第77話 角倉了以の北方測量探検

 角倉了以は春の雪解けを待ちきれず、まだ寒い時期に京の都を出て東京府に向かった。そして3月初旬頃に米沢へ到着。


 本来であれば昨秋にも函館へ行き越冬するはずであった。しかし本業が多忙のため断念。結果、春先の奥羽行脚という厳しい移動となった。周囲は止めたが、了以は北海道の先はもっと厳しいから足慣らしには丁度いい、と笑いながら出立。


 米沢で伊達家の家臣が合流し、総勢200名は酒田より函館を目指した。4月中旬、北海道へ上陸。ここで北海道に駐留している幕府役人や案内役の現地部族を加え積丹積丹半島北部へ立ち寄る。


 羽柴家の集落があり、昨年入植してきた和人を加え400人ほどという規模に膨れ上がっていた。羽柴秀吉の故郷にちなみ中村と名付けられている。中村に残っていた秀吉の家臣から100名ほど了以の測量調査隊に加わり総勢300名で樺太へ向かった。


 昨年、秀吉一行が流されたのと同時期に幕府調査隊は現代でいう稚内からコルサコフ経由で樺太の東側を調査していた。しかし、秀吉たちの上陸地点とは真裏にあたりニアミスだったのである。


今回、了以たちは稚内からコルサコフ方面には行かず、樺太の西側を進んだ。そして、ある集落を発見。村人は異常に恐れ、直ぐに降伏してきた。


 北海道の現地部族とほぼ同じ言語であり、通訳を介して話すと、昨年和人が来て暴れたらしい。遺物から秀吉たち一行がこの地に来ていたと推測。


 秀吉一行と思われる和人は船で北へ向かったという。了以たちも北に向かい、6月下旬スメレンクル(ニヴフの自称)の集落を発見。何と集落の外れに和人たちが住んでいた。羽柴家の家臣であったが秀吉の姿は無い。


 2ヶ月程前、海を越えた西の地にある大きな川(アムール川)を探すため船で行ったという。了以はまず樺太の南北を確認したかった。そして7月上旬、遂に樺太の北端を確認。


 了以は3隻のうち1隻を樺太の東周りで南下させ中村へ戻すことにした。遂に大陸へ足を踏み入れたのである。後に角倉海峡と名付けられた。海を渡った先にもスメレンクルと似たよう言葉と風俗の人たちが居る。確かに大河もあった。


 了以は幸田広之から渡された地図を確認する。明の商人から聞いた話を元にした地図だという(本当は現代の地図を広之が少しぼかして描いたもの)。それによれば明の北方に女真人が住み、西側は蒙古の土地らしい。


 北海道の北に樺太があり、これが島なのか半島なのかわからなかった。しかし島であることを確認。そうすると朝鮮や女直の遥か北に位置する大河というのは眼前に広がる大河なのではないか……。


 地図には契丹と記されており、南側に小さく野人女直とあった。その南には海西女直や建州女直と記され女直の国であるという。


 どうも明や朝鮮の北にある契丹という地域らしい。大河を南に大明国奴児干都司とあった。侵入者として明国の兵士に襲われる可能性も十分ある。


 樺太に居た羽柴家家臣の中にはスメレンクルの言葉を少し話せる者も居た。土地の者に色々尋ねたところ、大河の西や南から馬に乗った者が時おり来るらしい。やはり地図の情報は正しいようだ。


 また秀吉らしき集団の話も聞いた。少し前に船で上流の方へ向かったという。村人も数人ほど案内として同行しているとのこと。


 了以は越冬する覚悟を決めた。土地のスメレンクルの酋長に様々な贈り物をし家を建て、冬ごもりの準備をする。建てた家に船の荷物を降ろすと、2隻のうち1隻を帰す。


 樺太の東側を南下する船と中村で合流し函館へ行くよう指示。そして来春に必要な物資を積み戻ってくるよう伝えた。


 そして近辺の集落にも了以たちの存在が知られ毛皮などを持ったスメレンクルたちでごった返した。朝貢貿易のような形になり、了以は気前よく対応。


 周辺の測量をしつつ植生の調査や連れてきた山師に地質を調べさせたり、そのへんは商人だけあって、抜かりはない。


 了以は直感的に北海道からこのあたりは坂上田村麻呂公時代の奥羽みたいなものだろうと思った。いずれ人の知恵は寒冷な地でさえ沃野に変えるかも知れない、と。


 北海道ではトウモロコシ、じゃが芋、大豆、蕎麦、小麦、牛蒡、山芋、オタネニンジン、菜種、紅花などの栽培を行っている。今回は様々な種を持ってきた。この内、間に合いそうなのは蕎麦と菜種だ。まずは畑を耕し蕎麦の種を撒くことにする。


 大河では鱒も穫れるらしいが、日本と同じく水利や漁労については何処の土地でもうるさいはず。余所者が武力で脅かし、横暴な振る舞いは後々の火種。


 十分な食料があるし、不足分は沖合いに出て魚を採るべきであろう。樺太の北側に陸地が見えなかった。そのへんを調査しつつ鱈、鰊、ホッケなど穫れば、北辺の民にも迷惑はかかるまい。


 了以は幕府役人や伊達家家臣と矢継ぎ早に越冬の対策を講じつつ周辺の測量や調査を行った。樺太のスメレンクルの集落に住んでいた(実際には少し離れ隣接)羽柴家家臣などの協力も経てスメレンクル語の基本的な言葉や風俗も記録。


 ただし樺太のスメレンクルとは日本人であれば尾張と陸奥くらいの違いがあるらしく容易に行かなかった。同行している絵師たちが風景、家屋、人々、動植物などあらゆるものを描く。


 さらに酋長などへ大坂や京の都、各地の城を描いた版画を見せる。幸田家で作成された北方や南方の現地民へ見せるために誇張された日本の図面(地図)にも彼らは驚いてたが当然であろう。


 日本の大きさたるや明と同じくらいだ。漢字で人口3千万人、兵百万人、鉄砲100万丁、大砲1万門、軍馬50万頭、軍船3千隻、商船5千隻。現在の天皇は第106代目で皇紀2250年などと書かれている。


 現地人の中に漢字を理解する者も居り当然ながら驚いていた。また了以たちが乗ってきた船も黒塗りで船体に龍の絵が描かれている。


 幸田家で営む薬種問屋が販売している薬も大量にあり、医師の家系である了以は原住民の診察をしては薬を与え、崇められるようになった。茶も大好評で交換を希望する現地人が殺到するほど。


 その頃、函館駐在の幕府調査団は千島列島を縦断しカムチャッカ半島へ到達。さらに別の調査団は北大西洋海流に乗り新亜州北部(北米大陸)を目指し、ガレオン船で苦難の航海を続けていたのである。


 






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