第75話 豊後騒動

 2月になり豊後国主大友義統を巡るお家騒動が起きた。後にいう豊後騒動である。


 義統の父義鎮(宗麟、約3年前他界)はキリシタンであり、往年は領内の寺社を破壊するなどした。この時、義統はすでに当主であったが義鎮の影響下にあり加担。


 幕府が九州を制圧した際、義統と宗麟による二頭政治のような状態であり、義鎮は隠居(蟄居や謹慎ではない)を命ぜられ大坂へ移住。以後、昨年に亡くなるまで豊後へ戻ることは許されなかった。


 晴れて義鎮の影響力から脱した義統であったが、肥前を治める高山重友(右近)や讃岐の黒田孝高(官兵衛)による勧めでキリシタンとなる。


 義統は元来意志薄弱な人物であり、キリシタンとなって、家中は親キリシタン派と反キリシタン派が激しく対立。南蛮貿易が停止となって以降、豊後府内の景気は急速に悪化。


 貿易と布教を結びつけ権力者へ取りいってきたイエズス会は苦境に陥る。さらに幸田審問以降は高山重友はイエズス会と距離を置き、黒田孝高に至っては棄教してしまった。


 そうした中で豊後国内の仏教徒と反キリシタン派家臣の圧力が高まり、ついに義統も棄教してしまう。これに驚いた親キリシタン派家臣とイエズス会は義統へ詰めより、あろうことか棄教を撤回し、再度入信という事態を招く。


 それに対して反キリシタン派は親キリシタン派を襲撃したり、イエズス会の教会を焼き討ちするなど暴発。幕府は騒動を受け、反キリシタン派は幕府の命じた法に違反していると断じ、家禄没収。その上で大坂への所払いとなった。


 幕府は義統へ焼き討ちになった教会の再建の費用負担とイエズス会士の保護を命じ、全体の処分が決まるまで謹慎を言い渡す。この騒動について幕府総裁の幸田広之はイエズス会日本準管区長(日本支部の代表)であるガスパール・コエリョが病気のため、オルガンティノを大坂へ呼んだ。


「コエリョ準官区長殿の体調がよろしくないようじゃな。回復されるよう願っておる。さて本題であるが、豊後の件について幕府は重大な違反行為とみなし、厳罰をもって対応致した。それに対してイエズス会より不十分だとの訴えがあれば再度詮議致す」


「総裁閣下のご配慮、イエズス会を代表して感謝致します。不服などございませぬ」


「然様か……。ならば聞きたいことが幾つかある。まずコエリョ殿がマカオより取り寄せた大砲を騒動の最中、大友家中のキリシタン家臣へ渡したそうだが存じているな?」


「全く存じ上げません」


「そなたは京の都で布教をしておる故、存じぬのは無理もない。ならばコエリョ殿が以前より大砲を所持していたのは存じておろうか?」


「噂では聞いたことがあります。しかし実物は見たことがありません」


「なかなか、良い答えじゃ。されど我が国の法令で寺社や民衆が武器を持つことは禁じられておる。確かポルトガル語にも訳させ記したものを渡したはず」


 オルガンティノも当然大砲のことは懸念しており、以前審問された時、即刻マカオへ送るか海に沈めろと助言したが無視された。寺社だけなら該当しないと強弁出来なくもない。しかし民衆とある以上、結局同じことだ。

 

 この幸田広之は異常な知識があり、頭も切れる。寺社にイエズス会は含まれない、などと迂闊なこと言えば、即座に民衆として違反であることを断罪されてしまう。


「大砲が存在するとして、どのような理由で所持さていたのか存じませぬ」


「それも、なかなか考えた回答じゃな。しかし、刀や槍くらいならともかく、大砲を民衆や寺社が所持していたのなら法令に背くことは明白。すでに織田家家老である豊前国主小島兵部の配下が豊後にて押収しておる。所持していた者も出どころはイエズス会だと申しているそうだ。これを虚偽として訴えるか?」


「豊後様が以前購入されたものをコエリョ殿が預かり、引き渡された可能性はございませんか?」


「あまり、良い回答ではないの。以前であっても法令で禁じて以降、所持していたのなら同じことであろう。それが知らぬうちに渡ってしまったのなら管理の責も問われぬ、と……。以前なら何処の家中であろうが貸し出した鉄砲1丁無くしても死罪のはず。イエズス会では大砲みたいに高価なものが紛失しても責を問われぬ、とでも申すのか?」


「早急に調べます……」


「コエリョ殿が亡くなるまで時間を稼ぐのが最善の策。まあ、それは良い。他にも聞きたいことがある。ポルトガルやローマに日本人の使節団が行っており、そろそろ帰国するであろう。もうマラッカかマカオに居るはずじゃな。あれは大友の先代が名代で相違ないな?」


 コエリョの前任者であるヴァリニャーノが発案したもだが、実際のところイエズス会の活動をアピールし、活動資金を得るため、と考えられる。本能寺の変が起きた年に出発した。オルガンティノは広之の質問に驚愕する他なく、顔面蒼白である。


「使節団が行ったのは間違いありません。大友の先代も協力してくれました」


「ローマ教皇などに宛てた大友先代の書状があるはず。署名は不龍獅子虎じゃな(広之は紙を見せる)。大友先代が1度も使ったこと無いそうでな。本来なら洗礼名のフランシスコを漢音で表した普蘭師司怙や府蘭を使うはず。今から5年ほど前に大友の先代から確認し、誓約書もある。無論、本物の署名じゃ。キリシタンである高山殿と蒲生殿も証人として同席でな。つまりヴァリニャーノ殿が発案し、大村や有馬が協力したのであろう?」

 

「残念ながら細かいことは存じませぬ」


「もう下がって良いぞ」


「失礼ながら申し上げます。イエズス会の布教を禁じてマニラよりフランシスコ会やドミニコ会を呼び寄せるという噂がございますが誠でしょうか?」


「残念ながら細かいことは存ぜぬが、イエズス会の布教は自由じゃ。好きに致せ」


「承知しました」


「それともうひとつ言い忘れた。幕府の御用船はマカオやマラッカにも行っておる。ヴァリニャーノ殿もゴアから使節団に同行してるであろう。幕府の役人がすでに挨拶しているかも知れぬ」


 もはやオルガンティノに返す気力もなかった。人質を取られているも同然。ヴァリニャーノたちが白状すれば一貫の終わり。これで帰国するまで余計なことを言ったら命取りになる。辻褄合わせをすることも出来ない。


 この後、幕府は豊後大友家の騒動について詮議した結果、改易することを決定。理由はイエズス会が不正に所有する大砲を購入した件。イエズス会の介入を許した件。お家騒動を起こした件。


 主に3点からなり、反キリシタン派の襲撃は法令違反なれど以前の寺社破壊が遠因であり、豊後国主大友義統に統治者として資質無しと断罪。


 九州各地から兵が動員され義統やキリシタン派は追放。多くは長崎に流れ、イエズス会も困惑しつつ受け入れる他なかった。


 こうして豊後騒動は大友家の改易となり、豊後は織田家の直轄地となったのである。

 

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