第248話 陳徳永と大坂
それにしても、見た事のない船の数だ。ガレオン船、和洋船、和船など様々な船が行き交い、漁船も無数に溢れている。これだけでも如何に大坂が繁栄しているか見てとれるというものだ。
随行する丹羽家の家臣と一緒に下船し、手形改めや署名を済ませた。役人の中には明国人も居る。湊の建物を出ると、小さな舟に乗り、水路伝いに進む。そこかしこで荷揚げが行われている。
また、乗り合い舟や偉い連中の乗る舟も多い。日本人というのは余程几帳面なようだ。進む時は左側と決まっており、追い越す時は外側らしい。明では、そんな事決めても守るやつなんざ居ないだろう。
家屋も種類事にほぼ同じ作りだ。これは遼東や天津でも同じである。効率を考え木材を全て“規格”といわれている方式で揃えた加工を施す。戸を作る者はそれしか作らない。“下請け”といわれる各工房で作られた物を“看板方式”などという形で、現場に納入させる。後は組み立てるだけだ。
日本人は融通と臨機応変さに欠ける気もするが、恐ろしく忍耐強い上、律儀だ。かような連中と上手に付き合うため大事なのは約束を守るべきだろう。これも、明とは全く異なる。
後先の事など考えるやつは少ない。売る時も横柄だし、買う時も横柄。少しでも立場が上なら尊大に振る舞う。無論、譲り合いや謙譲の美徳など、あり得ない。当然、喧嘩沙汰は日常である。
俺も初めは騙された。明国人は馬鹿でも必ず出来る、問題ないとか簡単にいう。日本人はやってみないと分からないけど出来うる限り、などというので、不安になる。しかし、何のことはない。引き受けたが最後、必ず約束は守る上、頼んだ以上の仕事をする。
また、取引を続け、上得意になれば無理も聞いてくれ、安くしてくれる。なので、余程の事がなければ、取引先は変えずに末永い付き合いをしていく。明では逆だ。その時で安いところを使う。
相手も安くするため、手を抜くのが当たり前だ。毎度、利用してくれる客からは取れるだけ取ろうとする。日本と異なり、付き合いが長いと舐めて、高くなるし、仕事も雑になっていく。こんな商いを日本人相手にすると評判が落ち、必ず傾いてしまう。
足並みを揃えるのも日本人の特徴だろう。瀋陽や天津の日本人町でも店の値はほぼ同じだ。恐らく、安値で売るような店は卸して貰えなくなるのだろう。物を買い付けるのでも気持ち悪い程、どこも同じ値だ。
あそこより安くしろとか、高い値で買うような事はしない。馬鹿な明国人商人が日本人商人へ高く売ったとすれば、横の繋がりで知れ渡るや何処とも取り引き出来なくなる。明国での商売は抜け駆けなど当たり前だから、慣れないと戸惑う。
しかし、儲けすぎず地道に誠実な商売をしていれば紹介や評判で客が増えて十分儲かる。俺が日本へ来たのは、目に見え難い日本の仕来たりや掟を理解すれば、ますます商売し易いと思ったからだ。
それと、為替や大名札(藩札と同じ)、札差などを学ぶためである。同じ目的で俺以外の山西商人も多数来日した。大坂に山西商人の会館を作る事も決まっており、有力山西商人は子弟を送り込むつもりだ。
明は建前上海禁をしており、国外における動きは色々厄介である。それでも、今後日本は遼東、遼西、清州、沿海州、各租界へ莫大な額の銭を費やす。毎年、明の国家予算を遥かに超えるだろう。
ならば、大坂に出先を作り、御用聞きした方が早い。さらに願わくば、台湾、呂宋、バンコク、それこそインドなどへも道筋を作りたい。
――そして、陳徳永が大坂へ到着して数日後……。
陳徳永は丹羽長秀からの紹介状を丹羽家経由で提出し、幸田広之と面会する事が出来た。場所は船場にある幸田家の屋敷だ。
「丹羽殿や徳川殿たちが随分世話になっているようじゃな」
「滅相もござりません」
陳徳永は自然体でいながら、全てを知っているかのような広之の泰然自若とはまた少し違う佇まいに、少し戸惑った。大体、この手の人物は手強い。手の内は簡単に見せないし、本心も隠しつつ、物事を進めて行くような人物なのだろう、と思った。
「今後も山西商人とは付き合いが長くなるであろうから、互いに益となる事を願う。さて、遼東においてだが馬、羊毛、皮、石炭以外の全てが足りぬ。特に鉄、鉛、錫、水銀、綿、油、紙、衣服はいくらあっても良い」
「塩は足りておりましょうか」
「今は足りておらぬ。されど、丹羽殿たちがオイラトを征伐した暁には寧夏北西のジランタイ塩湖の湖塩、または遥か奥地のオブス・ノール湖岸の岩塩などが手に入る。それで十分足りるはず。蒙古は昔から塩引(塩との引換券で紙幣同様)を利用している故、明国との貿易或いは略奪、さらに塩が無くば成り立つまい」
陳徳永もかねてより、蒙古の塩は知っている。産地については知らなかったので、流石に驚く。どうも正確な場所を知っているらしい。トメト部が崩壊した以上、放置すれば何れオイラトが進出してくるのは確実。
ならば、逆に打って出るのだろう、と思っていたが、隠された目的があるなど知らない。以前から蒙古が有する豊富な塩の出所は気になっていた。それを抑えれば確かに蒙古は虫の息だろう。
「塩はいかように扱うのでしょうか」
「蒙古の塩は撫順の石炭、或いは煙草や砂糖などと並び幕府が直に扱う」
「結構な事でございますな。さて、オイラトですが、生き残りは西方へ逃げるでしょう」
「全てを殲滅するのは無理であろう。逃げた部族は必ずペルシャ方面へなだれ込むはず。さすれば土地の馬賊と争うのは必定。何れにしろ明との貿易が絶たれたら勢力は弱まる」
この後もペルシャやトルコについて聞かされ、中華などという狭い観念ではなく、構想や規模たるや比較すべくもないと思う陳徳永であった。
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