第274話 反竹子派の襲来②

 幸田広之は台所へ行き、食材を確認。ひと通りの物は足りている。少し悩んだがオーソドックスに炉端焼きで行く事にした。これなら、下処理だけすれば調理時間は大幅に省けるだろう。


 本当なら最高レベルのおでんを食べさせたいところではあるけど、全く時間が足りない。取りあえず馬で合鴨を仕入れに行かす。他に足りないものを何点か段取りし、哲普やお初たちへ指示すると着替えた。


 こうして、約2時間半後に妙静院、姫路御前、塩川殿が幸田家へ到着。五徳と浅井二姉妹(初は妊娠中)が玄関口で出迎えて案内する。右幸田家へ養子に行く予定の清丸も挨拶した。その頃、広之は大きな囲炉裏でお初と焼き物の加減を見ている最中だ。


「左衛門殿、お客様がお見えになられました」 


 茶々がそう伝える。


「妙静院様、お久しゅうございます。此度はお越し頂き主君に仕える身として恐縮の至り」


「上様と違い、左衛門殿の屋敷へ招かれるのは初めてとなりますからな。勝手か分かりかねますゆえ、かえって楽しみというもの」

  

 妙静院が五徳をちらりとみやりつつ答える。ただし、目は笑ってない。後ろの姫路御前は無表情、塩川殿は広之を睨んでいた。その塩川殿が口を開く。


「今日は色々と聞きたい事もございます。三郎(織田信之)殿や織田家の家督について……」


 その後、広之は家族を紹介すると炉端で手を動かした。五徳の奥取次用人が3人へ酒や先附や椀物などを差し出す。鮭の燻製を千枚漬けと合せた物、白和え、鱧落とし、鱧の椀物などが並ぶ。


 鱧は真夏のイメージが強い。だが、本当に美味いのは晩秋である。そのため幸田家で食すのは主に秋だ。そして炉端では、豆腐田楽、芋田楽、生麩田楽、塩鰤、塩鯖、塩引き鮭、鮭のハラス、合鴨、椎茸、じゃが芋が既に焼かれている。広之は久々に調理をしつつ饗す。少し距離を置く作戦だ。


「さあ、もうご用意は出来ておりますぞ。お召し上がり下さいませ」


 3人とも出された料理を食べては、いちいち止まる。


「お味の方は、お口にあいませぬか?」


「いえ、結構なお味でございますよ」


「妙静院様の仰る通り……。実に細やかな味わい」


 塩川殿だけ無言だ。広之は内心でやはりこいつがガンだろうな、と警戒態勢に入る。竹子と共謀して自身を信之から遠ざけて追い出した張本人だと思っているのだろう。


 塩川殿の亡き父である塩川長満はかつて細川京兆家17代当主細川晴元に仕えていた。山城国・摂津国・丹波国・讃岐国・土佐国守護という日本有数の大名家家臣である。しかも長満の妻は足利幕府第13代将軍足利義輝の娘だ(諸説あり)。


 塩川長満最大の利点は足利将軍家の妻ともいえる。長女は織田信忠の嫡男を産み、次女は池田恒興嫡男へ嫁いだ。塩川殿の弟(養子)は池田家重臣となっている。信之は足利義輝の曾孫となるため、塩川殿の果たした役割は大きい。逆にいえば、翻弄されたともいえよう。


「豆腐田楽、芋田楽、生麩田楽も頃合いがよろしいですぞ」


 3人とも口に入れて止まっている。やはり、味噌からして寺の門前で食べるのとは段違いなのだ。また、天下の大宰相などと恐れられている人物とは思えない程、広之の腰が低く……いや軽いため当惑せずにはいられない(逆に不気味)。


 お通夜のような場へ信之が到着した。


「左衛門殿、遅くなってかたじけない。皆、やっておられますな」


「さ、三郎殿……。随分ご立派になられて」


「これは母上……」


 この後、今回3人による来訪の目的が分かった。以前から、塩川殿は妙静院と面識はあったが、姫路御前の大坂入りに合わせ、幸田家を訪ねて礼を述べたかったのだ。塩川殿は自分の子(信孝夫婦にとって)でもない信之はいつか廃嫡になると読んでいた。


 しかし、今年の春になって盛大な元服が執り行なわれ、織田家の正式な当主となり、幕府に名を連ている。次期将軍である事が改めて示されたのだ。竹子が介入して三法師のまま廃嫡され、実子の天丸を据えると疑っていた塩川殿は驚いた。そして、妙静院や姫路御前に相談したのである。


「確かに、塩川殿を遠ざけたのは御台様というよりは、上様と拙者で決めた事。それは殿に織田家と将軍家を継いで頂くため。塩川家から池田家当主へも妹君が嫁がれておりますゆえ、様々な配慮をした次第。織田家の先代は菅九郎様(信忠)で、継がれたのは殿。織田家大殿のお立場は伊勢の御本所様が継ぎ、さらに上様となっております。上様は織田家の家督を継承された事はなく、先代の弟として御嫡子の支えとなりました」


「これまで、御台様や左衛門殿の真意を図りかねておりました」


 塩川殿が済まなそうに口を開く。


「御台様を色々と誤解なさるのもご気性など、あるかと存じますが、平吉郎殿や彦右衛門殿に対しても恨んではおりませぬ。そもそも、上様が神戸家に居られた頃は、代々の家臣が大半。御台様次第では神戸家侍衆が結束し、不測の事もありえました。平吉郎殿(岡本良勝)、兵部殿(小島兵部)、彦右衛門殿(幸田孝之)などは織田家より来たる少数派。上様を守るため必死だったはず」


 深く頷く妙静院や姫路御前であった。織田家家老である岡本良勝は妙静院の叔父(妙静院の母は岡本家出身)。ただし、叔父とはいっても妙静院の方が歳上だ。そのため信孝も岡本家で出産した。


 妙静院の実家は坂家だ。信孝が神戸家へ養子として入った際、妙静院の弟坂仙斎(弟かは推定)も付けられている。さらに、妙静院は当初小島家に嫁いでおり、夫が亡くなった後(推測)、織田信長の側室となった。


 織田家家老小島兵部は妙静院の連れ子であり、信孝の異父兄だ。自身の子と叔父が織田家家老となっている。その上、信孝の乳母姫路御前の子である幸田孝之、さらに幸田家の庶兄広之も織田家家老を務めていた。


 自身に近い筋の4人が織田家の押しも押されぬ重臣なのだから、本来は大坂城で絶大な権勢を欲しいままとする事が出来よう。しかし、問題がある。将軍御台所である竹子との関係だ。


 信孝が神戸家へ入った時、まだ11歳(数え)であった。竹子の父具盛や神戸家の主家筋にあたる関信盛を追い出し、信孝の家督相続反対派家臣粛清で実行役は岡本良勝だったりする。


 そのため、竹子は未だに良勝は怖いというイメージがトラウマになっていた。その後も妙静院の実子小島兵部や子飼いの幸田孝之から常に圧迫され、いつ殺されるのか怯えて暮らしてきたのだ。


 こうなると、正面衝突は無いが、互いに意識しており、距離感は遠い。妙静院は姫路御前が大坂から出るタイミングで、身を引いた。以後、気ままな余生を過ごしている。


 こうして3人は疑念や誤解も解け、安心して飲食を堪能し、帰って行くのであった。一時はどうなるかと広之は疲れたのである。


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