第371話 大巫女の御神勅
夏の暑さが身に染みる日々、幕府はこれから起きるであろう慶長伏見地震への対策を本格化させた。まずは、さる霊験あらたかな大巫女=大御巫(おおみかんこ)による御神勅だとして、天下へ布告したのである。
地震の被害が大きいとされる地域もあらかじめ示した。長い戦乱を巻き起こした悪しき龍神による最後のあがきだと説明され、地震を抑え込むため仏教各宗派や神社などへ祈願するよう依頼。
無論これは、万一地震が起きなかった時の保険である。起きなければ祈願の成果や神仏の御加護で済ます。大きな地震がお告げで起きると思ってない僧侶や神官は軽い気持ちで協力的だった。
せいぜい適当かつ大袈裟に祈ってみせ、恩を売り、礼を期待したからに他ならない。しかし、実際に大きな地震が起きれば面目は潰れてしまう。
夏場の気温も異常な点はなく、作況具合は例年通りと見込まれた。秋になれば新米の収穫も始まるので飢饉のような心配はない。しかし、パニック買いや売り惜しみなどによる価格の高騰は十分あり得る。
そのためシャム、福建省、広東省などで作らせている日本米を大量に輸入した。小麦なども同様だ。また北海道からも干し魚が大量に買い付けられ、大坂や尾張に集められている。木材、松明、蝋燭なども大量に確保された。
地震が起きるのは子の刻(午前0時の前後2時間)である事も明示の上、該当地域各家の将兵たちは寝ずに臨戦態勢を取るよう命じられている。
無論、これらの話は巷で持ちきりだ。この時代、まだ迷信や奇怪な風習・因習なども残っており、人々の関心を集めた。起きるかどうか賭ける者さえいた。また、これを好機と捉える勢力も存在する。
イエズス会は大きな地震など起きるはずもなく、異教徒による愚かで怪しき御神託だと思っていた。信者たちには我々の神を信ぜよ、などと啓蒙し、今回の布告を利用するつもりである。
この動きを掴んでいる幸田広之は手を打った。慶長伏見地震が発生したのは西暦1596年9月5日(文禄5年閏7月13日※この年7月は2回ある)だが、四国と九州ではそれより前に地震が起きている。
まず慶長伊予地震9月1日、そして慶長豊後地震が9月1日説あるいは9月4日説あって、幕府は日付に含みを持たせつつ注意するよう呼びかけた。
慶長豊後地震については慶長伏見地震と慶長伊予地震より大分遅れて布告している。これは慶長伏見地震や慶長伊予地震と切り離し、天津神や国津神が怒っている(主語は無し)という内容で、キリスト教を指すだろうと想起させた。
イエズス会は単なる嫌がらせのたぐいであり、起きるはずもない以上、逆に神道や仏教へダメージを与えられると、内心大歓迎だ。
九州は史実より3年早く平定され、戦乱が終わっている。その後、小島兵部、長尾一勝、中川清秀、高山重友(右近)細川忠興、毛利長秀などを配置し、大いに発展させた。
結果、貧困状態が改善された事や幕府の啓蒙もあって、キリスト教の勢いは収まっている。さらに、今回起きるはずの地震を利用して、致命傷とするのが、広之の腹づもりであった。
こうして、西暦1596年9月5日が刻々と迫りつつある。
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