらば、四国征伐のため揃えた兵にて、大坂へ向い七兵衛しちべえ(津田信澄つだのぶすみ)殿を討ち、京の都へ攻め上るまでじゃ」


 信澄討伐は意見が割れた。しかし大坂城(旧石山本願寺)の物資が必要なうえ、無実でも明智光秀の女婿という立場を考えれば放ってはおけないと最終的に決した。


 史実では実際のところ不明であるが、信孝と長秀に襲撃されなければ、光秀に与した可能性もないとは言えない。


 最大の問題は史実において寄せ集めの四国遠征軍が瓦解し、単独で明智を討伐する機会を逸している。


 そこで広之の提案した案は万一の事態となれば、堺、和泉いずみ河内かわち、大坂、摂津せっつ、大和などの織田家臣へ使者を送る。


 堺に居る家康は史実であれば、2日午前中、京の都へ向けて出発したあと飯盛山のふもとで茶屋四郎次郎から事件を聞きそのまま夜を過ごし、翌日俗に言う神君伊賀越えを決行する。  


 間に合うようなら明智討伐へ加える。家康には北条と武田の残党を抑えてもらわねばならないので貸しを作っておきたいからだ。信長と信忠は京の都を脱し、矢傷を負いつつも一命を取りとめ近江へ向かっている、と各地へ書状を送る。


 そして信孝たちは四国遠征軍に合流し、一世一代の手柄を立てるべく指揮を鼓舞、大坂へなだれ込む。さらに摂津衆を糾合して山崎で明智を屠るという算段。長秀は数日前に大坂で信澄と共に家康を接待しているため様子がわかる。


 羽柴秀吉が実際やったように信長は生きていると吹聴し、なおかつ摂津衆をいかに抱き込むかで決まる。その点について長秀は自信満々だ。少なくとも池田恒興いけだつねおきは問題ないと言う。


 思ってた通り長秀は人格者で物腰が柔らかい。元来は武芸にも秀でて、肝が座り、十分な器量を発している。信孝も明らかに優秀だとしか思えない。


 談合が終るや早馬数騎、消えて行った。その後も広之は5人から質問攻めにあい、深夜12時頃しばし眠りにつく。鈴木姓の取材に紀伊へ行った話が長秀のツボにハマり、笑い転げていた。


 孝之が広之の履いていたスポーツシューズを仙人足袋せんにんたびと言ってたことを思い出すと笑いが込み上げる広之なのである。



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