第395話 丹羽長秀と近衛前久③
次期将軍である織田信之(元三法師)の正室候補筆頭は近衛前久の孫娘太郎姫だが、側室候補のダークホース的存在は福(春日局)である。
明智家家老斎藤利三の娘ではあるが、母方の祖母は三条西家の出身。福は父の死後、三条西公国の養子となり、さらに幸田家へ養子入りしていた。
謀反に加担した斎藤利三の娘という点を除けば側室としてなら申し分ない。そもそも正室が駄目なら、せめて側室に、という前提ありきで幸田家へ養子入りしている。
さらに、信之は頻繁に幸田家へ訪れるため、福とは面識があるどころの話ではない。しかも同年代である(福が1歳上)。信之が同年代の女性と接する機会は少なく、もっとも近い立場の女性が福だ。
五徳は幸田家を織田家と同族化するつもりである。そのため自身の血が入っていない者は織田信孝の子息や信之と積極的に縁を作りたいと願っていた。
少しでも系図上の繋がりを密にしたい。織田家の分家ともいえる津田姓を別とすれば、いずれ幸田家と神戸家が織田家一門(津田を含む)の両翼を担うという構想だ。
幸田家は孝之の家紋である
余談だが孝之は五徳の事をあまり良く思ってない。幸田家を織田家の一族扱いというよりは、一段低く見ている節があるからだ。そのため孝之は滅多に広之の屋敷へ訪れない。
いくら五徳が主家の出自であっても、孝之からすれば分家(形式上)の嫁にしか過ぎない以上、配慮へいささか欠けると感じている。無論、一切口には出さない。
孝之の正室も幸田家(広之の方)においてはあからさまなほど低い扱いなことへ不満を感じていた。やはり五徳は当たりがきつい。それを浅井三姉妹が補ってきた形だ。
五徳の連れ子ともいえる登久と久麻も態度はきつめで、ややもすれば末やお菊などを下に見るような振る舞いが目立つ。そんな幸田家において頭角を現しているのが福であった。幸田家はおろか他家の奥方衆からも評判は良い。
広之も五徳に対して色々思うところはあった。しかし、どこまでいっても戦国乱世に生まれた人間であり、現代の常識や感覚は通用しない。
五徳の生まれた翌年には桶狭間の戦いが発生。徳川家へ嫁いだのは何と9歳(数え)の時である。登久を産んだのが18歳(満17歳)、久麻は19歳(満17歳)だ。
つまり、高貴な家の者でも流産する危険性が高いのに、年2回も出産している。死ぬような思いして子供を産んだが、嫡男でないがゆえ、蔑ろにされたら、五徳の精神的ダメージは相当なものだったはず。
実の娘2人と生き分かれになって織田家へ戻ったのは22歳(満20歳)の時だ。織田家へ戻ったといっても生まれ育った尾張ではない。安土城から1里ほど離れた地に土地を宛てがわれ住んでいた。
かような経緯で征夷大将軍の妹として大坂城へ移り住み、今では実質的に幕府を動かす人物の正室だ。幸田家にはうるさい義父や義母、また譜代の家臣も居ない。
その上、商人としての側面もある幸田家の財政事情は破格だ。9歳で政略結婚により嫁ぎ、今や金と権力を掌中へ収めていた。広之は五徳の生い立ちや苛酷な人生経験を知っているだけに、あえて何もいわない。
広之だけでなく異母兄である織田信孝も五徳へ甘かったりする。信孝も子供の頃、神戸家へ養子に出され、苦労を重ねてきた。それゆえ、他家へ出された五徳の境遇へ同情している。
また茶々も伊達家で色々問題が起きており、お家騒動の一歩手前となっていた。結果、茶々は近江系家臣と伊達家を出て浅野家再興のため根回し中というただならぬ状況である。茶々を可愛がっている五徳や竹子も介入し、一触即発だ。
悩みの尽きぬ広之だが、これらの件についても丹羽長秀や近衛前久と語っていた。両者も大陸で側室や妾を作っており、一緒に帰国させている。自分たちの所業は棚にあげ、女性は怖いなどとうそぶく有り様だ。
さて、日暮れ時となり、囲炉裏のある間では食事の準備が整い部屋も暖められている。広之、長秀、前久
、太郎姫、五徳、江、末、登久、久麻、福(春日局)、貞姫、お梶なども揃い、料理が運ばれてきた。
いくつかある囲炉裏ではおでんの鍋が丁度良い火加減で炊けている。さらに、少し離れた炉端では炉端焼きが用意されていた。遠火で時間を掛けて焼かれており、焼くというよりは炙るというべきであろうか。広之は長秀や前久へおでんを勧めた。
「太郎がこの屋敷で頂いた大坂炊き(関東炊きでなく、そう呼ばれている)の美味なること、嫌になるほど聞かされたでおじゃる。これは、出汁がまたよろしい。まろやかで実に味わい深い」
「龍山様、姫君が以前当家へ来訪された際、大坂炊きをお気に召したようでございます。まったく同じものでは飽きると思い、出汁へ塩麹を加えました」
「さようでおじゃったか。しかし、これはいささか大人の味。太郎の口に合いますかな……」
前久が別の炉端の太郎姫を見やると勢いよく食べていた。長秀が平目の昆布〆を食べたあと、笑いながら語る。
「幸田家の大坂炊きは薄味で、いざという時は赤味噌、白味噌、生姜醤油など飽きぬよう用意されている周到さ。流石は用意万端じゃ。されど、魚や肉を焼く匂いも堪えられるな。この屋敷の隣に住むのは誠に酷であろう」
長秀はそういうと孝之を見て笑う。両幸田家はまさに隣同士であった。実際、笑い事ではなく、毎日広之の屋敷から漂う美味しそうな匂いは孝之の屋敷を直撃している。
また、孝之の屋敷詰め家臣や奉公人は隣の幸田家が女中や小者に至るまで炊き立ての米、日替わりの味噌汁、数種の料理、数百種類あると噂の漬物、茶、菓子など食べているのは知れ渡っていた。
「いや、たまったものではございませぬな。こちらは冷や飯を湯漬けで食べてる時に、この世のものとは思えぬ匂いが漂ってまいります」
「まあ、良いではないか。この屋敷から漂う匂いだけで米もさぞかし美味であろう。魚など無くても食べた気になれば銭も貯まる」
広之は苦笑しながら、鱧の土瓶蒸しが半分ほど空いた頃合いを見て、女中たちへ熱い酒を注がせた。
「これじゃ。皮目を炙った鱧や出汁と酒が相まって口に出来ぬ味わい」
「五郎左殿の申す通り。しかるに、この屋敷の奉公人は鱧の頭や骨を炙り、酒を加えて飲んでおるとか」
「彦右衛門殿(孝之)、ご容赦あれ。当家の奉公人は口が肥えておりましてな。長屋でも焼いた魚を酒蒸しや焼いたアラで出汁を取るなどいたします。塩鰤や塩鮭の中骨は取り合いでございますぞ」
「そんな奉公人、この家中にしか居らぬわ」
長秀は茶化しながら土瓶蒸しの出汁割り酒を飲み干す。そうこうしているうち焼き上がった串物など次々に運ばれてくる。皆、幸田家の食事を堪能するのであった。
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