第243話  メキシコ大司教との面会

 織田幕府軍がメキシコシティを制圧するや、アステカの民たちは歓喜に沸いた。長谷川秀一たちは、都市の秩序を回復すべく、迅速に行動を起こす。先ずはイスパニア人の影響力を徐々に排除し、アステカや各部族の伝統と文化を尊重する方針だ。


 イスパニアありきの絶対的な統治体制から、ヌエバ・エスパーニャ副王領以前の各部族の自治を大幅に認める。そうはいってもイスパニアの構築した支配体制や枠組みはある程度引き継ぐ。


 ヌエバ・エスパーニャ副王領の役人へ指示を出しつつ、引き継ぎへの準備が進んでいく。ある日、長谷川秀一はメキシコシティへ各部族の有力者を集めた。


「我々はアステカの民と共に歩むため来ました。皆さんの偉大なる伝統と文化を尊重し、共に繁栄するため、力を貸して下さい」


 この言葉は、長らく抑圧されてきたアステカの民たちにとって大きな希望となった。彼らは新しい統治者へ大きな期待を寄せたのである。秀一は日本がイスパニアの5倍近くの人口を抱え世界一豊かな国であり、信仰と法の下における平等など訴え掛けた。


 幕府の方針としては、今後ミシシッピー川流域やテキサスなどへ入植を展開するにあたり、メキシコは食料の供給地となる。また、欧州航路を安定させ後は砂糖黍、珈琲豆、カカオ、煙草の特産地にする他、麦・とうもろこし・豆なども輸出品候補だ。


 砂糖黍の絞り滓からは豚の飼料を作れる他、バガスペーパーのパルプも作れる。パルプといえばケナフの栽培も奨励していく。占領後の統治は幕府が策定した詳細な計画書に基づき行われる。


 そして、秀一はメキシコ大司教アルフォンソ・フェルナンデス・デ・ボニージャ、フラシスコ会やドミニコ会の幹部を呼び出し会談を行った。表向きは布教についての確認であったが、限りなく審問同然のものである。


「今回、ご足労いただいたるは、貴公たちキリスト教徒が如何なる存念で布教を行い、アステカの民たちへどのような災いとなったのか確認いたすためである」


 秀一の発した“災い”という刺激的な言葉に集まった面々は騒然となる。大司教のフェルナンデスが直ぐ様、口を開く。


「災いというのは、言い間違えでしょうかな」


「ご懸念無用。間違えてはおらぬ」


「ならば申し上げる。我らはこの地に神の教えを広め導くのが使命」


「貴公たちの側から見た限りでは然様であろう。それは非難すべき事ではない。しかし、相手が同じ事を致す場合、認められるのであろうか……。例えばじゃ、ムスリムが貴公たちの教えは間違っていると称してコーランを振りかざしたら、死んでも従う事は無かろう。己は正しく、相手が間違っていると思うからこそじゃ。それが、即ち信仰に他あるまい。己の肯定と他者の否定が対となっている。このような遠い土地にまで自分たちの価値観を持ち込み寛容さの欠片も無いとは残念な事じゃ。思うに国が違えば何から何まで異なって当然。で、あるのに、自分たちこそ正しく他は間違い、劣ってるだのという考え方は神という存在が無ければ只の驕り以外の何物でも無かろう……」


 自分たちの猿真似しか能がなく、東方の蛮族程度にしか思ってない人物から、思いもかけない事をいわれ、戸惑う大司教たちであった。


「神の教えを広めるにあたり、我らは原住民に寄り添ってきました」


「彼らに如何なる恩恵がもたらされたのかな」


「神を信じ正しき道を歩んでおります」 


「精神の話でない。暮らしが豊かになったとか、そのような事を聞いておる。コロンブスがイスパニョーラ島へ侵略して以降、ヌエバ・エスパーニャ領内の民は苦しんできたのではないか。イスパニョーラ島の民は奴隷として酷使されたと聞く」


「確かにイスパニョーラ島の住民たちは当初抵抗したので奴隷のような対応だったと聞いております。しかし、宣教師などが王室へ願い出て奴隷は禁止となりました」


「代わりにアフリカから合法的な奴隷を連れてきたり、イスパニョーラ島の民をアフリカ人奴隷として書類上抹殺したはずじゃ」


 知ってるはずもない事を悠然と語る秀一を思わず凝視する大司教たち一行であった。


「最近の事はあまり存じ上げませぬ」


「まあ、良かろう。イスパニョーラ島でも天然痘による死者が沢山出たと聞く。ならば、その時に気付くべきであった。しかし、コルテスのアステカへの侵攻やピサロのインカ侵攻により病原が撒き散らされた。未知の病原に免疫が無かったのであろうな。アステカの民はイスパニア以上に人が住んでいたはずじゃ。それが僅かな間に9割以上も減らしたと聞いておる。天然痘、麻疹、水疱瘡、ペスト、おたふく風邪、百日咳……。さらに、神の教えを広めるため伝道師や宣教師が各地へ赴くたび、病原は広がり夥しい数の民は苦しみながら死んだであろう。イスパニア人のせいとも知らぬアステカの民はすがるような思いで神の教えを信じても仕方あるまい。イスパニア人に人としての慈悲があるならばイスパニョーラ島の時点で気付くべきであった。我らは、水銀により熱を測れる(体温計)物で体温を調べておる。アカプルコへ上陸する前、別の地で何日か過ごし、熱のある者や症状のある者などは置いてきた。アカプルコでも何日か様子を見ておる。もし、天然痘が出たら、何をすべきか厳しく定められているからのぉ」


「確かに民の数が減ったのは事実。されど我らに責があるとは思えませぬな。対策が十分とはいえぬにせよ……」


「貴公たちの行っている事は救済ではなく魂の征服に他あるまい。それでも我らの法で信仰は自由じゃ。アステカの民が棄教するよう強要などせぬ。また、エンコミエンダ制や奴隷、あるいは債務者や債務の人的代償とした実質的な奴隷も日本は認めない。アステカの民たちの伝統を尊重しつつ日本人と平等に扱う」


 この後、退席したメキシコ大司教たち一行はヌエバ・エスパーニャにおける布教は難しいだろうが、細々と継続するか否かで話し合いを行ったという。


 その頃、リマへ向かっていた堀尾吉晴と佐竹義宣たち、およそ1万の兵は到着し、上陸に成功したが、防備を固めるイスパニア軍と睨み合いとなる。


 しかし、インカの壁画を参考にした旗や馬印を掲げる幕府軍へ現住民たちが集まってきた。次第に数は膨れ上がり、攻め時と見た幕府軍は圧倒的火力でイスパニア軍を壊滅させ、リマを制圧。


 リマの次は鉱山都市ポトシの攻略となる。ポトシ鉱山は、南米でも最大級の銀鉱山であり、その制圧は幕府にとって重要な課題だ。堀尾吉晴たちは、ポトシへの道を急ぎ、現地イスパニア軍との戦闘に備えた。


 道中、彼らは何度も襲撃を受けたが、その都度撃退。幕府軍は圧倒的火力と戦術でイスパニア軍に対して優位を保ち続けた。そして、ポトシ鉱山に到着した幕府軍は、イスパニア軍を壊滅させ迅速に鉱山の制圧に取りかかる。奴隷同然の労働者たちは、イスパニア人の厳しい支配からの解放を歓迎し、幕府軍に従った。


 こうしてポトシ鉱山を手に入れると、チリ及びドレーク海峡からアルゼンチンやブラジルへの探索船が出港したのである。

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