第321話 南新亜州への入植

 織田幕府がヌエバ・エスパーニャを降伏させた後、艦隊の一部はペルーのカヤオを経由して、ブラジルへ侵攻した。これも降伏させ、メキシコのベラクルスへ入港し、陸路で移動してきた幕府兵が乗船。そして、新亜南部への入植が開始されたのである。

 

 現在のニューオリンズが中心地とされ、南星と命名。テキサス州からフロリダあたりまでが南新亜州とされ、各地へ入植が行われた。また、ミシシッピー川は南星川と名付けられている。

 

 この南星川流域の調査が幕府より至上課題として厳命されていた。レッド川・アーカンソー川・ミズーリ川・テネシー川・オハイオ川・イリノイ川が流域となる。


 州でいえば、ミシシッピー州・ルイジアナ州・アーカンソー州・テネシー州・ケンタッキー州・オハイオ州・インディアナ州・ウエストバージニア州・ペンシルバニア州・アイオワ州・ウィスコンシン州・ミネソタ州・オクラホマ州・カンザス州・ネブラスカ州・サウスダコタ州・ノースダコタ州・モンタナ州などだ。


 さらに、イリノイ川は五大湖(セントローレンス川流域も含む)に注いでおり、その周辺はミシガン州・ニューヨーク州・バーモント州、そしてカナダ側はモンタナ州・ケベック州などである。


 しかし、ミシシッピー川流域の本格開発が始まったのは18世紀以降と遅い。立ち遅れた原因としては、イスパニアや他の白人にしろ、新大陸の金・銀が大きな目当てであり、血眼となっている。そのため、ただの土地にはさしたる価値を見いださかったからだ。


 アメリカは広大であるが、ロッキー山脈とアパラチア山脈の間は、ほぼミシシッピー川で結ばれる。まさしくアメリカの中のアメリカといえよう。


 幕府は(=幸田広之)衛星画像や精確な地図を元に緯度・経度を書き記した図面(地図)があるため、開発に無駄がない。東和州(カリフォルニアを含む西海岸)からもカリフォルニア湾へ上陸し、コロラド川を遡り、アーカンソー川やリオグランデ川へ移動するというルート開拓が行われている。無論、そのような謎の地図が幕府より手渡されているからだ。


 また、これからの新亜開拓に大量の馬が必要となるのは明白である。馬というのは生産性が悪く年に1頭しか子を産まない。これを乗り切る方法として、かつてイスパニアの探検隊が置いてきた(逃げられた)馬を探すというものだ(いわゆるマスタング)。


 西暦1530年代にエルナンド・デ・ソト、1540年代にフランシスコ・バスケス・デ・コロナドがアメリカ南東部を探検している。


 ニューメキシコ州・ミシシッピー州・アーカンソー州・テキサス州などだ。後にコマンチェ族やアパッチ族が馬を飼い慣らしたことを考えれば、特にニューメキシコ州からテキサス州あたりが有力だと広之たち現代人は考えた。


 メキシコから数百頭の馬が南新亜州へマスタング探索隊用に輸送されたのである。コマンチェ族やアパッチ族などは主に貿易で馬を入手し、ある程度繁殖させたにせよ、16世紀からの完全なはぐれ馬も居たという仮定だ。


 現代で、犬神霊時が立てた仮説によれば、牡馬1頭・牝馬が2頭脱走し、 年ごとに繁殖可能な馬の80%が生存と仮定。第1世代の牝馬2頭は毎年1頭の仔馬を産むため、2年目は新たに2頭(仔馬)が生まれる。 


 これらの第2世代は3年後から新たに繁殖を開始。初期段階の繁殖スピードは遅いが理想的な生存環境なら50年間に最大で約3~5千頭は可能だというものだ。


 必死で捜した結果、およそ2千頭程見つけ出した。今後、欧州から牝の仔馬を毎年2千頭程、新亜へ運ぶ計画である。それでも、マスタングの確保により無駄な時間のロスが省けるのは大きい。


 獰猛なコマンチェ族やアパッチ族へ極力馬を渡さないに限る。コマンチェ族は本来ショショーニ族で、18世紀に南部へ移動し、コマンチェ族となった。そこで、馬の重要性を理解し、騎馬民族化したのだ。


 ショショーニ族はワイオミング州・アイダホ州・ネバダ州・ユタ州などに住むユト・アステカ語族である。彼らの住む地域はグレートベースンと呼ばれ、ロッキー山脈とシエラネバダ山脈の間にある乾燥地帯だ。


