第76話 春の恵み

 桜も散り始めた頃、織田信孝の側室が子供を産んだ。4人目の子供であり3番目の男子。高丸と命名。さらに徳川家康の娘である督姫が側室に迎えられた。数えで16歳(天正3年生まれ説採用)という若さだったが家康たっての希望により押し切られた形だ。


 督姫は五徳が徳川家に居る間、生まれた。しかし五徳は岡崎、家康は浜松ということもあり大坂で会ったのが初対面となる(天正3年生まれ説に従えば岡崎出身と推定しています)。


 五徳の娘である登久姫と熊姫を督姫は妹同然に接してきた。そのため二姉妹と似た五徳に親近感を覚え、懐いている。竹子は他に居る2人の側室とは簡単な挨拶くらいしか言葉を交わさないが、督姫を何かと気にかけ、幸田邸へ赴く際は連れてきた。


 督姫が登久姫と熊姫に岡崎から従っている者より聞いた話と実際会った五徳の印象は大きく異なる。徳川を恨んでるはずだから用心しろ、と言われていた。しかし全く話が違う。


 家康とも普通に接している上、幕府総裁の正室として威厳を保ちつつも、気配りに長けている。


 また督姫が見た幸田家は自身の知っている武家とは全く事なっていた。家中の者は主従関係というより役割を果たしているだけ。


 幸田広之は家臣に対して横柄なところは皆無。一方的に命令を下さず、まずは家臣の話をよく聞く。家中も優秀な者が多く、台所仕事をしているものでさえ暇あれば書籍を読みふけっている。さらに女性の立場も強く、男性と対等に思えた。幸田家は見聞して飽きることがない。


 しかし、もっとも驚いたのは幸田家で頂く申の刻茶や食事があまりに美味しいことだ。噂には聞いていたが想像を遥かに超えていた。父家康が入り浸るのもわかる気がした。


 幸田家の味噌汁は三河の八丁味噌を使っており、非常に懐かしい。父の家康も健康には気をつけているが幸田家の者は普段玄米や豆の入った強飯なども良く食べているという。海藻、豆腐、豆乳、卵、鶏、魚、野菜も十分食べている。毎日贅沢をしているわけでもなく、色々考えているのは間違いない。


 そして、ある日の夕方。督姫は竹子に連れられ幸田邸へやってきた。春になると幸田家は各地から山菜や春野菜が届く。筍、たらの芽、こしあぶら、ふきのとう、うど、菜の花、こごみ、わらび、せり、椎茸、ハルシメジ。本日の魚は穴子、キス、サワラ、蛤。


 囲炉裏には広之、五徳、仙丸、末、初、江、竹子、督姫と賑やかだ。先ずは、うどのぬた、山菜の白和え、若竹煮、サワラの西京焼が並べられる。督姫以外は全員慣れており、今日は日本酒を選んだ。


「左衛門殿、この山菜の上の白いのは……」


「御台様、それは白和えでございます。山菜の持ち味を消さぬよう、和えずにのせておりますが、ほんの少し胡桃をすり潰し、練ったものを加えました」


「凝った趣向じゃな。確かに山菜だと見事なほど合う」


 督姫もひと口食べるなり笑みがこぼれる。歳の近い江が督姫にサワラの西京焼を勧めた。


「こちらのお魚は味噌の味がします。どのようにしたらかような味に……」


「於督殿、それは麹の多い味噌に味醂や酒を加え漬けたものですな」


 竹子と五徳はサワラの西京焼を食べつつ2合目の酒を飲み始めている。


「ところで末……。そなたは左衛門殿の側室になってから太ったのではないか。痩せてたなら五徳殿にいかなる仕打ちを受けているのか心配というもの」


「御台様、滅相もございません。五徳様にはよくしていただいております。しかし当家の女房として茶や酒、菓子に様々な食事頂いておりましたら体がいくつあっても足りませぬ」


 横で広之が苦笑している。そして天ぷらが出された。穴子、キス、蛤、たらの芽、こしあぶら、菜の花、こごみ、わらび、椎茸などが、現代の天ぷら屋同様次々と出された。


 督姫は初めて食べる天ぷらに驚いているが、箸は止まらない。駿河で食べてた魚も大変美味しかったが焼くか煮るだけ。山菜の苦味も程よく、何とも言えぬ味わい。


 次に鍋の用意がされた。出汁は昆布と鰹節、さらに蛤。軽く醤油と魚醤で味付けがされている。具は大量のせり、鶏、椎茸、ハルシメジ、豆腐。


 鍋も好評で直ぐ無くなった。最後に炉端焼きの用意がされる。筍、五平餅、焼蛤が焼かれている。しかし五平餅の味噌は緑色だ。


「左衛門殿、この餅はいつもと色が違いますな」


「五徳殿、これはふきのとうを炒め、味醂、味噌、砂糖、山椒を加えたもので、ふき味噌と申します。まずは召し上がれ」


「これは実に美味、於督殿も食べられよ」


「何と……確かにこれは美味しいこと」


「ふはは五平餅とていつも同じ味噌とは限りませぬぞ」


 春の味覚に満足する一同であった。


 





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