第249話 陳徳永と胡服美女

――陳徳永は遼東や明国内に滞在している武将や役人の屋敷を土産物持参で訪ねてまわった。


 これまでの経験で日本人相手に露骨な賄賂は逆効果だと悟っている。通じるのは下っ端への心付け程度。下手に賄賂を贈るよりは、信頼関係を築く方が金になる。地味で面倒だが、日頃からの挨拶や義理ごとを欠かさない事こそ肝要だ。土産は高いに越した事はないにしろ、誠意を伝える必要がある。


 菓子や茶などが定番だ。評判高い店の限定品を予約したり、小者を朝から並ばして入手する。大名や豪商などは菓子に家紋を焼印させるなど、特注する事も多いという。さらに、手紙なども添える。


 幸田大納言(広之)の店である“菓匠さえもん”なら間違いが無いと聞いていたので予約し、これに明から持参したものを加えれば上等だ。しかし、町中で同国人らしい者たちを結構見かける。


 商人、学者風、芸人などだ。大道芸を行っておひねりなど貰っておる者たちが、そこかしこに居るが、一体どのような手段で渡航出来たのか謎である。逞しいにも程があろう。


 茶店へ行けば絵描きや書道家も居て、商いに励んでいる。最も驚いたのは、ある茶店で以前仕事を世話した妓女と再会した事だ。その女は普通に金を払い乗船したという。


 胡人の姫様みたいな衣装を着ている。一体何処で仕立てたのだろうか……。宴席で舞踊を披露して、酌などすれば結構な心付けが貰えるらしい。楊貴妃の実父は山西省蒲州永楽の出身で、父の赴任地である四川省で生れた。


 偽の胡人姫も蒲州であり、楊貴妃に成りきっている。恐らく山西省で日本軍と遭遇し、天津へ向かったのだろう。しかし、天津で目立てば俺の耳に必ず入る。瀋陽でも同じだ。


 そうなると、天津を素通りして大連へ向かったのかも知れない。少なくとも、昨年の秋くらいには来たはずだ。目の付け所というか、嗅覚と行動力が尋常でなかろう。


 何でも先祖はウイグル人だとかいってた。実際に肌も白く普通の漢人とは違う。背も高く目鼻立ちも良い。あいつなら、何処の国へ行っても目立つ。日本なら大金を手にする事も夢じゃない。


 茶店の数に驚かされるが、それよりあらゆる身分のやつらで賑わっている。商いの話や働き口の斡旋、さらには女目当てや男目当て。毎日、ここで見てるだけでも飽きない。言葉はわからずとも大体見当つく。


 また、賭け事がある程度認められてる事にも驚いた。何処の国でも支配者というのは民の金を如何にふんだくるか考えている。問題も起きるので、余計な事はさせたくないはずだ。


 太った大男による組み合い。舟の競争。走る馬から的を矢で狙う。囲碁。将棋。下々の者にはこの程度認めても良いだろう。どうせ、金持ちたちは自分たちで大金掛けて札などするはずだ。俺みたいな稼業が出る幕はほぼ無い。

 

 賭けではないが様々な取引も盛んだ。米の札差以外にも保険(江戸時代でいう投げ銀。欧州の冒険貸借に該当。保険となってるが、性質は保険ではない)というものもある。手形、株、土地の取引もそれぞれ会所があるではないか。


 商人が発行している札(社債)も人気だ。とにかく金が唸るような勢いで流れている。遼東、明の租借地、台湾、バンコク、カンボジアなどの土地、商売の札(社債)、株も大坂で取引されているのだ。


 商売に関することは瀋陽で丹羽の旦那から紹介された角倉了以、さらに懇意だという茶屋四郎次郎より教わる手筈となっている。2人は日本の三大商人に数えられる程の大物で幕府総裁幸田大納言と親しいようだ。


 山西商人が日本の大商人と組めれば万全だ。特に上海は立地を考えれば必ず栄える。しかし、安徽省に近く、新安商人の領域だ。何とか日本の大商人を抱き込み、上海で新安商人より優位に立たねばならない。


 そのため山西商人の大物も多数連れてきた。皆、天津で銭を預け、大坂で問題なく引き出せる事に驚いている。天津や遼東の日本人はその逆なのだから、何の問題もないのは承知していた。それでも、やはり驚きだ。食い物についても店の数が多い。美味い物が町中に溢れている。


「お頭、あれですぜ。大坂で評判だという“餃子の清州”は……」


「よし、昼飯にするとしよう」


 入店すると陳徳永たちは濃厚味噌坦々麺、焼餃子、麻婆茄子、レバニラ炒め、鶏唐揚げ、韮玉、さらに酒を注文した。


「それにしても日本の店は何処も綺麗ときている」


「倭人は几帳面で生真面目な上、清潔が信条」


「清めるという事が信仰のようになっておる。穢れというものを嫌がるしの。何かというと儀式に塩や酒もよく使うしな」


「それにしても、倭人は女直たちのように変な髪の束ね方していやがる」


「そこが怖いのだ。天津や遼東では誰も頭を剃ったり、束ねた髪が頭の上などという事はない。服も漢人と同じ物を着ている。漢人たちも横柄な態度されない上、税も取られないと喜んでいるが、実のところそうでなかろう。もはや煙草無しでは暮らせん。他にも撫順の石炭や鞍山の鉄、それに砂糖は幕府が抑えている。間もなく蒙古の塩も加わる。清州や遼西から運び込まれる羊毛や皮も一旦幕府が買い付けて銭や為替を渡す。そうやって、しっかり懐は潤っている」


「そんなやり方で儲かるんですかね」


「直に米や麦を取らず自由に銭を使わせる。そこから少しづつ取るわけだ。人も増え、民が栄えれば、恨まれずに十分吸い取れる」


「まるで豚を肥らせてなんとらやか……」


「そういう事じゃ。およそ堅気の考え方ではなかろう。賭場で生かさず殺さず少しづつ搾り取るのと同じだ」


 そんな話をしているところへ注文した品が運ばれてきた。


「明の食い物と似ていやがるけど、風味が違いますぜ」


「少し物足りぬが、慣れたら問題なかろう。濃厚味噌坦々麺は実に美味い。胡麻の風味と濃く、味噌の味わいと唐辛子の辛さ……。全てが調和されておる」


「お頭、この茄子も少し辛くて美味いですぜ」


「これは米がいくらでも食えるな」


 その後も陳徳永一行たちは次々に食べ、酒を飲むのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る