明智討伐編

第1話 本能寺の変前夜に迷い込む

「これが有名な久米田寺くめだでらか?」 


 幸田広之こうだひろゆきはそう呟くと停めたミニバンの外へ出る。久米田寺は、だんじり祭りで有名な大阪府岸和田市にあるお寺だが、奈良時代の西暦738年、行基ぎょうきにより開基された。


 寺の前にある久米田池と言う溜め池が行基の指導で造られ、それを管理するための寺も建立。それが久米田寺の始まりだ。

 

 たびたび戦乱に巻き込まれており、決定的だったのは三好長慶ながよしの弟である三好実休じっきゅうと河内・紀伊国守護畠山高政が戦った久米田の戦い、続いて石山合戦の混乱によりほぼ焼失。


 復興は江戸時代の延宝年間(西暦1673~1681)以降。現在では桜の名所として知られる。


 由緒ある寺だが参拝時間は過ぎており、周辺に人影もなく静かだ。時刻は18時を少し過ぎている。初夏であり、まだ明るいうえ湿気を含んだ空気が肌にまとわりつく。


 この日は取材で1日中和歌山県を訪れていた。広之は一応食べていけるレベルのライターである。ただしフリーランスであるため仕事を選ぶ余裕はない。結果として歴史、オカルト、サブカル、事件、旅行、グルメ等、分野は広範囲。


 一応のメインは歴史だが背に腹は代えられず、本名以外にもいくつかペンネームを駆使しており、何でも屋の覆面ライターとして知る人ぞ知る存在。ネタのストック豊富で執筆が異常に早い。歴史ライターとしてはテレビの歴史番組へ出演することもある。


 無論、大学教授などでなく軽めのライターが呼ばれるような内容ときたら、仰天歴史㊙ファイル……的にエンタメへ特化しており、陰謀論やトンデモ風の味付けを加えるのが役目だ。ようするに汚れ役である。


 広之以外の出演者は自称歴ドル、歴史やサブカルに詳しいお笑い芸人、歴史に詳しいと言い張る時代劇俳優、歴史雑誌の編集長、小説を書かずにワイドショーのコメンテーターで食っている作家など、ベタな人選というほかない。


 歴史番組にレギュラーで出演してるとネットで叩かれることも多いし、郷土史家など在野の研究家から内容証明で質問状を送られたりする。会って話すると大抵は年金老人。3時間くらいノンストップで一方的な独演もざら。


 5人の老人から全国紙の新聞で謝罪広告出せ、と数時間も話し合いではなく一方的に糾弾されたこともある。その時は録音した音声を証拠に警察へ被害届けを出した。


 戦前、幕末、忠臣蔵、古代とりわけ邪馬台国などは熱い人達が実に多く、広之を悩ませている。大半は他人の説を持論に取り込み、引用や参考など出典不明。元教師や医者とかも結構居るから驚く。


 そのようなトラブルやストレスもあるが、普段はフリーランスということもあり、比較的自由。東京育ちで現在も居住し、月のうち半分くらいは愛車で全国各地を駆け回っている。まさに貧乏暇なし。


 今回は関西取材だ。グルメ、某事件、限界団地、鈴木姓のルーツ等、まったく何の脈絡もない。関西はネタの宝庫で年に数回は訪れる。本日は今回のメインと言える鈴木姓に関する取材。あの鈴木さんだ。学校や職場でも普通に居る鈴木さん。


 クラスによっては鈴木さんが1割超えることさえある。日本では佐藤と並ぶメジャーな姓。元は穂積氏の神主で“ススキ”と発音する。和歌山県発祥なのだが、知らざれる鈴木姓の全貌的な企画……。


 以前、某週刊誌で鈴木、佐藤、田中、高橋というメジャー姓四天王徹底比較みたいな企画が地味に受けた。それを評価した某雑誌編集部からの依頼だったりする。


 鈴木まみれの充実した1日であったが帰路にたまたま久米田寺へ立ち寄った。車内へ戻った広之はスマホの地図アプリで直ぐ近くにあるコンビニを確認してコーヒーを買うため移動。車で1分かからず到着する。


 財布の入ったバッグをつかみ車外へ出た瞬間、急に軽自動車が突っ込んできた。間一髪で避けたが天地逆になったかのような感覚に襲われ、そのまま意識は遠のく。


(あれっなんだ俺……。なんとか無事だな)

 しかし意識が回復した広之は愕然とする。コンビニの駐車場に居たはずだが雑木林の中。漂う空気というか匂いも違う。


(そんなはずはない!)

 周囲を必死で見渡すが間違いなく違う場所だ……。普段は比較的冷静なほうだが混乱するほかない。


 まったく理解不能な状況であり、説明がつかない。それでも落ち着こうと自分に言い聞かせながら周囲を見る。よく見ると足もとにバッグがあった。バッグを手に取ると雑木林をなんとか抜ける。だが、あたり一帯は草むらや畑……。


(なんで違う場所に居るんだよ)

 よろけながら歩いていると池の前に出た。先ほど車で池の横を通って久米田寺へ来たのだが方角的にはあっている。


 さらに久米田寺があるはずの位置を祈るような気持ちで見ると、やはりあった。廃墟のような寺が……。


(これって、どう見ても久米田寺だろ……)

 久米田寺は戦国時代に致命的な戦禍で大半が焼け落ちている。広之が見た光景はまさに焼け落ちて廃墟同然の姿。歴史的経緯を考えれば、復興した江戸時代以前なのか?


「どうなさったかね?」

  

 突然の声に広之は驚く。


「すみません。このお寺は久米田寺なのでしょうか」


「ここは久米田寺じゃが見ての通りでのう。儂と小坊主が境内の仮屋に住んでおる。嘆かわしいが、寺とは名ばかりじゃ。行基上人に申し訳が立たぬ……。しかし、お主はどこから来なすった?」


 意を決したように尋ねる。


「いま何年でしょうか?」


「はて、異なことを申すお人じゃ。壬午みずのえうま水無月みなずき朔日ついたちじゃが」


 そんなこと言われてもさっぱりわからない。西暦は無理だろうから、せめて元号では何年なのだろうか? 


 何とか必死で尋ねた結果、判明したのは天正10年6月1日。血の気が引いた。何が起きたのかさっぱりわからない。しかし戦国時代に居るらしい。


(信じたくないけど今流行りの転生小説みたいなものだろうか?)

 しかし、服装やバッグ含めて自分のままである。転生でなく直接時空を遡ってしまったのかもしれない。つまり時空転移……。


 兎にも角にも問題は天正10年6月1日といえば日本の歴史上最大級の大事件である本能寺の変が発生する前日だ……。とんでもない事態であり、呆然自失の広之。

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