第354話 織田忠之とチャハル部

 織田忠之は初夏の瀋陽に降り立った。現在、チャハル部の部族長(北元皇帝)であるブヤン・セチェン・ハーンの娘ムンフゲレル(“永遠の光”という意味。史実で実在しません)と婚約中の身だが、蒙古語や明語(漢語、北方方言)を修得し、蒙古や明の文化へ触れるため遼東へ来た。


 忠之は17歳(数え)で、ムンフゲレルは16歳(数え)とふたりともまだ若い。元服する前は次期将軍織田信之の異母弟という微妙な立場であり、一生部屋住みのまま朽ち果てる事さえ覚悟していた。


 しかし、元服するや運命の歯車が思いもよらない方向へ回転。モンゴル帝国第38代皇帝(北元第24代皇帝)であるブヤン・セチェン・ハーンの娘と婚約を命じられたのだ。


 政略結婚以外の何ものでもない。それも相手は日本の言葉もおぼつかない異国人だ。自身の進むべき道はある程度示されたが、手に余るというのが正直なところ。


 母親や兄信之とは今生の別れをして瀋陽に来た。叔父でもある将軍織田信孝には日本へ戻れないかも知れない事を告げてられている。現代風の表現であれば、まさに当てのない片道切符だ。


 日本で自身の世話をしていた者たちとは全て引き離され、尾張や美濃時代より織田家へ仕えている譜代の家から、選ばれた者を付けられていた。


 期待という以前に警戒されているであろう事は、元服までの扱いを見れば明らかだ。そこで、自身がなすべき事を整理した。


 先ずは蒙古・女直・漢人の事をよく知り、なおかつ侮られない。さらに、何れ日本より戻るムンフゲレルとの間に子を授かるというあたりであろうか。何れにしろ謀反などと勘繰られる言動は注意せねば、身を滅するのは確実。そう心得ていた。


 忠之なりに不安を抱えながら瀋陽へ降り立ったが、迎える側は歓迎一色である。幼少期を少し知っている蒲生氏郷以外にとっては、何処まで行っても次期将軍の弟だ。


 現地では何れ忠之が遼東州の長官になるとか、遼東織田家として分家されるなどと噂されていた。将軍信孝との距離感を考えれば、外地で相応の待遇というのは合点がいく。


 また、17歳という年齢を事前に聞いていた遼東や清州で駐在する諸将は驚く。体格もよく、高貴な雰囲気を漂わせつつ立ち振舞は、とても17歳とは思えない。決して凡庸でない事は明白だった。


 織田信長の兄弟は出雲一国を領有する織田信包以外は殆ど表舞台へ出て来ない。織田信照は全く箸にも棒にも掛からない人物で、切米2千石程度の禄だ。形だけ重臣という扱いになっている。


 織田長益(史実の有楽斎)は本能寺の変に際して信忠へ切腹を進めながら自身は二条新御所から逃走。他の兄弟である長利が二条新御所で討ち死にしたのとは対照的だ。


 京の都を脱した長益は安土城へ着くや、信長と信忠が明智に討ち取られたと言い触らし、恐怖のどん底へ叩き落とす。そして、安土城を後に、美濃へ入り、岐阜城の三法師も置き去りの上、尾張へ逃げた(逃亡は史実における一説。それを元に作中で脚色)。


 前田玄以も一緒に逃亡したが、これは信忠より三法師を守るよういわれた結果だ。玄以によれば、長益は何も命じられてないが、着いてきたという話であった。


 長益は信長と信忠が討ち取られた事(確認していない)を無闇に吹聴。当然、安土城内は激しく動揺する。蒲生賢秀が必死に食い止めねば崩壊してたのは確実だ。


 以上の事を玄以は誠に畏れ多いとしながら、切腹覚悟で信孝へ話した。証言の裏も取れたため、その後長益は詰問されなかったが、誰からも相手にされず終い。信孝へ臣従後は信照と同じく、切米2千石で世捨て人のような有り様だ。


 それからすれば、忠之は別格といえる。諸将は丁重な態度で饗すのであった。また、瀋陽に居るチャハル部の重臣は忠之を見て複雑な心境となっている。


 誰がどう見ても王者の風格と気品を纏っており、婿としてこれ以上の人物は居ない。しかし、あまりに優秀であればチャハル部が呑み込まれる可能性がある。


 チャハル部は本拠地を定めるよう遼東州からの要請で赤峰に城を築いていた。瀋陽よりおよそ110里程の南西に位置している。部族長(北元皇帝)であるブヤン・セチェン・ハーンは長秀と瀋陽に向かっており、帰還後改めて赤峰へ向かう予定だ。

  

 先ずは瀋陽で新たな生活が切って落とされた。




◆織田秀則

織田信忠の次男で幼名は吉丸。三法師の異母弟。母親は不詳。秀信(三法師。作中では信之)と一緒にキリスト教へ入信。関ケ原の戦いでは秀信共々、西軍に属し。以後、いわゆる豊臣滅亡後まで大坂で暮らす。ちなみに、以前作中で触れたが、豊臣は氏。大坂夏の陣で豊臣氏は滅んでいない。羽柴家の宗家が滅亡しただけで、江戸時代に豊臣氏を標榜する人物も確認されている。つまり、秀吉は藤原氏として新たに豊臣氏を賜わった。源氏や平氏のような存在を模索しており、征夷大将軍どころの話ではない。



ムンフゲレル→第318話、第307話参照

チャハル部→第344話、第251話、第233話、

第227話、第223 話、第222話、第221話、

近況ノート「内蒙古の地図」参照

吉丸→第272話、近況ノート「三法師の弟」参照

チャハル部などの位置→近況ノート


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