第250話 初と浅井家
大坂は夜になると冷え込むが、昼間は汗ばむ程だ。梅雨も近づき普請の現場は何かと忙しい。暑くなると甘酒がよく売れだす(江戸時代には夏の季語)。通年売っているが、暑い時期は体力も落ちる。
甘酒には数種のビタミン、蛋白質、糖質が豊富だ。食欲が湧かなかったり、バテ気味の際は最適である。そのため大工や人夫が栄養剤感覚で飲む。中にはウコンや生姜(乾燥)を加えた物や豆乳で割ったのもあって、何れも人気だ。
幕府では、どの食材・食物に如何なる効能があるのか啓蒙しており、とりわけ甘酒は重要な食物として推奨されている。この甘酒人気に目を付けた酒蔵は仕込みのない時期も米麹を作り、卸すところが多い。
天秤棒担いだ売り子も「あま〜い、あまい甘酒、灘(或いは伏見)の甘酒は要らんかい」などと威勢の良い声をあげながら路地裏を歩く。酒粕からも作れるが、こちらは保存に難があるため通年出回らない。
酒粕汁や浪速漬け(奈良漬け)に使われる。ちなみに奈良漬は本来酒粕でなく絞り粕槽の沈殿物を使っていた。奈良漬けといえば酒粕になったのは慶長年間からだという(記録の上では)。
さて、幸田家ではお末が3人目となる子を無事に出産。女児で仙鶴姫と名付けられた。同じ時期に織田信孝の側室督姫(徳川家康の娘)が男児を産み、千法師と名付けられている。さらに、まだ寒い時期、別の側室が女児を産み、彩姫と名付けられた。今年で3歳(数え)になる清丸と同母だ。
幸田家では、イルハ、ナムダリ、アブタイの3人が独立。そして、徳川家から五徳が置いてきた2人の娘を迎え入れている。登久(数えで19歳)と久麻(数えで18歳。史実では熊姫ないしは国姫とされるが厳ついので久麻とする)だ。
2人は改めて幸田家の養子となった。幸田家の子は広之の実子4人を含む7人。長女登久、次女久麻、三女福(春日局)という順だ。次男の仙千代は幸田孝之の養子となる事が確定しており、事実上男子ひとりに女子5人となる。
この状況を憂いた五徳は迅速に動く。初を広之の側室にする根回しが行われ、織田信孝も了承。こうして広之の側室は末、お菊に続いて3人となった。傍から見れば信長の娘が正室で、姪も側室というのは寵臣の域を超えている。
広之は困惑気味だったが、幸田家を事実上の織田家一門としたい五徳からすれば迷いはなかった。幸田家の家臣は明らかに優秀なれど、譜代が居ない。広之も特段忠誠心を求めておらず、仕事内容だけで評価していた。
あまりに武家の有り方と違うため、五徳は少なからず危惧を抱いている。これを改善するには織田家との姻戚関係を強めつつ、多少能力の問題あっても尾張、美濃、近江出身者(織田家や浅井家に縁のある者)が必要だとも考えていた。
それに初は25歳(数え)であり、この時代にあっては結婚適齢を逃しているどころの話ではない。今回、姉の茶々も大賛成であった。浅井家の血筋を少しでも残したかったからだ。
浅井三姉妹の弟である浅井喜八郎井頼は織田家直臣となっているが、いわゆる庶子であり、ただの浅井でしかない。やはり、未だに身分や格式というのは大きいのだ。浅井喜八郎井頼は浅井長政の実子であっても現代であれば、認知されてない私生児に近いような立場といえよう。
だからこそ、茶々にすれば是が非でも自分たち姉妹の血筋から浅井家を再興し、代々の系譜へ繋げたい。そのへんは織田信孝の正室竹子も似たような事情を抱えている。神戸家の婿養子であった信孝が織田家へ復帰した事により竹子の父神戸具盛の跡継ぎは不在となっていた。
神戸具盛は半隠居状態で信孝より2千石の隠居料を受けているが微妙な立場だ。そこで竹子は信孝が側室との間に設けた男子を神戸家の継承者へ据えたい。信孝も了承し、こちらの方は既に天千代(西暦1592年生まれ)で内定していた。
血は繋がらずとも、家名を残す算段だ。当初は信孝以外の織田家血族から神戸家を継がすという方向だった。しかし、順調に男子が生まれ続けた他、五徳の口添えによる所も大きい。そのため、貸しのある竹子が渋る信孝を強引に説得したのである。
そして五徳の実子、登久と久麻が幸田家での生活に慣れるのは早かった。殆ど記憶に無いといっても五徳は血の繋がった母である。父を亡くしているという点では浅井姉妹や福、さらには末やお菊も同様のため、ある意味似た者同士だ。
そして駿府で一緒に暮らしていた歳の近い督姫とも会える。督姫は姉同然であり、仲も良い。五徳のお付きはかつて岡崎で暮らした者が多く、登久と久麻の事をよく知っており、とても親身だ。
申の刻茶や食事の美味しさ。幸田家の堅苦しくない空気。幸田家の書庫と出入りする教養人。大都会である大坂の町。大坂や京の都、さらに周辺の名刹など心躍る毎日だ。
こうして、さらに賑やかとなった幸田家であった。
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