第178話 北京騒乱

 三山海口は大連と名付けられ整備されていた。戸田勝隆と神子田正治が率いて来た艦船は戦闘用(砲撃型と近接攻撃型)、揚陸用、補給用などから編成されている。戸田勝隆と神子田正治が遼陽を目指していた間、山東半島や周辺で明国の艦船を打ち破っており、ほぼ制海権は掌握。


 こうして、幸田孝之率いる天津陽動隊は難なく天津に上陸。明の永楽帝が北京から白河(今の海河)を渡河して南下した事から天津と名付けられている。つまり「天子が渡った津」の略だ。


 北京から杭州を結ぶ京杭大運河(約2500km。隋代からある)上に位置している。北京を守る要でもあり、天津(天津衛)は重要な要所である事はいうまでもない。天津が落ちて、山海関が破られたら、北京は丸腰も同然である。


 現在、明国の皇帝は後に万暦帝と呼ばれる朱翊鈞で、かなり問題のある人物だ。史実においては万暦の三征(寧夏の乱、朝鮮援兵、楊応龍の乱)で莫大な費用を使い、財政が逼迫。


 一方、財政が悪化する中、朝廷内では東林書院の官僚を中心とする後の東林党、さらに宦官勢力と結んだ非東林党の争いにより混乱していた。そして西暦1596年(万暦24)に頼みとする宦官を鉱監や税監へ任命し、各地へ派遣。これらを礦税の禍 (こうぜいのか)と呼ぶ。


 晩年は25年も後宮に籠もり、朝政の場へは姿を現さず、政務から遠ざかったという。無論、その時期にヌルハチは後金を建てた。その後、朝廷は女直対策に追われる中、李自成の乱が発生するなど、玉突きの如く明国は崩壊への道を転げ落ちる。


 後世、文化大革命期、保存されていた万暦帝の亡骸は紅衛兵らによってガソリンで焼却された。数百年前の人物をそこまで憎むものかと思う。しかし、万暦帝の巨大墳墓(定陵・十三陵)は国が傾く中、国家予算2年分を投じて作られている。万暦帝と皇后は定陵の地下27mに眠り、冥府から明の崩壊を見たのであろうか……。


 中国において悪帝の代名詞は隋の煬帝だが、愚帝の代表格は他ならぬ万暦帝である。その治世は48年の長期に及ぶ。無論、万暦帝治世下は汚点ばかりではない。だとして巨額の軍事費負担は仕方ないにせよ、運が悪いだけで片付けられないのも事実。


 現在、かつて西夏といわれた地域で起きた寧夏の乱(哱拝の乱ともいう)は大きな支出を余儀なくされていた。そこへ降って湧いたような日本と女直の攻勢は北京の朝廷を揺るがした事はいうまでもない。


 北京へ報告が入るたび事態は悪化していた。


第一報 倭寇とウラがホイファへ侵攻

第二報 ホイファ滅亡

第三報 イェヘ寝返る

第四報 ヘトゥアラ城とハダ城へ侵攻

第五報 マンジュ軍と遼東軍が大敗

第六報 ハダ消滅

第七報 黄海に倭寇艦隊侵入

第八報 鉄領と開原落城

第九報 撫順と瀋陽落城

第十報 遼陽落城


 万暦帝は直ちに遠征して討伐する事を命じ、華北地域から兵が集められていた。しかし十分な数と準備を整えるには時間が必要だ。朝廷内では女直に対する対応の過ちや遼東への批判が満ちていた。まるで蜂の巣を突いたかの如く不毛な論争が繰り広げられ、まさに紛糾状態。


 そんな最中、幕府艦隊は天津へ上陸。城門は無数の砲火と銃撃を浴び侵入を許す。殺到した幕府軍の前に天津は陥落。無論、幸田孝之は一切の略奪や暴行を禁じた。


「彦右衛門殿(幸田孝之)、このまま勢いに乗って明国の都を攻め落とす事も出来ましょうや」


「明国は既に命数尽きつつある。広大無辺な地を治めるには数十万の兵と数千万貫の銭が必要じゃ。幕府が直に治めずとも、有利な条約を結べばそれでよい。そのためには出来うる限り明国ひいては朝廷を揺るがさねばならぬ」


 孝之は政宗に、そう答えると天津の守りを託し、真田信繁(幸村)と北京を目指した。天津落城の報に対し、朝廷は現在集まっている兵では足りず、民間からも兵士を無理やり1万程掻き集め、総勢3万で天津へ向かわせたところだ。


 こうして幕府軍と明国軍が遭遇し、合戦となった。孝之は斜線陣を敷き、敵の騎馬隊を銃射撃で崩すと先鋒部隊(斜線陣の先頭部)は敵陣後方へ回り込んだ。明国側の歩兵前衛は銃撃を浴びると総崩れとなり潰走。


 孝之と信繁は疾風の如く追走し、翌日には北京へ到達。永定門へ砲撃を浴びせ、楼閣を崩壊させる。城壁の上にいる兵士も銃撃を加え、攻撃開始後およそ2時間で外城を突破した。


 永定門が破られるという報に紫禁城は未曾有の狂乱状態となる。外城へ侵入した幕府軍は明国軍と交戦するも制圧。内城への前門である正陽門の楼閣が砲撃で崩壊すると皇帝朱翊鈞は紫禁城を捨て裏門から逃走。


 城外の左右と後方に各500名程配置された部隊が朱翊鈞と家族を捕らえる。孝之は朱翊鈞を丁重に扱い、一緒に紫禁城へ入城し、会談を行った。


 西暦1592年8月上旬の事である。

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