第390話 カトリック教会の黄昏
サロンの行なわれている場が盛り上がる一方、迎賓館別棟の来館者用応接室は深刻な空気に包まれていた。その部屋には、ローマ教皇庁の使節、在日イエズス会の幹部、ドミニコ会の幹部、フランシスコ会の幹部、カトリック諸国の使節団に随行していた欧州各国の司祭などが集まっている。
ちなみにカトリック教会の序列的なものを説明すると、教皇、枢機卿、大司教、司教、司祭、助祭、修道士・修道女、一般信徒という順だ。
教皇と枢機卿はローマ、大司教と司教の教区は主に都市部、司祭の教区(助祭は補助)は農村部などで、教区はそれぞれ独立運営されている。しかし、大司教が広範囲な地域を管轄していた。
また教区を越えて大きな領域を政治支配する大司教なども居り、その辺は日本の寺社勢力と似ているかも知れない。
さらに、ややこしいのは郊外や農村地域でも規模が大きく由緒ある教会もある。格式の高い教会=教区の司祭や助祭が並の司教より権力的に上な場合もあった。
在日イエズス会の幹部はローマ教皇庁を頂点とする組織構成では司祭でしかない。アレッサンドロ・ヴァリニャーノが東インド管区巡察師という肩書きであっても、あくまでイエズス会内部の話だ。
ヴァリニャーノの他、ペドロ・ゴメス、グネッキ・ソルディ・オルガンティノ、ルイス・フロイスなども顔を揃えており、全員虚脱状態である。
まずは、先の大地震、かつての豊後騒動や偽使節事件など、各国の司教、ドミニコ会やフランシスコ会の司祭たちはイエズス会の責任を徹底糾弾して吊るし上げた。異端の疑いがある布教手法についても尋問紛いであり、針のむしろ状態そのものだ。
イエズス会への糾弾が収まると、今後のカトリック教会全体の話に移行した。まず、ピエトロ・アルドブランディーニ助祭枢機卿が口を開く。
「総裁閣下の思想は我々の立場からすれば異端そのものです。イングランド女王の下で国璽尚書、枢密顧問官、庶民院議長、大法官などを務めたニコラス・ベーコン殿の子息フランシス・ベーコン殿と対話した際に、この先社会の進歩は止まらず、神仏や信仰は単なる個人の性質や傾向を示す上での識別としての意味合いしか持たなくなり、自己観念を補完すべき媒介へ収束するなどと語っております。これは、イングランド語で語られており、同語に精通したヴィテッレスキ殿が聞いているので誤解の余地は無いでしょう。その上で異端人物であるジョルダーノ・ブルーノの身柄を要求してきました」
これに対してミラノの司祭(ミラノ市の司祭ということではない)が口を挟んだ。
「仮に総裁閣下が異端であったとしても、神仏による秩序を否定しているようには思えません。エテルニタスにはカトリック、プロテスタント、正教会、イスラム、ユダヤの教会などが次々に建立されてます。それも、幕府の資金援助によって。肝心の仏教寺院は一切ありません。イスパニアやポルトガルは異国を侵略した際、真っ先に修道会を送り込んで異教徒の改宗へ取り組んだのとは異質です。土地の文化・調和・信仰を尊重しているからではないでしょうか。つまり、信仰に基づく憎悪は少なくとも感じません」
それは、エテルニタスを経由して日本へ来たカトリック教徒が見た事実であり、イスパニア戦争後もカトリック教会への援助こそあれ、弾圧は一切起きていない。アルドブランディーニがミラノの司教による問いかけへ答えた。
「忌憚なき意見有難うございます。正直な話、我々は分が悪い。日本の軍隊は驚くべき事に略奪、破壊、凌辱のたぐいは一切行ないません。降伏した者は処刑せず武装解除して釈放。移動する先々で土地の教会へ寄付を行なっています。サルディーニャ島やコルシカ島でも取り分け貧しい地域へ開発や援助を行っており、土地の民は感謝しているとの事。戦争に勝って略奪や破壊行為のたぐいをしない異教徒の軍隊など聞いたことがありません。しかし現実に起きている事です。日本は信仰の自由、人種差別の禁止、奴隷の禁止、移動の自由、死刑の廃止、戦時国際法、異端審問と宗教裁判の濫用禁止などを掲げており、我々は端的に見れば遅れをとってるのが実情……」
ローマ教皇の甥が発する言葉は重く、集まった人物たちは固唾を呑んで聞いている。少し置いてナポリの司祭が語りだした。
「日本が求めているイスパニアで迫害されたモリスコ(改宗イスラム教徒)とコンベルソ(改宗ユダヤ人)への謝罪と補償、欧州以外での布教制限について教皇庁はいかなる対応をなさるのかお聞きしたい」
「私個人の考えですが、モリスコとコンベルソについて何らかの声明は必要だと思います。補償については、日本側も本気でないはず。欧州以外での布教は日本と新世界にて当面は現状維持しつつ時を待つのみ。ただローマ教皇庁は大坂に公館を設置し、日本側と今後も様々な折衝へ注力する必要があると認識しています。さらにジョルダーノ・ブルーノは保釈の上、日本への亡命を認める他ないでしょう」
その後、オーストリア・ハプスブルク家の扱いやメディチ家などについても協議は続いた。
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