第41話 元旦と酒宴

 年が無事明けて天正12年となった。西暦だと1584年(ユリウス暦2月2日、グレゴリオ暦2月12日)。


 昨夜は大勢の家臣や使用人が、この時代の身分差を超えて楽しそうに飲み食いしてくれたのは何よりだ。決して身分や格差を否定するつもりはない。秩序や役割というものがある。


 マスコミなど昔は学歴社会へ警鐘を鳴らしていた。しかし日本の状況が悪くなるや欧米のエリートを礼賛。適当なものだ。


 特異な社会であるのは間違いない。中学生くらいだと将来1流大学卒業して大企業に勤める者、アウトローへ身を染める者、それらが同じ教室で過ごす。


 欧米だとゾーニングされているから、同じ地域には、同じような層が住んでいる。無論、義務教育内で行く公立校も地域の縮図でしかない。


 時折、米国の学校に差別や虐めは存在しないなどと日本批判を繰り広げる帰国子女も居る。そういう者は決してヤクの売人やゴロツキがうろついてるような最低辺地区や失業者があふれるような地域の話をしてない。


 自由な資本主義社会である以上、競争にさらされる。望む仕事や生活の競争率が激しい場合は、相応の目安が必要になるのはやむを得ないだろう。


 難しく考える必要はなく、学歴があればそれだけ選択肢は広がる。日本の場合、何十年も停滞しているというが、ようするに少子高齢化の結果、労働者の負担が増えた。


 しかし社会の根本はまだ崩れていないのだろう。タワマンがやたら出来たが、住民の大半は電車で通勤するし、欧米並の地域格差拡大とかあまり感じない。


 無論、港区と足立区はそうとうな差あるだろうが。それでも欧米の最低辺地区より酷い地域は日本にない。よく大阪西成のドヤ街がスラムなどどSNSで面白おかしく配信される。しかし街は毎日清掃隊により掃除されているうえ、電気、ガス、水道とか問題ない。


 治安も昔ほど悪くないし、物価も安いため、地方から大阪へ出てくる普通の若者に新今宮駅(動物園前駅)界隈は人気あるわけで、そんなスラム街など無い。

 

 翻って室町時代や江戸時代は格式や身分にうるさい。初代藩主(あえて藩という)の時、家老だった家の子孫は代々受け継ぐとか、害悪のように言われるが、果たしてそうか?


 そもそも家老の家柄とその他大勢の家臣では禄高が違う。慶應で内部進学して大学まで行く家庭と庶民以上の違いあるはず。


 教養や学識積むには今以上の金や人脈が物を言う。さらに全ての家老が家柄だけで決まるわけでもなく抜擢される者も居る。


 有名な忠臣蔵を例に取れば、大石内蔵助は代々の家老で、卑怯者扱いされる大野知房は実力で家老となった。明らかに出来の悪い人物が家柄で家老になる危険はある。しかし実際は家の力で並の家臣以上に能力あった場合が大半だろうと思う。


 運悪く能無しが家老になっても優秀な者を抜擢することで補うことも可能。予め家格や序列決まってれば無駄な争いも起きにくいというメリットある。

 

 なので、この時代や織田幕府になったとして身分というものを完全否定のうえ、素晴らしい理想社会を打ちて建てようなどと全く思いもよらないことだ。


 完全に近代化するまでは社会を統制するうえである程度は仕方ない。ただ家来が気に入らないから斬り殺すとかそういうのは相応に規制すべきだろ。

 

 西洋からすれば、主人の気分ひとつで殺されるなんてのは奴隷にほかならない。しかし、完全な法秩序が保てないうちは圧倒的暴力による治安・秩序というものを否定出来ないだろう。


 いずれにしろ少なくとも幸田(広之)家なりの家風は出来つつあることに満足な広之であった。ただ心配なのは、このままでは近いうちに五徳と結婚する流れであり、家中の人数が増える。


 最近、加速度的に増えており女中、仲間(中間)、小者など加えれば80人を越えている。さらに別の屋敷があってそちらでは書生のような者も沢山寝起きしている。


 家臣の中には足利学校の出身者、医師、僧侶、商人、漢籍、天文、算術など各種専門家も多い。これらの人物を講師にして書生へ教えさせている。私塾とも言えるだろう。


 広之は家中の者へ挨拶をすると城の表門に向かった。それにしても朝から改築中の大坂城外には大勢の織田家臣(陪臣も含む)で溢れかえっている。


 今回、丹羽長秀、蒲生氏郷、森長可、滝川一益、小早川隆景などは居ない。徳川家康は自身の直臣以外に武田信君(穴山梅雪)、木曽義昌、北条氏規を伴っていた。


 あくまで家康は同盟者。来るように強要したわけでない。しかし幕府が出来れば嫌でも臣下となる以上、立場を盤石とすべく躍起のようだ。嗅覚も鋭い。すでに北条を潰すことは織り込んでいる。


 ただその際、佐竹、里見、宇都宮は大幅減封のうえ移転させたいので、そうとう難しい。方広寺鐘銘事件並の強引な理由が必要となるだろう。


 いずれにせよ北条氏政と北条氏直の親子は切腹させる。その際、氏規に本家の家督を継がせる予定であり、読んでいるのだろうか。


 無論、絶縁中の北条家よりの正式な挨拶は受付けず、あくまで家康の客人扱いとして同行を許可されたに過ぎない。


 北条氏康よりの書状も受け取り拒否。ただし家康の顔を立て幸田孝之と非公式な席を設けることにした。毛利家、小早川家、大友家からは重臣が代理として来ている。


 間もなく登城が始まった。重臣や家康には織田信孝自ら個別に挨拶し、それが済むと大広間で三献の儀を行い、料理を軽く食べて終わり。この料理人については伝統色強いので広之は一切関与していない。


 問題はここからだ。重臣であるため客人へ挨拶するなどした後、他の重臣宅へ挨拶を済ませ、夕方になってようやく帰宅。


 すると大広間がやけに賑やかだ。部屋に入ると、五徳と家康が話している。武田信君、木曽義昌、北条氏規も一緒。さらに池田恒興、中川清秀、高山重友(右近)、細川忠興も居る。


「左衛門殿、五徳殿より聞きましたぞ。間もなく祝言を挙げられるとはめでたい。五徳殿は我が娘同然なれば、これからは婿殿と呼ばせて頂こうかの」


「果報者じゃのぉ。五徳殿ほどの器量人はなかなか居らぬ。上様と義兄弟になり、駿府殿が義父とは心強い。婚儀の際は是非この勝三郎(恒興)が媒酌を」


「いやいや勝三郎殿、媒酌はこの瀬兵衛が。なんと言っても倅の女房様は五徳殿の妹君じゃて」


 一見和気あいあいとしつつ、微妙な自己主張、ヨイショ、腹の探り合いなど、流石は戦国時代、いや現代と同じか、などと思う広之だった。


 五徳は席を外し、廊下で当家の序列で言うと3番目に何やら指示与えている。この辺は流石に織田信長の血なのか、まったく物怖じしない。喧嘩したら確実に家追い出されそうだ。

 

 五徳が徳川家に残してきた娘2人のことを思うと不憫ではある。また家康とわだかまりが無くはないだろう。それでも卒なく家康の機嫌を取りつつ応対してる様は並の女性じゃない。


 間もなくして酒宴となった。干し鮑の煮貝、酢蛸、煮蛸、蕪のべったら漬、牛蒡の味噌漬、豆腐の味噌漬、蒲鉾、焼鮭、塩鰤、塩鯖などが次々に出される。


 こうして元旦の夜も更けていった。



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