第389話 イングランドとフランスの思惑

 ローマ教皇とイエズス会の話はサロンが行なわれている間へ瞬く間に広がった。これに対して様々な見解や憶測が乱れ飛んでいる。

  

 プロテスタント陣営は拍手喝采せんばかりだが、カトリック陣営はと言えば当然の如く意気消沈。それでも、幕府総裁幸田広之による「イングランドがカトリックへの攻撃を意図しても我々は同意いたしません」という発言は波紋を巻き起こした。


 幸田発言にもっとも敏感なのは当然イングランドである。安堵してるのはプロテスタントよりの傾向を再び強めるものの形式上はカトリック国家のフランスだ。


 ミラノ、ジェノヴァ、シチリア、ナポリ、スイス、ヴェネツィア、トスカーナ、イスパニアなどのカトリック勢は反カトリック教会の急先鋒イングランドが必ずしも日本と大同小異ではない感触を深めた。


 形式上カトリック国であるフランスを盟主に自由欧州同盟のプロテスタントへの傾斜を食い止めたい国々が徐々に足並み揃えるような動きだ。


 一方、イングランドは動揺しつつも強硬な態度は崩さない。何故なら日本側より北欧ならびに神聖ローマ帝国内のプロテスタント諸侯切り崩しの要請を受け、フランスやロートシルト(ロスチャイルド)商会などと連携し、外交へ奔走してきたからだ。


 幸田発言の真意はカトリック教会自体を敵対視する事は無いというだけの話であって、カトリック教国と交戦しない保証になり得ないと結論づけている。


 いずれ自由欧州同盟は信仰の自由を掲げ、神聖ローマ帝国と雌雄決する時が必ず来る。その結果、オーストリア・ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝を維持しても版図はオーストリア、ボヘミアン、ハンガリー、チロルに留まるだろう、と予測していた。


 いやハンガリーはトルコに割譲し、ボヘミアも手放す可能性すらある。何故なら日本側は明らかにライン川沿いを自由欧州同盟の利益線として捉えており、いずれはデンマーク・ノルウェーとブランデンブルクの動き次第ではエルベ川沿いまで広がるかも知れない。


 その段階になれば、ポーランド・リトアニアやドナウ川沿いも大変な事になるだろう。イングランド軍将校の想定では、①ライン川沿い②エルベ川沿い③ドナウ川沿い、④アドリア海⑤ポーランド・リトアニアが同時多発的に戦争が起きると予測している。



◇オーストリア・ハプスブルク家および神聖ローマ帝国諸侯勢力と戦う事が予測される国々


①ライン川沿い

ヘッセン=カッセル、ヴュルテンベルク、プファルツ

イングランド、フランス、ネーデルラント(オランダ)

スコットランド、日本


②エルベ川沿い

ブランデンブルク、ザクセン、イングランド

デンマーク・ノルウェー、日本


③ドナウ川沿い

トルコ、日本

※すでにハンガリーを巡って戦っている


④アドリア海

トルコ、日本


⑤ポーランド・リトアニア

スウェーデン、プロイセン、日本



 イングランドは上記のような広範囲の戦争を想定し、着々と準備を進めている。これらの戦争で自由欧州同盟はオーストリア・ハプスブルク家やポーランド・リトアニアを敗退させれば、ローマ教皇の権威は地に墜ち、その時こそイングランド帝国を打ち立て、覇権確立するという絵図が描かれていた。


 ちなみに大英帝国や英国というが、そもそもイギリスという名称はポルトガル語のイングレスが訛ったものだという。元々はイングランドとスコットランドが西暦1707年の合同法によりグレートブリテン王国が樹立された。


 そして1801年にアイルランド王国も合同し、「グレートブリテンおよびアイルランド連合王国」となり、いわゆるユナイテッド・キングダム(UK)が使わている。ただ、ヴィクトリア朝の時代、植民地が爆発的に広がり、ブリティッシュ・エンパイアという呼称が使われた事もあった。


 昨今、ポリティカル・コレクトネスの影響で国名の呼び方が変わる場合も多い。日本で英国は本来イングランドを意味している以上、イングランド国やイングランド連邦と誤解を受けかねない名称へ一抹の不安をた覚えるが、今のところ大きな問題となってないようだ。

  

 余談だが、転生・転移系の小説では1707年の合同法以前からイングランドを指して「英国」とする場合もある。元々、イングランド=英国なら間違ってはいない。


 しかし、日本ではイギリスとイングランドは違うように認識されている。欧州には沢山の王位があり、フェリペ2世の如く、複数の王として君臨する場合も普通だ。


 なので、イスパニア・ハプスブルク朝などという便利な呼称もある。王位や公位などというものは転々と変わるので、国でくくると矛盾や限界をきたす。そうである以上、一人称以外では、わかりやすさ優先で「英」を使うとして仕方ないのかも知れない。


 さて、イングランドに対するフランス側も相応の思惑があった。フランスからすれば、カトリックとプロテスタントが共存するというのは決して弱点ではなく強みと捉えている。


 カトリック教会とは付かず離れずという方針だ。トスカーナ大公から姪とアンリ4世の婚姻を打診され断った。ローマ教皇庁に近いメディチ家との距離感を保つためだ。


 ただし、メディチ家出身のアレッサンドロ枢機卿が次期教皇位を目指すのならば、それとなく力は貸す。問題は南ネーデルラント(ほぼ現ベルギーとルクセンブルク)がイスパニアの統治から解放された後、共和制へ移行するまで、有力貴族による合議制となった。