 この内、ワイオミング州に住む東ショショーニ族が西暦1500年頃、ロッキー山脈を越えてグレートプレーンズへ移動してきた。グレートプレーンズは西部が牧畜地帯で西部は肥沃な穀倉地帯だ。ただし、年間降雨量が少なく旱魃のリスクがある。 


 ここ数年、食品の値上がりが激しい(2024年夏時点)。食用油・醤油・牛肉などは、このグレートプレーンズの南方面を襲っている旱魃が影響している側面もあるという。


 グレートプレーンズには有名なラコタ族(有名なスー族は支族)も住んでいる。我々が思い浮かべるインディアンのイメージは彼らのものだ。ワパハといわれる羽根冠、ティピという移動式天幕の住居、馬に乗ってるところなど……。


 東ショショーニ族はグレートプレーンズの部族たちと対立し、一部はテキサス州まで移動。西暦1700年頃までにコマンチェ族となったようだ。


 このコマンチェ族に追い出されて南西部へ追われたのが有名なアパッチ族である。アパッチという呼称は攻撃ヘリコプターや某野球漫画でも馴染みあるが、勇猛なイメージからであろう。


 伊賀の忍者やネパールのグルカ兵を想像してもらえば大体間違いない。岩場などのゲリラ戦に長けており、戦闘のプロだ。このアパッチ族もコマンチェ族同様、直ぐ襲ってくる。他部族を襲って人身売買も行う。


 逆にいえばコマンチェ族(まだ存在しないが)やアパッチ族を懐柔すれば心強い。その辺は広之たち現代人が綿密にトリセツを作っていた。


 酒などの贈り物は当然だが、輸送や簡単な作業に動員し、賃金を渡すというものだ(ようは必要な物を渡す)。3度の食事と酒。さらに彼らと敵対する部族を鉄砲で殲滅するなど怖さを見せつける。野蛮ではあるが重要な事だ。弱いと思えば本能で襲ってくる。


 テキサスの確保も重要目標であり、先ずは現代におけるヒューストンへも大規模な入植団が送り込まれた。今後も続々と日本から人が送られてくるので、早急に足場を固めねばならない。

 


■新亜大陸の航行時期(おおまかなイメージ)


●大坂⇔龍門経由⇔アカプルコ

大坂から龍門(サンフランシスコ)へ行く船は7月頃出発し、12月頃着く。さらに、サンフランシスコからアカプルコへ着くのは翌年2月頃。そこから、大坂へ向けて3月頃出発し、6月までには到着する。

 

●アカプルコ⇔カヤオ(ペルー)

アカプルコからカヤオへ行くには3月頃には出発し、到着は5月頃到着。逆はカヤオを8月頃出発し、アカプルコへ到着するのは11月頃。


●カヤオ→大坂

カヤオを11月頃出発して、大坂へ到着するのは翌年の5月頃。


●カヤオ⇔サルヴァドール(ブラジル) 

カヤオを11月頃出発し、サルヴァドールへ到着するのは翌年2月頃。逆はサルヴァドールを11月頃出発し、カヤオへ到着するのは翌年の2月頃。


●サルヴァドール⇔ベラクルス(メキシコ)

サルヴァドールを3月頃出発し、ベラクルスへ到着するのは5月頃。逆はベラクルスを7月頃出発し、サルヴァドールへ到着するのは9月頃。


●ベラクルス⇔ヒューストン・ニューオリンズ

6月から11月のハリケーンシーズン以外。特に条件が良いのは4月から6月頃、。航海期間はおよそ1~2週間


●ベラクルス⇔正中摂津(ボストン)

ベラクルスを4月頃出発し、正中摂津へ到着するのは5月頃。逆も出発時期と到着時期はほぼ同じ。


●ベラクルス⇔カディアス(イスパニア国幕府領)

ベラクルスを3月頃出発し、カディアスへ到着するのは5月頃。逆はカディアスを9月頃出発し、ベラクルスへ到着するのは11月頃。


●正中摂津⇔カディアス

正中摂津を4月頃出発し、カディアスへ到着するのは5月頃。逆は9月頃出発し、正中摂津へ到着するのは10月頃。ただし貿易風を前提とした話であり、アフリカ西岸を南下し、北赤道海流に乗り、そこからメキシコ湾流でアメリカ東海岸へ行ける。その逆はグランドバンク東方付近で北大西洋海流へ乗り、途中カナリア海流へ流路を変えれば帰還可能だ。また欧州からアメリカ東海岸へ行く場合、アイルランドの西から東グリーンランド海流へ乗れば、ニューファンドランド島と方面へ出る。



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