第266話 幕府軍、モスクワへ侵攻す①

 ロシア・ツァーリ国は元々モスクワ大公国であった。モスクワ大公国は14世紀に成立。モスクワ公国がロシアの諸公国を従える形で大公国となったのである。


 15世紀末から16世紀初頭にかけて、イヴァン3世(西暦1462~1505年)の治世下、全ロシアの君主を標榜し始め、ロシアの統一を推し進めた。


 そして、1547年にイヴァン4世(いわゆるイワン雷帝)がツァーリの称号を正式に採用。これによりロシア・ツァーリ国(ロシア・ツァールズトヴォ)が国家名称となる。


 ツァーリ(皇帝)となって、イヴァン4世は中央集権化を進めた。オプリーチニナと呼ばれる特別警察(もしくは親衛隊)により反対勢力は容赦なく弾圧。しかし、イヴァン4世が亡くなり、フョードル1世の即位後、オプリーチニナの力は衰える。


 皇帝は単なるお飾りと化し、権限はほぼない(生まれながらにして問題があったともいわれる)。ボヤール・ドゥーマ(貴族会議)という機関により国家運営がなされた。徳川幕府における老中のようなものだろう。この会議を実質的に支配したのがボリス・ゴドゥノフという人物で、フョードル1世の義兄だ。


 ボリス・ゴドゥノフはフョードル1世の摂政でもあり、カンツラー(国家の行政・外交を担当する役職)やストロイテル(国家の建設事業を担当する役職)も兼任している。


 ロシア・ツァーリ国のプラヴィートリーストヴォ(中央政府機関)はボリス・ゴドゥノフが掌握しており、後の皇帝ヴァシーリー・シュイスキーもボリス体制を渋々支えている。


 西暦1594年の夏、モスクワの中央政府は次々と入ってくる報せに困惑していた。オイラト、カザフ、ウズベクなど、東方の遊牧民族がイポーニという部族やタタールから襲われ、ノガイ・オルダ、シビル・ハン国、旧アストラ・ハン国の領域へ逃げてきたという話が最初にもたらされたのである。


 ちなみに、現代ロシア語で日本はイポーニャ。ラテン語のヤポニアが語源と思われる。現在のロシアにはカザフ人から伝えられ、イポーニといわれていた(日本人はイポンスキーとする)。


 そして、ノガイ・オルダや旧アストラ・ハン国の領域がイポーニに制圧されたという報せが届くに至り、モスクワ中央政府を震撼させた。しかも、中央アジアの大国ブハラ・ハン国(シャイバーニー朝)さえ既に滅ぼされたというのだ。


 解像度の低い情報によれば、ペルシャ、ムガル、トルコなどとも同盟関係だという。また、東方のタタール宗家(北元=チャハル部)やキタイ(明国)さえも軍門に降っているらしい。


 イポーニは強力な騎馬軍団であり、大半が高性能の銃を装備し、大砲も沢山持っている上、見た事もないほどの大軍だというから、信じ難い話だ。ボヤール・ドゥーマにおいて、先ずはイポーニへ使者を送り、もしロシアへの侵攻が企図されているのであれば、何らかの対策が必要と決した。


 しかし、直ちに派遣された使者はイポーニの本営で無慈悲な現実を知る。数万の兵、タタールの皇帝、キタイ皇帝の臣下、ムガルとペルシャの貴族、少数ではあるがトルコ軍とクリミア・ハン軍、フランスやネーデルラント(オランダ)の外交官、神聖ローマ帝国の反ハプスブルク家側諸侯家臣など、錚々たる陣容であり、ようやく危機的状況を悟った。


 イポーニ本国の人口は2千万を超え、地中海に大艦隊まであるという。ネーデルラントの外交官には田舎者はそんな事も知らないのか、とでもいいたげな口調にて侮辱された。


 だが、悪夢はここからである。3年前に亡くなったはずの皇帝弟ドミトリー(雷帝イヴァン4世の末子)はボリス・ゴドゥノフの刺客から逃げて、ある医師の手助けで修道院に匿われているというのだ。


 ドミトリーを見つけ、次期皇帝にした上、ボリスを処刑云々といわれた使者は本営から去った。その数日後、幕府同盟軍本隊はヴォルガ川沿いにモスクワへ向けて進撃を開始。


 一方、別働隊はヴォルガ川からドン川にかけての一帯を制圧すべく脇坂安治の案内で侵攻。土地のカザーク(コサックは英語の発音)が抵抗するも組織的な幕府同盟軍には敵わず次々と降伏。武器や馬を取り上げられ無力化していった。  


 一方、土地の農民を金銭で雇い要塞など築きつつ、土地の所有権や無税といった懐柔策も図られている。カザークの軍勢は壊滅状態となりながらも一部はウクライナ(ドニエプル川)方面へ逃走。


 これも追撃し、ウクライナ方面を統治しているポーランド・リトアニア共和国へ対カザークと対ロシアに関して、使者が送られた。ポーランド・リトアニア共和国の地方官も突然の事態に戸惑いを隠せない。


 本来、黒海周辺からカスピ海に掛けてはパンドラの箱を開いたような状態になっている。カザーク、タタール、ロシア、トルコ、ペルシャなどが長年争う紛争地帯だ。


 そのはずだが、イポーニはタタールの東から西まで征服し、黒海やアゾフ海(黒海の北端と繋がっている)へ達しているという。東のキタイ、インドのムガル、ペルシャ、トルコなどと同盟関係にあり、フランス、ネーデルラント、神聖ローマ帝国の一部諸侯国とも友好関係を築いているらしい。


 それどころか、ポルトガルをアジアから駆逐しつつあるという話だ。何れはイスパニアとも大きな戦争をするというから尋常でない。つまり、東西で大きな同盟が形成されつつあって、イポーニは盟主的存在のようである。


 東の果てから地中海に至る大国が同盟を結び、反ハプスブルク家の新教徒(プロテスタント)もそれへ加わりつつあるという。まるで天変地異のような話だ。さらに、ロシア現ツァーリの亡くなったはずである弟が生きており、ポーランド・リトアニア共和国領内で保護したなら引き渡して欲しいなどといっている。


 幕府同盟軍の使者を迎えたキエフのヴォイヴォダ(キエフ県知事)は直ちにポーランド・リトアニア王:ジグムント3世(ジグムント・ヴァーサ)へ、この事を報せるべく早馬が出された。

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