 しかし、元々は神聖ローマ帝国の版図であり、抵抗を示す勢力が強く、進駐しているフランスも手こずっている。取り分け火薬庫となっているのはブラバント公国だ。


 同国は現代でいえば北はオランダ、南はベルギーとなっており、80年戦争を経て北側はオランダ領になった。またルクセンブルク、フランドル、ブルゴーニュ(公と伯で別領地)、ナミュールなどはイスパニア・ハプスブルク家のフェリペ2世による直轄領であったため、本来はオーストリア・ハプスブルク家の領地だ。


 さらにアルトワは以前、フランス領だった事もあり、アンリ4世が自由欧州同盟やローマ教皇庁へ働きかけていた。もうひとつ懸案事項がある。それはカレーだ。


 第二次大戦時、ノルマンディー上陸の際、ドイツ軍が想定していた土地だ。百年戦争の時、イングランド軍が占領(西暦1347年)した。その後、1558年にフランスのギーズ公フランソワが奪還する。


 さらに、ユグノー戦争末期にイスパニアが占領した。しかし、イスパニアが敗戦時に結んだ条約で放棄。結果、フランス領へ復帰しているが、自由欧州同盟に対してイングランドは提訴。自国領であると主張し、フランスへ返還を求めていた。


 激しい口頭弁論が数度行なわれており、いまだに決着はついていない。そもそも、イングランドが元はといえば侵略した土地である。その点についてイングランドは悪辣なフランスの支配で苦しむ土地の住民たちから懇願されただけで奪いとっていないと主張。


 フランス側は経緯はともかく、イスパニアが不当に奪いとった国土であるならば、イングランドに統治権があるはずもないと、両者一歩も譲らず、膠着状態へ陥っている。


 ギーズ公はすでに他界しているが、現スコットランド国王のジェームズ6世の母親はスコットランド女王であったメアリーだ。フランス国王の王妃であった事もある。また、第2代ギーズ公フランソワ・ド・ロレーヌの姉だ。


 これが、フランスにとってはいささか都合が悪い。スコットランド国王のジェームズ6世とは従兄弟にあたる第3代ギーズ公アンリはカトリック同盟の指導者としてユグノー勢力の首領ナバラ王アンリ(現フランス王アンリ4世)と激しく対立。


 ギーズ家は第4代ギーズ公シャルルとフェリペ2世の娘(フェリペ2世とアンリ3世姉の娘)を婚姻させフランス国王へ据えようと画策するなど、アンリ4世を追い落とそうした。


 ギーズ家率いるカトリック同盟はイスパニアが支援しており、パリを拠点に優勢であった。劣勢を挽回すべくアンリ4世はカトリック教会へ復帰し、さらに幕府の援助で苦境から脱する。


 カトリック同盟へ壊滅的な打撃を与えつつ、ギーズ家やカトリック同盟が支配するパリへ進撃し、打ち破った。そして、和睦という形でギーズ家は降伏。


 アンリ4世はイスパニアとの戦争で勝利を収め、一気に領土拡大を果たす。また、幕府の膨大な軍需物資の調達、投資、融資などでフランスは空前の好景気となり、国王アンリ4世の人気は頂点に達した。一方、ギーズ家は徹底的に報復紛いの仕打ちを受け、没落している。

  

 ギーズ家の血が入ったメアリー(ギーズ家出身の母親もメアリー)の存在はフランスにとって悩みの種だ。メアリーはエリザベス1世の異母弟エドワード6世と婚約していた事もある。


 しかし、メアリーはイングランドに攻められフランスへ脱出。その後、アンリ2世(アンリ4世の祖父ではない)の王太子フランソワ(後のフランス国王)と結婚した。


 エリザベス1世がイングランド女王に即位するとアンリ2世は庶子であるエリザベス1世の王位継承へ異議を唱える。正当なイングランド王位継承権者はメアリーだと主張したのだ。


 ちなみに、エリザベス1世の先代イングランド女王メアリー1世とは何の関係もない。このメアリー1世は某劇画(後に立ったり、握手してはいけない人物)でも有名な「血まみれメアリー」だったりする。


 カクテルのブラッディマリーはイングランド女王メアリー1世が即位後300人にも及ぶプロテスタントを処刑したことから、「血まみれメアリー」と恐れられ、まるで血のようなカクテルの由来となったらしい(諸説あり)。


 また、メアリー1世はフェリペ2世と結婚していた時期がある。メアリーは1556年にスペイン王に即位した夫フェリペ2世の要請を受け、1557年にフランスとの戦争へ参戦。その結果、大陸に残っていた唯一の領土であるカレーを失ってしまう。


 以上、歴史的経緯を見ればイングランドにも同情の余地があったりする。それは置き、エリザベス1世も老齢の上、後継者が居ない。史実ではスコットランド王のジェームズ6世がイングランド王となる。


 だが、アンリ4世はあわよくばイングランドとポルトガルの王位を狙っていた。そのため、カレーで遺恨を残すのも得策とはいえないが、国民の手前もあって引くに引けない状態だ。


 しかし、カトリック同盟に苦しめられていた時期、イングランドからの支援目当てではあるが、幕府へ引き合わせているため、十分な貸しこそあれ、借りは無いと思っていた。


 表向きは友好的に振る舞っている両国だが、フェリペ2世が失墜した後の主導権を握るため、水面下では激しく動いている。



 


 


 




 


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