第40話 蟹と大晦日
いよいよ大晦日となった。西暦で言えば1583年、和暦だと天正11年も残り僅か。本能寺の変から約1年半。
織田家から織田信長、織田信忠、織田信雄、津田信澄、明智光秀、筒井順慶、柴田勝家が消えた。織田家五家老と言われた中で、いまだにその席を守っているのは丹羽長秀と滝川一益のみ。
現在、家中や畿内の町衆から織田七将と目されているのは丹羽長秀、池田恒興、高山重友(右近)、中川清秀、細川忠興、蒲生氏郷、滝川一益。
正月には信孝の直参家臣だけでなく畿内一円の家臣、公家、僧侶、神官、大商人、他大名家の使者など多数訪れる。さらに家臣たちは信孝への挨拶を済ませたら、信孝重臣宅への挨拶まわりもしなければならない。その合間を縫って家中での儀式もある。
無論、いくら戦国時代といっても普通の大名は正月を大事にし、
かつて織田信長が足利義昭を奉じて上洛した後、正月前に岐阜へ帰国。そのすきに三好三人衆は挙兵。将軍義昭の居る京の都・
結局、撃退されたわけで、攻められる方も迷惑だが、阿波より駆り出される三好家の家臣も悲惨だ。ちなみに昨年は四国征伐中、年を越した。この時、囲んでいた城にも3ヶ日は攻めないことを約束し、相手方へ酒と餅を届けている。
実質的に初の本格的な正月といえる。さて幸田家の準備だが、何にしても若狭からの塩漬け魚あればそれなりにしのげる。
そうは言っても年末年始は漁師だろうが漁に出ない。なので浜の作業小屋に居る魚の加工番、荷駄運搬担当など、年内最後の荷物を持って引き上げてきた。それも特大の幸を持って……。
そう越前蟹だ。まだ生きている。甲殻類は湿ったおがくずあればそれで呼吸可能。この時期、若狭街道は寒く、越前蟹は無事であった。さっそく十分な海水を与える。
干し鮑の煮貝、酢蛸、煮蛸、割干し大根の漬物、たくあん、べったら漬たくあん、蕪のべったら漬、牛蒡の味噌漬、豆腐の味噌漬、ぬか漬、干し椎茸の佃煮、豆の甘煮、餅、蒲鉾、燻製後に十分乾燥させた新巻鮭や蛸……。
保存の効くものを大量に用意した。これで当家の台所番たちも3ヶ日くらいはあまり煮炊きしなくて済むはず。哲普と若狭の浜小屋から戻ってきた者が年内最後の大仕事とばかり、蟹を茹でたり、諸々仕込んでいく。
お初は普段やらない蕎麦打ちに挑戦。そして日が暮れると、登城や挨拶の者があらかた帰り、信孝、三法師、竹子、五徳、茶々、初、江というクリスマスもどきのメンバーがやってきた。
「左衛門殿、何やら大層賑やかじゃなぁ」
「これは御台様、お忙しいなか、お越し頂き、恐悦至極。さりながら本日は当家無礼講にて若狭の肴で一杯やっておりまする……」
「天下の
「お任せあれ。若狭で捕れた天下一品の越前蟹をご用意致しました」
広之がそういうと、お初がザルに入れた活蟹を持ってきた。
「ほう、これは見事な蟹じゃ。よくぞ若狭より生きて大坂まで来たのぉ」
三法師は子供らしく大喜び。目の前で捌くと泣かれそうだ。しかし、これは見せるためのもの。すでに捌いたものがある。
続いて茹でた蟹の脚からカラを外したもの。それと焼くために半分殻を外した蟹の脚が運ばれてきた。さらに蟹真薯の吸い物もある。広之に説明され、皆蟹の脚を手に持ちタレにつけ口に運ぶ……。
「越前の蟹がこれほどとはのぅ。まさにこの世で味わえる最上の美味じゃ」
「御台様、それはまだ早うござりますな」
広之はそう言うと、お初にメスのセイコガニの甲羅を持ってこさせた。当然、蟹味噌のほ他、内子、外子、蟹の脚、蟹身がたっぷり入っている。
それを目の前で焼き始めた。白出汁を少し加える。一同驚いているが三法師は少し微妙。そして焼けたところで皿にのせ各自の前に置く。
信孝が適当に混ぜつつ口へ運んだっきり無言となる。その後、竹子、五徳、浅井三姉妹、三法師も口へ運んだが、うまさに絶句していた。
そして、ある程度無くなったところで熱燗を注いだ。竹子は明らかに唾を飲んだのがわかる。他もそんな事していいのか、という目だ。
「蟹の甲羅酒です。お飲みくだされ」
「罰が当たりそうなくらいの美味」
そう言うや竹子はもはや甲羅を睨んでいる。三法師は飲めないので甲羅を取り上げ、酒を注がせ飲みだした。
「それはそうと左衛門よ、そちも明日は忙しいじゃろ。姫君たちもいろいろ行う事あるが、あらかた終わったら、この屋敷へ来させるゆえ安心いたせ」
「遠方より見える者も居るゆえ、左衛門殿が留守の時、心配じゃ。五徳殿が居ればさぞかし心強かろぅ。何なら正月の間、毎日来てもらったらどうじゃ」
断ることなど出来るはずもなく。有り難く仰せに従う他ない。恐らく毎晩のように五徳が心配だとか言って来るだろうし。
この後、蟹シャブ食わせトドメはセイコガニ丼を出した。蟹が終わると少量の布海苔使ったざる蕎麦を食べさせておしまい。
この日も途中から五徳が横へ来てあれこれ手伝い始めた。こうして大晦日の夜は更けていったのである。
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